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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第五章『草長の国』戦争~玉座と天幕~
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第四十六話 大通り

 『王都』に入城したフランス兵たちは各部隊ごとに住む場所を割り当てられている。一万、二万といった数の男たちを収容するため、あらゆる壁と屋根のある場所が提供された。兵舎はもちろん、空き家や、逃げ出した貴族の屋敷、王の宮殿の一部、はては人が住んでいる民家にすら割り当てがされ『王都』の住民は武器を持った異国の言葉を喋る男たちに驚き、怯えながら部屋の一室を貸し出すこととなった。


「お世話される。私たち、女王の友、グルバス、仲間、友人、客人、礼儀を知る……」


 口ひげを蓄えた古参兵のヴィゴと若い兵士ジャック、そして『川辺の都』で徴募されたグルバスの少女ワフカレールの三人は大通りから外れた民家を割り当てられていた。唐突に三人の招かれざる客を受け入れる事となった家主の老夫婦はヴィゴが手帳を見ながら話すたどたどしいグルバス語を不安そうな表情で聞いた。


 武器を持った男たち、それも少し前まで自分たちの住む都市を攻めていた男たちが上がり込んできて嬉しいことなど何一つなかった。ただひたすら嵐が何事もなく通り過ぎるように祈るほかない。


「大丈夫、この人たちは何もしない。素敵な部屋を用意してくれてありがとう!」


 簡素なテーブルと椅子、そして木組みの枠の中に藁が敷き詰められたベッドがある部屋に通され、ワフカレールは言葉が通じず小さくなっているフランスの男二人に代わって老夫婦に礼を言った。こんな子供がなぜ異国の兵士にくっついているのか夫婦は顔を見合わせたが、言葉が通じる相手がいるので少し笑みを見せた。



「天国だ!」


ジャックは背負っていた荷物を部屋の隅に置き、銃を立てかけると藁が敷き詰められている寝床に飛び込んだ。追いかけるようにワフカレールも藁に飛び込む。乾燥した草の匂いが肺を満たして心が安らぐのを感じる。藁の匂いはフランス人にとっても嗅ぎなれたものだった。


「野営に比べれば屋根と壁があるここは確かに天国だ。分かってると思うがあの老夫婦には礼儀正しく振る舞えよ。何か「お土産」をくすねようなんて考えるんじゃないぞ……」


「わかってますよ。そうだ、通りを見に行きましょう。許可は出てるんでしょう?」


「俺はやめとくよ。ベッドで寝られる時に寝たい。うちの司令官のことだ、明日また突然ここを出て敵を追いかける。と言い出すかもしれんからな……」


「また何もない平野に放り出される前に街を楽しんできますよ。行こう、ワフカレール」


ジャックがそう言って身体を起こし、身支度を始めるとワフカレールも野ウサギのように素早く立ち上がった。


「日が落ちる前には戻れよ」


ヴィゴは椅子を日の当たる窓際へ運んで腰かけた。


「……」


「どうした、行かないのか」


ヴィゴさん(ムッシュ・ヴィゴ)。お金貸してくれませんか。ボク使い切っちゃってて。給料もまだ出てないし……都に入ったんだからもうすぐ支給されるはずですよね。貰ったらちゃんと返すんで、ちょっとだけ貸してください」


「はあ……」


ヴィゴは懐から金の入った小袋を取り出すと一枚の銀貨を渡した。『川辺の都』に入った時に支給されたグルバスの銀貨で小さく、力込めれば曲がりそうな薄さの代物である。一般的な労働者の一日の給料に相当するので一日銀とか日雇い銀などと言われているらしかった。


「ありがとうございます」


「ありがとう! 何か買って帰るね」


ジャックは笑顔でその金を受け取ると、つむじ風のようにワフカレールと共に外へ飛び出していった。


全く二人ともまだ街を見てはしゃぐ年頃なのだ。剣や槍に刺されたり、矢玉に貫かれたりするにはまだ若い……とヴィゴは思った。




 都の大通りは石畳で舗装されている。幅も広く、何十人が横一列になってもまだ余るだろう。この前まで城壁周辺では激しい戦いの余波が残って残骸や死体の片づけで慌ただしい。市街地の中心部のほうはというと、次から次へとやってくる馬車と荷物の積み下ろしで人々は活況を呈している。包囲下で不足していた食料品や薪、そのほか日用品がようやく入って来たのだ。パン屋のかまどは食欲をそそる匂いをさせ、市場には新鮮な肉や野菜が並ぶ。いままでの息苦しさを発散するかのように人々は通りに出て、活動し始めているのだ。


 城壁の外側では都に入るために行商人や組合の馬車が列を成している。早く入り、商売を始めればそれだけ儲かるし、これまでの損失を補えるのだ。ボナパルトは自分を資金面で援助しているネーヴェンの組合とその口利きのある者たちの馬車を優先して市内に入れるように命じていた。彼らが利益を出せばそれだけボナパルトへの資金援助も安泰になるという算段だった。



 ジャックとワフカレールは大きな噴水のある広場に出た。人々の往来が賑やかで一角では楽器組合の楽団がチェロのような楽器で音楽を奏でている。また大きな盾を持った一団が巡回しているのも見える。彼らは『王都』の市議会が雇っている警備隊であり、城壁で戦っていた『斧打ちの国』の軍勢には属していない。


「いろんな人たちがいるね。とっても賑やかだ。パリより賑やかかもしれないな」


「うん。私が住んでた『川辺の都』も立派なとこだったけど、やっぱり『王都』は全然違う。音楽隊も立派だし、お店の数も多い。ジャック、あれ見て」


ワフカレールが指差したのは露店の一つで、テーブルの上には丸い菓子が並んでいた。クッキーに似ているな。というのがジャックの感想だった。


「お嬢さん。女王の兵隊さん、焼き立ての菓子はどうだね。都で一番の味だと保証するよ。今なら良く合う林檎酒も一緒につけるよ。噴水を見ながらこれを食べたらもう立派な『王都』の民だよ。どうだね」


近づくと店主はそう言いながら藁で編んだ小さな籠に菓子を詰め込みはじめていた。


「食べたい?」


「うん」


「じゃあ貰うよ」


ジャックは貰った銀貨を渡した。店主は銀貨を見るとにっこりと笑い、籠から溢れるほど菓子を詰め込んだ。


「気前のいい兵隊さんにサービスするよ。林檎酒もジョッキ一杯に。飲んだらまたジョッキを持ってきて、もう一杯サービスするよ」


大量の焼き菓子をワフカレールが受け取り、ジャックは大きなジョッキを二杯両手に持った。


「こんなにたくさん? 銀貨一枚分全部?」


「そうとも。うちは釣銭がないからね。一人分がシンク銅貨一枚。エニ銀貨一枚はシンク銅貨十二枚。十二人分だよ」


「多すぎるよ。こんなにたくさん!」


「たくさん食べていって!」


店主は大笑いしている。ジャックはなんとも納得がいかない商品を押し付けられた気になったが店主の明るい笑顔を見ると怒る気にもなれず、焼き菓子から漂う美味しそうな匂いと林檎酒の甘い匂いに巻かれて大人しく噴水のへりに腰かけて食べることにした。ワフカレールは早速菓子を頬張っている。


「美味しいよ。ジャック。食べてみて」


「そりゃよかったよ……ああ。確かに美味しい。でも口が渇く。林檎酒とよくあうよ」


「こんなにたくさん。ヴィゴと、家のお爺さんとお婆さんにも持って帰ってあげないとね」


「そうだね……」


ジャックは貰った金を早速全部使ってしまったことに落胆していた。もっとほかにも街にはいいものがあるかもしれない。左を見れば何かの肉を焼いている店が目についた。肉も食べたかった。


噴水がたてる水の音と楽団が奏でる弦楽器の飛び跳ねるような音楽を聴きながらジャックはワフカレールと共に菓子を食べる。ふと見ると、向かい側、店の外れで目つきの悪い子供のような背丈の人物がこちらをじっと見ているのが見えた。その隣には背の高い男が立っている。親子だろうか。服装からしてこの都の住人だろう。背が低いほうは目つきが異様に鋭く、飢えた野良犬のような印象がある。どこかで見たかもしれない。


「ワフカレール、ちょっと菓子を貰うよ」


ジャックは籠から二、三個菓子を取ると、その二人に近づいた。


「お嬢さん。これをあげるよ」


ジャックのフランス語に目つきの悪い子供は何も答えなかったが菓子を受け取った。


「ちょっと前まで戦闘があったけど、大丈夫だよ。もう安全。ボクたち、友達。隣にいるのはお父さん?」


隣の男のほうが割って入った。


ありがとう(メルシー)


 これ以上は詮索するな、と言いたそうでジャックはワフカレールのところへ戻ることにした。不愛想な二人だ。だが、まあ、異国の兵隊を見たら緊張するのも仕方がないな。そう思った。


「ジャック、どうしたの?あの人たちは?」


「お腹が空いてそうだったから、ちょっと分けてあげた。ボクたちだけで食べるには多すぎるだろう?それにあの子、ずっとこっちを見てて……」


そこまで言いかけてジャックはあることに気づいた。先ほどの男、フランス語で「ありがとう」と言ったのだ。どういうことだ?と疑問に思ったが、もう一度見ると二人は人込みの中に紛れ込んだのか姿を消していた。







「お父さん。お父さんだとさ、君。傑作だな。今日からそう呼んでくれていいぞ」


「……冗談じゃない」


ジャックが飢えた野良犬のようだと感想を抱いた背の低い人物は不機嫌そうに言った。彼女はヴィゴとジャック、ワフカレール、フランス軍の総司令官ボナパルトだった。隣で菓子を頬張りながら笑っているのは、徴募兵軍団を指揮するランヌ将軍である。二人はいつもの軍服ではなくどこからか調達してきたグルバス人の服を着ている。ボナパルトは一般人に変装して街の様子とフランス兵たちの様子を確認していたのだった。


「あれは確かジャックとかいう兵士ね」


「知っているのか」


「『川辺の都』で第十三半旅団を閲兵した時、優秀な兵士だと紹介されたから覚えてる」


「相変わらず君は記憶力がいい」


「……」


ボナパルトは菓子を頬張った。美味しいには美味しいが、口の中が乾燥するので何か飲み物が欲しい。


「街の様子と兵士の様子はだいたい見て回ったな……あの兵士は君に気づかなかったな」


「まさか最高司令官が変装して街を歩いてるとはそうそう思わないものでしょ」


「確かに、今の君は目つきの悪いガキにしか見えない。お腹空かせてると思われてお菓子を恵んでもらうぐらいのな……」


「ふん……」


 ボナパルトは不機嫌そうにそういったが、兵士が一般市民に友好的に接しようとしているのは良い兆候だった。高圧的に接して揉め事を起こされると困ったことになる。当面はここに駐屯するのだから、対立はないほうがよい。


 いくら規律を保てと命令したところで、兵士たちが指揮官のいないところでどう振る舞うかは分かったものではない。見張っている者がいるところではどんな人間でも善良を装える。兵士を取り締まるべき上官が、自分の管理不行き届きを叱責されることを恐れたり、部下への「温情」から不正を隠蔽するということも十分考えられる。結局は自分の目で見て、肌で触れるほかないのだ。

 

 そう思うからボナパルトはわざわざ自分で街の様子を見に来るのだった。



「街の様子はどうだった」


「流石に『王都』だけあって、他の都市よりも立派なものだわ。人口も十万かそこらはいるように思う。兵士たちの住むところは、いっぱいいっぱいだから、そのうちいくつかの部隊は近くの村や町に分散させることになるでしょうね。物流もいまのところ再開できているようだし。統治に支障がなさそうでいいスタートよ」


「それはよかった」


ボナパルトは懐から懐中時計を取り出した。


「……そろそろ王宮に戻るわ。クルーミルと諸侯を集めてこれからの事を話さなきゃ」


「ああ。そうだな。大変だな君は」


「そう思うわ。イタリア遠征の頃だったら、ここまで考える必要はなかったもの」


昔戦ったイタリアでは軍資金や物資、補充兵、外交、それなりにやる必要があったが大部分は政府の役人たちが頭を抱える問題だった。それがここでは全てやらなければならない。


「君の手腕に、俺たち全員の運命がかかっているからな。頼りにしているよ」


「わかってる」


二人は石畳を踏みしめながら、王宮へ通じる緩やかな坂道を登り始めた。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  最新話、拝読いたしました。  占領軍と被占領地の住民の対比、とでもいうべき描写がとても上手く書かれたお話でした。  私たち読者はどうしても「英雄ナポレオンの軍」として認識してしまいます…
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