第四十七話 繋ぐ手の先
『王都』にある宮殿は『川辺の都』のそれよりも大きく、立派だった。中でも目を引くのがおびただしい石像である。各部屋、廊下、庭、至る所に石像が立ち並ぶ。それぞれの像が一つの色で塗られ、真っ赤な像もあれば、真っ青な像もある。ボナパルトは大広間へと通じる道を歩きながら、横を行くクルーミルの右手を取った。二人の背後にはクルーミルの重臣アビドードの双子の甥、ニッケトとノルケト、ボナパルトの参謀長ベルティエや副官のウジェーヌといった側近たちが続く。
「お怪我の具合はいかがですか? 朝から王都の市街を見に行かれたと聞いて驚きました。声をかけてくださればよかったのに」
「女王様を街歩きに連れ出すわけにもいかないでしょ。傷は痛いわ」
「宮殿に部屋を用意させましたから、今晩から天幕を離れて宮殿でお休みください。大きな風呂もありますから」
「風呂! それはいい知らせね。熱い風呂に入って、疲れを取りたいわ……それにしてもこの石像たちは何?」
「これらはおとぎ話や伝説の英雄たちを模したものです。父王の趣味でした。宮殿の名も『石像の館』と言うのです。あの大きな盾を持っているのが大盾のゼーイド、剣を逆さに持って握りしめているのが、血まみれスーンの像です」
「随分詳しいわね」
「私はこの宮殿で育ちましたから。像によじ登ってはよくアビドードに叱られました」
クルーミルは懐かしい思い出を話していたずらっぽく笑った。
「何か気に入った像はありますか?」
「……大きな像は好きじゃないわ。なんだか見下されてるみたいで」
「それは残念です」
「貴女のお父さんや、貴女の像はないの?」
「父王の像は玉座の間にあります。私のはありません。……実はこの英雄たちの顔はみんな、父王の顔を模して造られているのではないかと思うのです。なんだか似ているような気がして」
ボナパルトは像を見比べた。クルーミルの父の顔は知らないが、言われてみれば確かにどの顔も似たような顔つきをしていた。クルーミルの顔と比べてみると、似ていると言われればそうかもしれない。きっとクルーミルが男だったら、こんな風に整った顔立ちの美男と呼ばれるような顔をしているだろう。とボナパルトは思う。
「もしそうだとしたら、貴女のお父さんは随分賢いわね。きっと英雄たちと自分を重ねて、臣下たちが自分へ尊敬や敬意を抱くように仕向けたに違いないわ」
ボナパルトの言葉にクルーミルは不思議そうに首をかしげた。
「これだけの石像、この都には腕のいい石像職人がたくさんいそうね? ひと段落ついたら、国中に貴女の像を建てさせるわよ」
「私の像を国中に? なぜ?」
クルーミルは恥ずかしそうに頬を赤くした。
「なぜって、貴女がこの国の女王だということを民に知らしめるためよ。国中が貴女の顔を覚えて、貴女を愛するようにさせるのが強い王様への第一歩よ」
「どこにでも私の像があったら、きっと私は恥ずかしくて外を歩けません」
「じゃあ像の近くを歩くときは目でも瞑ってなさい」
「ではあなたの像も一緒に建てましょう。女王クルーミルとその友ナポレオンです」
ボナパルトはその濡れた捨て犬のような黒髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「金の無駄よ」
その様子を見てクルーミルは微笑む。
「……それはそれとして、貴族連中とこの都市の市長はじめ有力者たちと今後の話をつけないといけないわ」
ボナパルトが政治の話を口にすると、クルーミルの表情から笑みが消えた。
「はい。諸侯の論功行賞は既にはじめています。敵についた諸侯からいくらかの賠償金を支払わせるのと、戦いで得た戦利品、反乱に加わった諸侯の爵位と領地を没収して、それを味方した者たちへの分配することを考えています」
多くの貴族たちが自分の手柄を訴える手紙を山のように送ってきます。とクルーミルは笑う。
「ま、そういうところでしょうね。私たちの取り分は?」
「もちろん貴女の功績が最大です。多くの戦利品をお引渡しできます。功績の大きさを考えると、私は貴女にサーパマド伯から没収する土地を授けたいと思うのですが、これには反対の意見が多くでていて……」
ボナパルトは申し訳なさそうに言うクルーミルの顔を下から突き上げるように見やった。
「土地はいらない。金よ、金」
領地を治める権利を貰ったところで、村や町に徴税役人を送り込んで税を取り、領民同士のトラブルを解消し、村長や地主といった有力者と上手く付き合うためのノウハウがボナパルトには欠如している。手っ取り早く食料と武器に変えられる金のほうがありがたかった。
「わかりました。そのように話をまとめます」
「その辺の貴族たちとの利害調整は貴女が恃みよ。アテにしてるわ。お互いの為にもね」
話すうちに一団は大広間にたどり着いた。広間では勝利を祝う宴の準備が大急ぎで進められ、敷物や調度品が召使たちによって慌ただしく用意されつつあった。それを横目に、貴族の一団がクルーミルとボナパルトを待ち受けていた。いずれも序列の高い高位の貴族たちである。二十人はいるだろう。
「そら、きた」
ボナパルトは意地悪く口角を上げてクルーミルに言う。大方、他の貴族たちに「抜け駆け」して自分の功績を女王に売り込もうとする者たちだろう。
クルーミルを見た諸侯の表情が、すぐ横にいるボナパルトを見て一瞬険しいものになったのをボナパルトは見逃さなかった。
「女王陛下! 王の友殿! お待ちしておりました。この度の大勝利をお祝い申し上げます」
貴族たちは女王に臣下の礼をとった。次々と浴びせられる言葉の大半はボナパルトにはわからなかったが、彼らの浮かべる打算の見え隠れする笑みからして、言っていることはだいたい察しがついた。
『川辺の都』で戦った後にはボナパルトの使う武器に文句をつけて、戦功を軽んじようとしていたような者たちだが、さすがにダーハド王を破り、王都を陥落させる実力を持つ人間に睨まれるような事を言うような真似はしないらしい。
「勝利は諸侯の見事な働きあってのことです。その功績は女王の名において報われるでしょう」
「ありがたいお言葉にございます」
「王の友ボナパルト殿におかれては、まさに戦の精霊に愛された英雄たちのごとき采配。我ら一同敬服いたしました。骨を折る負傷をされたにもかかわらず、陣頭に立ち続けるさまはまさに戦士の鑑としか言いようがありません。共に槍先を揃えて戦えることを光栄に、また心強く思う限りです」
よく言う。戴冠の丘の戦いの後、この者たちのうち誰一人として、私の陣営を見舞いに来るものなどいなかったではないか。とボナパルトは彼らの並べる言葉が気に障った。
「傷は痛みませぬか。戴冠の丘での決戦、サーパマド伯らの反乱、そして王都攻めと疲労も溜まっているのでは? お休みになられてはいかがですか」
言いたい事はそれか。私をクルーミルから引き離して話をしたいのだな。
ボナパルトはクルーミルを見るために顔を上げた。ちょうど、クルーミルもボナパルトを見ていたようで、二人の視線がかち合った。
「私は彼らと話をしなくてはなりません。あまり愉快な話ではないでしょうけれど……」
「そのようね。彼らは貴女と話がしたいらしいわ。私が居たら彼らは言いたいことを言えないでしょう」
「……」
手を繋ぎ、精霊の力を借りて交信するクルーミルとボナパルトの二人の会話はこの場の他の誰にも聞こえない。
クルーミルはボナパルトの青みがかった灰色の瞳を見た。燃やし尽くした灰のように熱を感じる瞳を。
「ノルケトに部屋まで案内させます。次にお会いするのは夜の宴の時でしょう。それまでお休みください」
「そうするわ」
ボナパルトはクルーミルと繋いでいた手をゆっくりと離した。
クルーミルの手がそれを追いかけてもう一度繋ぎとめた。
「なに?」
「いいえ、なんでもありません……ゆっくりとお休みください」
その言葉にボナパルトは下手くそに笑みを浮かべてみせた。