第三十話 遠き道、青の門
ボナパルトとフランス軍に遅れること八日、クルーミルはようやく軍勢を整え『川辺の都』を出立する算段を終えた。
女王に続く軍勢の総計は四千余り。鎧を身に着け、槍を主武装として敵部隊への突撃を得意とする重装備の騎士が五百。彼らほぼ全て、質の良い軍馬と装備を揃えられる、裕福な貴族である。彼らの大部分は街や村を領地としている。そのルーツは『草長の国』に代々住む貴族もあれば、クルーミルの父、統一王グルバスがこの『草長の国』を征服した際にやってきて、土地を与えられた者たちもいる。
身軽で弓と投槍を持ち、敵をかく乱することに長けた軽装備の騎兵が千五百。軽騎兵を担うのは、主に重装備を用立てられない下級の貴族と裕福な平民である。彼ら下級貴族たちの大部分は家畜を連れて広大な草原地帯に一定の領域を持ち、そこを移動して暮らす遊牧民たちをその基盤としている。弓を使い、敵を追い立てる戦法は彼らの伝統的な戦術である。
これに弓、槍、剣その他の装備を持つ歩兵が続く。歩兵の大部分は貴族である騎士たちの従者か、傭兵たちである。戦いを生業とする彼らは武具の扱いに長けている。特にこうした歩兵戦力はボナパルトが強く要望したもので『王都』を攻略するに際して切り込み隊の役割を果たす手筈になっていた。
城攻めが見込まれる以上、通常なら投石機や攻城塔といった城攻め用の兵器を製造する職人集団が呼ばれるが、ボナパルトが持ち込む大砲の破壊力を考慮してそういった集団は雇われていない。
本来であれば、こうした陣容に貴族たちが領地から集めて来た農民たちから成る徴集兵が加わって数を補うのだが、今回クルーミルは徴集兵を集めなかった。一つには、農民たちには農作業を優先させておきたいというのがあり、もう一つには、そうして集めた大量の農民たちの食事の面倒を見られないという懐事情の厳しさがある。
「姫様……いえ、女王陛下」
城門を出るクルーミルにアビドードが不服そうな表情で問いかける。
「本当に私の同行をお許しいただけないのでしょうか」
「貴族たちの忠誠心は、まだ定かではありません。私が兵を率いて都を離れれば、反旗を翻す者たちが現れるかもしれません。私が帰る場所を、私の基盤を安心して預けられるのはあなたしかいないのです。アビドード。私はあなたを誰より信頼しているのです」
「陛下……」
心配そうにクルーミルを見つめるアビドードにクルーミルは微笑みかけた。
「戦場には我が友がいます。心配は無用です」
クルーミルは従者の手を借りずに、ひらりと身軽に葦毛の馬に跨った。
「行ってまいります」
「……精霊の加護が女王陛下にありますように!」
アビドードはそれ以上の問答を重ねることなく主を見送った。クルーミルは昔から決心したことには頑固な節があるこれ以上問うたところで翻意はされないだろう。彼の不安は解消されない。戦場には女王の友がいる。その通り。彼女は強いのだ。もしボナパルトが女王を人質にして、己の覇権を唱えたら一体どうすれば良いのだろうか? 自分が傍に居れば、そのような狼藉から主君を守れるに違いないのだが。アビドードは首を振った。クルーミル様が信じると仰っている以上、それを疑うようなことはあってはならないのだ。
クルーミルの軍勢の歩みはフランス軍に比べれば非常に遅い。歩く速度などは変わらないが、軍隊の移動速度は最も足の遅いものに合わされる。軍隊において足が遅いのは馬車である。馬車が運ぶ物資は大部分が兵士たちの食料と軍馬に食べさせるまぐさであるが、これに武器や防具、その他生活必需品が積み込まれる。これに加えてクルーミルの軍勢に加わる馬車には、フランス軍には無いものがある。貴族たちの馬車列である。彼らは戦場にあっても不自由ない生活を送るために家具から調理器具、絨毯、下手をすれば絵画なども戦場に持ち込み、天幕に設えようとするのだ。ボナパルトから見れば、全く無駄な行為であり、軍隊の足を遅くするだけの不必要な積み荷である。フランス軍もかつてはそうした貴族たちの私物が軍隊に付き添っていたが廃止されていた。
ボナパルトからすれば全くの無駄であるこうした豪華な家具の数々は貴族たちからすれば一定の合理性を持ったものである。諸侯が一同に会する軍隊にあって、自らの財力と権力を他の貴族たちに見せつけ、威圧するのである。自分がどれほど裕福であるかを見せつけ、侮れない相手だと他の貴族たちに納得させることができれば、近隣の貴族たちとの領土争いや、子供の縁組といった社交を優位に進めることができる。逆に貧しく、弱いと侮られれば、近隣の貴族たちに土地を奪われたり、利権争いに破れる恐れがある。もし、女王に強い権力があれば、そうした争いごとに公平な仲裁を期待できるかもしれないが、現状、クルーミル女王の力は弱く、自分の身は自分で守るしかない節が強い。
そういったわけで、貴族たちの長く重たい荷物を運ぶための馬車が増え、それだけ隊列は長くのび、一日に移動できる距離も短くならざるを得ないのだった。
クルーミルの軍がようやく『川辺の都』を出発し、フランス軍に合流しようと進軍している中、フランス軍は『王都』をその視界に捉える距離になっていた。
「義父上、あれが『王都』ですか……」
ボナパルトの義理の息子、ウジェーヌが感嘆の声を漏らす。
「そのようね」
ボナパルトの燃え尽きた灰を思わせる青みがかった灰色の瞳には、そびえたつ山のように連なる、レンガの赤みがかった城壁と、ひときわ目を引く、遠方からでもその巨大さが分かる深い青色で塗られた威容を誇る城門が映っていた。
『草長の国』最大の都市『王都』――グルバスの言葉でグルバ・ダドシ・クルミルデュラ――『クルーミル王の都』である。