第六十話 死の柱
ボナパルトは王都を発った。軍勢の最前列には先日、ボナパルトの軍に合流した槍のサオレ率いる『草長の国』の軽騎兵四百騎。後にフランス軍のレイニエ将軍率いる歩兵師団三千名と、ランヌ将軍率いる徴募兵一千名が長い列を作って続いている。進軍する軍勢に徴募兵を加えたのは兵力不足を補うためでもあるが、彼らの姿をこれから行く先の人々に見せ、新たな兵を募るためでもあった。
ボナパルトの赤い六頭立ての専用馬車はレイニエ師団の中段にあり、ベシエール将軍率いる五百名からなる精鋭の護衛隊に堅く守られている。それに加えて百騎ばかりの白い馬に乗った一団が固めている。指揮を執っているのはクルーミルの家臣ノルケトで、彼らは女王の近衛であり、クルーミルからボナパルトの護衛を任されていた。赤い馬車の後ろには副官のウジェーヌをはじめとした他の幕僚たちが乗り込んでいる馬車が続く。
馬車の中でボナパルトは参謀長のベルティエが広げる地図を凝視していた。これまで進んできた『草長の国』の西側はサオレ河に沿った一本道と言ってよかった。『剣造りの市』『川辺の都』そして『王都』大河のほとりに都市が築かれ、その周囲に付随する農地と村や町がある。さらにその外側を取り囲むように、草の海原を自在に駆け抜ける遊牧民たちのテリトリーが広がっていた。
その構図は東部地域においても基本的には変わらないが、東部はこれまで以上に人口が多く、開発が進んでおり、都市の数も多い。
「先行した部隊との合流地点までは?」
ボナパルトは顔を上げてベルティエに尋ねた。
「三時間ほどです」
「少し寝るわ。ついたら起こしなさい」
くあ、と小さくあくびをして、両腕を自分自身を抱きしめるように組んで目を閉じた司令官をベルティエは興味深そうに見やった。昨日は遅くまで諸侯たちの相手をしていたのだ。無理もない。
◆
王都を発って二時間余り。軍勢は順調に進軍し十キロの行程を消化しつつあった。時折吹き抜ける冷たく乾いた風が草原の草花を揺らす。その都度兵士たちは各々身に着けている外套の裾をぎゅっと握りしめてまるで鞭のようにうなる寒風に耐えた。
「うわ……また柱が立ってる」
徴募兵軍団の若い兵士、ジャックは街道の外れに立つ柱を見て声を上げた。柱には朽ちた死体が括り付けられていて、あちこち鳥についばまれたり虫に食われたりで無残な姿になり、独特の悪臭を放っていた。
地面に転がっている鉄兜と、死体が身に着けている鎖帷子からしてその死体は戦士だった。
「これで五本目か」
古参兵のヴィゴは大して驚く風でもなく応答するが、あたりには腐乱死体を目撃して気分を悪くした兵士が吐いた胃液が近くの草を濡らしていた。
「みんな何がそんなに嫌なの?」
鳶色の髪をした徴募兵の少女、ワフカレールはケロリとした表情で顔をそむけるジャックとヴィゴに問う。グルバスの人間にとって、死体を柱に括られることは名誉なことだった。
「なにって、ぐちゃぐちゃになった死体なんか見たくないよ。なんで君たちはこんなことしてるんだい」
「こうしておけば、勇敢な戦士がいたってみんな分かるでしょ? ここなら通る人も多いからみんながこの人の事を覚えるし。死んだ人の霊が街道の見張り番にもなってくれるし……ちょっと名前を見てきてあげるね」
「いいよワフカレール行かなくて。臭いが移っちゃうだろ……」
「そう? 昔は戦いがあれば何百柱って街道に立ったんだって。最近は一人、二人らしいけど」
「げえ……」
「これから先は女王陛下とダーハド王が激しく戦ったところだから、もっとあると思う」
「勘弁してくれよ」
「土に埋められるよりは見晴らしがいいだろうな」
「ヴィゴさんは平気なんですか、こんな死体……」
「少なくともここの柱連中には名誉と尊厳があるからな。何かの辱めでこうされてるわけじゃない。本当に悲惨な死体っていうのは……」
ヴィゴはそこまで言って口を閉ざした。
「ヴィゴさん?」
「無駄口はよそう。まだ先はある。黙って歩かないと体力が持たないぞ」
ヴィゴが話を打ちきると、そのただならぬ雰囲気を感じたジャックとワフカレールもそれ以上のお喋りをやめて、もくもくと街道を歩くことにした。
◆
ベルティエの言う通り、馬車は三時間後に目的地に着いた。
馬具の村、と呼ばれる、人口七百人余りの村である。ボナパルトは馬車から降りると、二角帽子をかぶり直す。
「閣下、お待ちしておりました」
出迎えたのは先行していた騎兵隊を指揮するデュマ将軍と、歩兵師団を率いているドゼー将軍の二人だった。二人の部隊はさらに先に進んでいるので村には居ない。
「どうなっているか」
「いくつか重要な報告があります。村長の屋敷を借りていますので、そこで話しましょう」
ドゼーに案内されてボナパルトと一行は歩き出した。
村長の屋敷は木造二階建ての構造になっており、かなりの広さがあった。フランス軍は一階部分を借り受けてそこに臨時の司令部を設けて居た。
「既に我々は王都から三十キロ進出して十四の村と町に入りました。予定通り、事前にクルーミル女王が使者を遣わして交渉していたので我々は抵抗を受けることはありませんでした」
デュマ将軍の報告にボナパルトは頷く。
「しかし物資や人手を提供することにはどの村も消極的です」
「そうだろうな。軍隊に物資を差し出したい連中などいるはずもない」
「ここから三キロ先に『金具の街』と呼ばれる人口一万人ほどの都市があるのですが、彼らはクルーミル女王の使者を追い返し、物資の提供どころか、わが軍の通行も拒否しています。」
「ほう。私が直接交渉しよう。今すぐ出発の準備だ。……と言っても、相手方の準備を待たねばならんか」
その言葉にドゼーはにこりと笑みを浮かべた。
「そう仰ると思い、既に先方には伝えてあります。『金具の街』とこの『馬具の村』の中間地点の草原にテントを設けて、交渉の場としています」
「よろしい。直ちに護衛隊と共に向かうとしよう」
到着してそうそう、ボナパルトは再び馬車に乗りこむと、馬を休めようとしていた護衛隊と共に慌ただしく出発した。
◆
街と村の中間地点、遮るものの無い草原にポツンと青いテントが浮かぶように立っていた。だまし討ちをするための伏兵などを置けぬように配慮されたものである。
ボナパルトは天幕をくぐる。随員は参謀のベルティエに副官のウジェーヌ、そして護衛隊長のベシエール。と通訳。そしてクルーミルの家臣であり最も腕の立つ家臣の一人のノルケトだった。
「お待ちしておりました。ダーハド王の妹クルーミル様の友、ボナパルト様。私が『金具の街』の市長、テーケルネトです」
恭しく出迎えたのは三人の人物だった。二人は中年の男女。市長テーケルネトと名乗ったのはその二人に挟まれた、短い黒髪の、少女だった。