第三十九話 前へ進むこと
包囲されたオーロー宮から、救援を求める十二人の使いが出された。一度に全員を送り出すのは危険だったので、時間をずらして送り出される。使いの一人、大商人ネーヴェンの息子リニーヴェンが秘密の抜け道を使って王宮の外に出たのは、ちょうど日が上り切り、下り始めようとした頃だった。
リニーヴェンがじめじめする抜け道を伝って出た先は、牛小屋の中だった。
「こんなところに通じてたんだ……」
少年は服の内側のポケットに隠した手紙を確かめた。ポケットは縫い付けられて、一目みただけでは何もないように見える。これを確実に『王都』にいる女王と王の友の下へと送り届けねばならない。もう一つ、内側に隠しているものがある。王宮を出る前にコンテ先生が渡してくれた、フランス製の拳銃である。弾は一発分しかないが、いざという時には何よりも武器になるだろう。それに、銃を持っていれば『王都』に駐屯するフランス軍にリニーヴェンが本物の使いであることを証明してくれるに違いない。
牛小屋から出た彼は、まずは自分の家に向かった。『川辺の都』の中でも有数の豪邸である。都の要所要所では武装した兵士たちが巡回して、遠くからは銃声と叫び声が聞こえてくる。皆、騒動を恐れて人通りは少ない。
反乱軍の兵士たちが通りの向こうからやってきた。馬に跨った兵士が一人、歩兵が八人である。馬には何かが括り付けられていて、引きずられていた。人間だ。その衣服からして、フランスの兵士だろう。リニーヴェンは全身に汗が噴き出るのを感じた。もし自分が捕まり、手紙を見つけられたら自分もあのように殺され、引きずり回されてしまうのだ。自分がやろうとしていることが何なのか、覚悟を持っていたつもりだったがいざ目の前にそれを突き付けられると、心臓が暴れ出すのを抑えることができなかった。
少しして、心臓が収まってからリニーヴェンは早足で屋敷へと駆け、馬小屋へと急いだ。
「坊ちゃん。お戻りでしたか。これはよかった。外の騒ぎを聞けば、兵隊共が宮殿を襲うのだと騒いでいるじゃありませんか。私は心配で心配でなりませんでしたよ!」
姿を見るなり、やってきたのは馬の管理をしている召使のホアートという中年の男で小太りで愛想がよく、馬の世話がとてもうまい男だった。
「ホアート、ボクの馬を出してくれ。それと外衣も」
「何事ですか坊ちゃん。今外に出られるのは危険ですよ」
「『王都』まで行かなきゃいけないんだ。頼む」
「ああ。いけません。旦那様が心配されます。外は殺気だった兵士たちでいっぱいです。ご用事ならどうぞ召使にお任せください」
「ダメだ。これはボクが引き受けた仕事なんだ。父上は商人たるもの、仕事を引き受けたからには、名誉にかけて果たさなければいけないといつもボクに言っている。みんなの命がかかってるんだ。この家の運命も。だから行かせてくれ」
「……承知しました。聡明な坊ちゃんのことです。きっと無事に戻ると信じております。旦那様には私からお伝えしておきます。お叱りを受けるでしょうが……」
「ありがとう。いつもボクのわがままを聞いてくれて。父上には事情を書いた手紙を用意している。これを渡して」
「承知しました」
しばらくしてホアートは馬を連れて来た。
「よし。行こう!」
リニーヴェンは馬の腹を蹴って、屋敷から駆け出した。
『川辺の都』には大門のほかにもいくつも住民や商人が出入りする市門が存在する。門はそれぞれ都の職人組合が雇う衛兵や貴族たちの私兵によって管理されている。
「止まれ。どこの人間だ。検めるぞ」
衛兵の一人がリニーヴェンを呼び止める。
「ネーヴェン商会のリニーヴェンだ」
「これは失礼しました。どうぞお通りください」
衛兵はリニーヴェンの荷物を確認するでもなく、身体を調べるわけでもなくあっさりと通した。
「隊長、なんであの小僧を調べもせずに行かせるんですか?サーパマド伯は厳重に取り調べろって命令してきたんじゃ」
その様子を見ていた衛兵の部下が尋ねる。
「お前。俺たちはどこの組合だ?」
「どこって、盾職人組合ですよ」
「その盾職人組合の後ろにいるのは誰だよ」
「そりゃネーヴェン商会ですよ。……ああ」
「サーパマド伯とその家来どもが女王とこの都で争うのは勝手だがな、この市門は俺たち盾職人組合の管理下にあるんだ。俺たち組合にとっては伯よりもネーヴェン商会との関係のほうが大事なんだ。そういうことさ……それに、伯はこの国をよそ者とその操り人形になった女王から取り戻すなんて言ってるが、これは反乱だ。反乱に手を貸したやつは縛り首だぞ。俺は付き合ってられないね……」
「隊長はサーパマド伯が負けると思ってるんですか?」
「知らんよ。だが、伯だろうが女王だろうが、この都をどうこうしようってのに、俺たちに話一つ通さないヤツが勝つなんて気に食わんね……」
市門を出てリニーヴェンは馬を走らせた。重苦しい空気から解放され後ろへと吹き抜けていく風が心地よく、心も弾む。あとはニ日ばかり馬を走らせればよい。乗り慣れた栗毛の愛馬は一定のリズムで進んでいく。任務の重大さを思えば心は深く重くなるが、大人たちの世界に足を踏み入れて外の世界へ駆け出した事にリニーヴェンの冒険心で弾んでいた。
日が落ちる頃、リニーヴェンは大街道沿いの小さな村に立ち寄った。月明りを頼りに夜通し進もうとも考えていたが、空には黒い雲がかかってしまい真っ暗闇になっている。
大街道沿いの『川辺の都』と『王都』の中間地点の村といえば、小さくとも人の往来は多く、行商人や旅人が頻繁に通るので、村人は大抵、自分の家の一角を客人用にあけておいて、宿泊料をとって収入にしていた。リニーヴェンを泊めてくれたのは羊飼いの老夫婦の家で麦の粥と干し肉のささやかな夕食を提供してくれた。
「さてお若いのが一人で旅をしているのは珍しいの。前にこんな子供が来たのはいつだったかな。ああ、去年だったか。たしか金物職人の見習いと言っていた。君もそんなところかな」
「ええ。そうです」
「『王都』のほうはいま、女王陛下が戦をなさっているじゃろうて。大勢の異国の、なんといったかな。フー……フラーンク……」
「フランスですか」
「そう、フランスとかいうところから来た兵隊が大勢ここを通って行った。見たことも無い恰好をして、騒ぎ立てて。でも、彼らは何も盗らなかった。前にダーハド王の兵隊が来た時には、羊を何匹か取られてしまって、食べ物も持っていかれてしまったわ……」
「大変でしたね……」
「なに、この年まで生きているとそういうことは何度もある。戦があれば、踏みつけられるのは草じゃ」
「ええ……」
リニーヴェンは思い出す。数年前のクルーミルとダーハドの争いの始まりを。馬車に乗り、戦乱から逃れる途中の事を。ひどく揺れた馬車のことを。放たれた矢が、母親の胸を刺し貫く瞬間を。流れ出るその赤い血のことを。温和な父の空を引き裂くような叫び声を。
「若いの。疲れておるのか? 休むと良い。干し草と、毛布ぐらいしかないが外で寝るよりは良かろう」
「……ありがとうございます。夕食。美味しかったです。そうします」
老夫婦に一礼して、部屋に行き干し草の香ばしい匂いの中に身を横たえると、途端に睡魔が襲ってきて谷底へ落ちるようにリニーヴェンは眠りへと転げていった。
翌朝。鶏の鳴き声でリニーヴェンは目を覚ました。行かなくては!
まだ薄暗い、白み始めた空を見ながらリニーヴェンは身支度を整えた。起き出してきた老婦人が心配そうに声をかける。
「こんなに朝早くにどうしたんだい。朝ご飯を食べておいきよ」
「ありがとうございます。でも、行かないと」
老婦人が引き留めるのを丁寧に断わり、馬に跨る。それなら道中で食べると良いと老婦人は干し肉を持たせてくれた。馬に合図を送り、リニーヴェンは村を飛び出す。一刻でも早く、時間は無駄にできない。
「リニーヴェン。リニーヴェン。急げ、急げよ……」
自分に言い聞かせながら馬を走らせる。喉が渇くが水筒の水は飲み切った。水を汲む時間も惜しい。干し肉も提げたままで口にしていない。食事する暇などない。とにかく早く、早くいかなければならない。
ふと馬が足を止めた。疲れたのだ。見渡せばあたりは夕焼けで赤くなっている。
「シャーン。疲れたのか。しょうがない……」
リニーヴェンは馬から降りて、小川を探した。喉がカラカラに乾いていたし、空っぽの腹が内側から身体を蹴とばすように抗議していて、食事したくなった。
小さな小川を見つけると、馬と共に水を飲んで渇きをいやし、持ってきた硬いパンを水でふやかし、干し肉と一緒に食べた。
「……明日の昼には着くかな」
一休みを挟んで、リニーヴェンは再び馬に跨り、日が沈むまで馬を歩かせ、道中の村に宿泊した。『川辺の都』より『王都』に近く、村は昨日の村よりも大きく、大きな酒場兼宿があった。しかし『王都』が包囲戦をしているせいで主客である旅人も商人も無く、客はなかった。
痩せた店主は子供が一人で店に入ってくると顔をしかめたが、銀貨をテーブルに差し出してみせると途端に愛想を良くして、柔らかいパンとミルクに野菜のスープを用意してくれた。リニーヴェンは疲れた胃にそれらを流し込んでいった。食べなければならない。体力をつけて、朝早くに出発しなくてはならない。
そこへ、腰に剣を下げた男たちが二人乗り込んできた。
「店主。不審な者がこなかったかね」
乗り込んできた男の一人がそう言った。
「いいえ。今日は客といえば、そこの子供だけです」
「そうか。では食事を貰えるかな。葡萄酒はあるかね」
男二人はそのままリニーヴェンの向かいの椅子に腰かけた。一人は身なりが良く、貴族で、もう一人はその従者だろうとリニーヴェンは見当をつけた。このあたりにうろついている貴族。はたして女王の味方だろうか、それとも敵だろうか。
「君。一人で旅をしているのかね」
おそらく貴族であろう若者がリニーヴェンに声をかけた。
「はい」
「このあたりは戦場に近いが、こんな時期に旅を?」
「ええ。北のほうに行くのです」
「子供が旅をしているということは、君は街を渡り歩く職人見習いかね? どこの組合だね」
「いいえ。職人ではありません」
「……身なりを見るに、放浪者というわけでもなさそうだね。外につないでいた馬もよく手入れされている。その外衣も……みたところ、北の『鉄の街』の、上等な衣と見た。君はどこかの貴族か、あるいは大金持ちの子弟と見たが、どうだね?」
この貴族が味方か敵か分からぬまま、身分を明かすのは危険だとリニーヴェンは思った。
「お忍びで来ているのです。詮索はどうかご容赦ください」
「……はっはっは。いや、これは失礼した。名乗らずに尋ねるのは無礼だった。私は剣のサオレ。サーパマド伯の命によって、このあたりを巡回している」
敵だ! リニーヴェンは全身の血が逆流するのを感じた。
「実は、伯は女王を騙るクルーミルとその一党に対して『川辺の都』で正当な戦いを挑んでいる最中でね。ダーハド王がクルーミルとその一党を戦場で破り、逃げのびて来たところを伯と挟み撃ちにしよう……という算段だ。『川辺の都』のクルーミル一党が事態を知らせる使いを『王都』へ送るのを警戒しているのだ。既に道中で二人ほど、その使いと思しき男を捕らえているしね……」
剣のサオレと名乗った若者はニコニコと笑顔で話を続ける。
「そんなわけで一応、君の素性も聞いておきたいんだ。他の誰にも話さないと剣にかけて誓おう。教えてくれまいか」
「……北のサッソールト商会の者です。秘密の商取引の手紙を運んでいました」
リニーヴェンは咄嗟に北方の商会の名前を出した。貴族であると偽るのは危険だった。商人と名乗ったほうがまだ通る。父ネーヴェンのところに取引にきたことがある商会である。
「サッソールトの! ああ、なるほど。そういうことですか。して、サッソーネン親方はお元気ですかな。私の剣を打っていただいたこと、今も感謝しているとお伝えください。近いうちに美酒を持ってお伺いすると……」
「ええ。わかりました」
話を切り上げて立ち上がろうとしたリニーヴェンの左手を剣のサオレが握った。
「おかしいですな。サッソーネン殿は何年も前に亡くなっているはずですが。サッソールトの人間で親方のことを知らぬ者がいるはずがない。さて、もう少しお話してもよろしいかね……」
剣のサオレの笑顔は消え失せ、冷たい戦士の顔になっていた。
「ぐっ……」
右手で素早く腰の短剣を抜き、手を掴んでいる相手の手へと振りおろす。しかし剣のサオレは俊敏な身のこなしでそれを避けて腰の剣を抜いた。
「剣を抜いたな! 少年。これで君はこの場で斬られても文句は言えないぞ」
相手は武芸に秀でた貴族。剣で挑めば万に一つも勝ち目はないだろう。しくじった。多少無理があってもしらをきったほうがよかったのかもしれない。リニーヴェンは嘘が下手くそな自分を悔やんだ。
短剣を思い切り投げつける。キン、と金属音がして短剣は相手の剣に弾かれた。
「甘いな!」
短剣を弾いた剣のサオレは、次の瞬間にその動きを止めた。
少年の手に見慣れぬものが握られている。金属の筒のようだ。
「これは銃だ。フランス軍の武器だ!」
リニーヴェンは叫んだ。王宮を出る前に護身用にとコンテが渡してくれた拳銃が握られている。
「あの音と悪臭の武器か!」
「動けばあなたの頭を打ち抜く。行かせてくれ」
「……少年。できるのかね」
「なに……」
「君は戦士でもなければ、騎士でもない。人を殺す覚悟が君にあるのかね」
「……」
「私は君を殺せるぞ。君が敵の使いかもしれないからではない。君が剣を抜いたからだ」
リニーヴェンは全身の血液が信じられないほど熱くなるのを感じた。呼吸が乱れ、喉が渇く。撃たなければならない。自分はなんとしても、手紙を届けなければならない。自分の働きに、オーロー宮の人間の運命がかかっているのだ。この人に恨みがあるわけでもなければ、憎いわけでもない。ただ、そこにいるから。ただ、自分の邪魔をするから。それだけの理由で殺そうとしている。なんてことだ! 自分がやろうとしていることは、こういうことか!
脳裏に浮かぶのは、コンテの顔だった。知らない世界の事をたくさん知っている先生。フランスの人々は、ボクたちに新しい世界を見せようとしている。それを、サーパマド伯は奪おうとしている。
父さんは、ボクが死ねば悲しむだろう。母さんが死んだときのように。あの優しい父親を悲しませたくはない。自分は生きなければならない。
目の前の人間が阻むというのなら。
相手が倒れ掛かるように剣を振りかざした瞬間、指先に力がこもった。耳をつんざく轟音が響いた。火花の赤が飛び散り、白い煙と鼻を刺すような臭いと、腕の痺れが同時に襲ってきた。
「うぐっ……」
剣のサオレは自慢の剣を取り落とした。右腕がだらりと垂れ下がり、血が滴っている。
「貴様!」
従者の男が剣を抜いた。
「動くな! 動くともう一発撃つぞ!」
リニーヴェンは叫んだ。この銃は一発撃てば再装填の必要があり、連続して撃つことはできない。しかしそのことを相手は知らなかった。
「ぐっ……」
「来ないでくれ。その人の手当をしてやるんだ……ボクを追いかけるんじゃない!」
リニーヴェンはそう言って宿を飛び出した。追手は今はないが、あの貴族の部下があの従者だけとは思えない。すぐに追手がかかるだろう。今のうちに遠くへ行かなくてはならない。馬を連れ出して、走らせた。
人を傷つけた! 馬を走らせるリニーヴェンの心はそれで一杯だった。誰に強いられたわけではない。自分が買って出た役目だった。自分で望んでこの役目を引き受け、それを果たすために自分は人を傷つけた。言い訳はいくらでもある。そうしなければ自分が危なかった。そうするのが自分の役目だったのだ。そうしなければならなかった! そうしなければ先生たちを助けられない! ボクはそれを引き受けたのだ。けれども、もっと自分が上手であったなら。もし上手な嘘をつけていれば、あの人は傷つかずに済んだだろうに。自分が宿などに立ち寄らず、野宿していれば。……自分を正当化する気持ちと、自分を責める気持ちとが心の中で荒れ狂う暴風のように吹き乱れる。
ふと、頬が濡れていることに気が付いた。身体が濡れているのに気が付いた。雨が降り始めたのだ。やがて雨は勢いを増し、滝のように降り注ぎ始めた。リニーヴェンはむしろこの雨が心地よかった。いっそ、徹底的に打ちのめされたほうがよかった。
激しい心労と雨にさいなまれてリニーヴェンは一瞬、時間が飛んだように感じた。いつの間にか、空は白み、夜が開けているようだった。夜通しシャーンは歩き続けてくれていた。
「シャーン……ごめんよ」
身体がまるで焼けた鉄を流し込まれたように苦しく、重かった。一瞬、頭が真っ白になる。眠りそうになっていたのだ。一瞬、また一瞬、意識が飛び飛びになる。一晩中、雨に打たれて馬に跨っていれば、どんなに意識を強く保とうと思っても、身体が言うことを聞かなかった。
「行かな……きゃ」
人を傷つけてまでそうしたのだから、やり遂げなければならない。
「行か……なきゃ」
自分の声すら、もう耳に届かない。
次の瞬間、リニーヴェンの意識は白く染まった。
次の瞬間、リニーヴェンが最初に見たのは、輝くように明るい金の髪だった。燃えるように赤い瞳と目が合う。とても懐かしい気がした。
「……母さ……ん?」
凄まじい倦怠感で身体を起こすことができないが、自分はその人の膝を枕に寝ているようだった。がたがたと身体が揺れている。
「ここは……貴女は?」
「気が付いたようですね。無理はしないで。私はクルーミルです」
「女王……陛下! 陛下にお伝えしなくてはならないことが!」
「分かってます。あなたは立派に役目を果たしたのです」
優しい女性の声に、ついてくるように不機嫌そうな別の声が重なった。
「半分な」
リニーヴェンが顔を横へ向けると、座席の向かいには雨に濡れた捨て犬のようなぼさぼさの黒髪と、異様にぎらついて明るい青灰色の瞳を持った人物がいた。不機嫌そうに腕と足を組んでいる。
「あなたは……」
「ナポレオン」
「ナポレオン……王の友?」
「その通り。道に倒れていたお前を、クルーミルの巡回部隊が発見した。単なる行き倒れかと思ったら、フランス軍の拳銃を持っていたから詳しく調べた。そしたら服の中にこれを持っていた」
ナポレオンと名乗ったその人物は濡れてしおれた手紙を突き出した。
「お前が『川辺の都』のアビドードが送り出した使いであることは分かった」
「今すぐ、軍を都に……先生を助けてください」
「都に向かってる途中だ」
がたがたと揺れているのは、馬車の振動だと気が付いた。
「あなたが二日で手紙を運んでくれたおかげです。詳しく話を聞きたいので、我々の馬車に乗せました……
お話できますか?」
「ボクは……未熟者です。自分には上手く出来ると思ったのに……」
少年は涙が溢れるのを止められなかった。
「子供が敵中を駆け抜けてくるのは無茶だ。お前は子供だ。自分に出来る事と、できない事の区別がつかないのだからな。だが、それが子供の特権だ。大人がやらないから、子供がやる……お前はやり遂げた。……半人前にはなれたと思っていいわ」
ボナパルトは腕を組んだまま、そう告げた。クルーミルが翻訳してそのことを伝えると、リニーヴェンはもう一筋涙を流した。
窓ガラスを打つ雨音のほかにもう二つの音がある。一つは地鳴りのような足音だった。ボナパルトが直接指揮する一個師団、五千人の男たちが土砂降りの雨の中、水を跳ねのけながら夜通し歩き続けている音である。もう一つは、その彼らが夜通し眠らずに歩くために声を上げて歌う、彼らの軍歌だった。
「武器を取れ 市民よ。隊列を組め、進もう 進もう。汚れた血が我らが畑の畝を満たすまで!」
フランス軍は猛烈な勢いで『川辺の都』へと取って返していた。