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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第三章『草長の国』戦争~いまから始める大陸軍(グラン・ダルメ)~
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第二十七話 王都への道

 王都への進軍。それがボナパルトとクルーミルの出した結論だった。オーロー宮に集った貴族たちが出陣を祝い、勝利を祈願する宴を催す中、命令を受けたフランス軍の騎兵部隊と先発隊は騎兵指揮官のミュラに率いられて、全軍の進路を確保するためにその日のうちには既に準備を整えて出発していた。




 翌朝、太陽が朝露に濡れた草を照らし出す頃、フランス軍――新たに名前を大陸軍に改めた――はテントを畳み、装備一式を身に着けて整列し、あらかじめ割り当てられた道路に沿って一路、王都を目指して行軍を始める。しばらく都にとどまっていたので兵士たちに力はたっぷりと蓄えられており、足取りも軽く、軍楽隊の奏でる太鼓のリズムに合わせて歩調の調子は良い。沿道には見物にやってきた町人や、近隣の農民などが揃い、三色旗を翻し、異国の装いをしているフランス兵たちにグルバスの言葉で励ましの言葉を投げかけた。フランス軍がこの地に来てからというもの、治安の維持には細心の注意を払っていたので住民たちはフランス兵たちに好印象を抱いていた。少なくとも、彼らが来てからというもの野盗の類は減っていたし、兵士たちはちゃんと飲み食いした分の代金を支払っている。


「大街道をムヌウとボン、レイニエの師団が進みます。その後ろに徴募軍が。街道……二線級の道路を使って、ドゼー師団とクレベール師団が。順路の道にはご命令通り、先遣隊をやっています。現在のところ、敵の姿は確認されていません」


 『川辺の都』の大門を出撃していくフランス兵たちを、護衛を連れ、馬に跨って監督するボナパルトにベルティエが報告する。ベルティエがもたらす軍の報告はボナパルトにとって目であり耳である。彼の情報にボナパルトは全幅の信頼を寄せていた。




 騎兵が脇を固め、街道の真ん中を縦列になった歩兵たちが銃を担いで進む。その後に大砲を引く馬と砲兵たちが続き、また歩兵が延々と続く。さらにその後ろには、軍隊相手に商売する者たちの一団が続いた。軍隊が移動する時、彼らは様々なものを売り買いする。兵士たち相手に食料や酒を売り、賭場を開いてやったり、兵士が戦場で拾った「お宝」を換金してやったりもする。兵士たちの衣服を縫ったり、洗濯してやる女たちもいる。中には兵士相手に恋人の代わりを務めてやる者もある。小さな街が丸ごと移動するようなものである。武器を持った荒くれものたち相手に取引する以上、商人たちも武装している場合がある。正規の軍隊とは戦えないが、酔っ払った男を叩きのめす程度の腕っぷしはあるものだった。


 ついてくる連中は基本的に勝手についてくるものだったが、今回ボナパルトは従軍商人たちの順番に序列をつけている。ボナパルトに金を貸している大商人、ネーヴェンの影響下にある組合や彼の口利きのあったものを優先して隊列に加えているのだ。金を借りている「出資者」への配慮である。



「ベルティエ。私たちもそろそろ出発するわ。護衛隊に支度させなさい」


「承知しました」


 ベルティエが伝令を呼びにボナパルトの傍を離れると、入れ替わるようにしてクルーミルがやってきた。


「もう出発ですか?」


「そうよ。私は軍の中央部で、全軍を監督するわ」


「お願いします。私の手勢が揃うのは、まだ日数がかかりそうです。」


「遅い……けど、仕方ないわね。行軍はなるべく急いで。『王都』で合流しましょ。城攻めになったら、貴女の鎧と剣を持った歩兵と騎士の、近接戦の強さをアテにするんだから」


「はい。お任せください。それにしても貴女の軍隊の素早さには相変わらず驚きです。貴女はまるで自分の手足のように軍隊を動かせるのですね」


「それだけが取り柄だもの」



 フランス軍はボナパルトの命令があればいつでも動けるように常に準備されている。彼女自身が常に軍隊を監督し、統率し、指揮している。兵士は下から上まで全てボナパルトの指揮下にある。


 これに対してクルーミルの軍隊は彼女自身の手勢を除けば大部分は貴族たちの連合軍であり、指揮系統も補給体制も統一されていない。『草長の国』の貴族たちは出陣の決定がされ、それから戦支度、というものであったから、どうしても後手に回らざるを得ない。ボナパルトは貴族たちの支度が遅いのに苛立ったが「明日行動する」と急に言われて「分かりました。支度できています」と答えろというのは無理な話であった。


 兵士だけでも何千、何万という人間がいる。彼らには食料も水が欠かせない。食料だけでも兵士一人には乾パン一ポンド、肉一ポンド、酒一パイント、重さにして一キロ半ほどの物資を必要とする。さらにこれに武器や弾薬、衣類、医薬品その他、人間が生きるのに必要な物資が加わる。数千、数万人を移動させるというのはそれだけで大変な事業である。


 物資を買い付け、それらを運ぶ馬を用意し、御者を雇わなければならない。それを手配する時点で既に時間がかかるのだ。戦が始まるとなれば、女王であるクルーミルは何日も前から陣触れを出して支度を始めさせる必要があったのだが、今回はそれを大幅に省略したため、即応できないのはやむを得ないのである。


 貴族たちに戦支度をさせる猶予すら惜しんで王都攻略の意を急に告げたのには理由がある。

 もし王都攻略の意志を告げて貴族たちに戦支度をさせれば、日数を要する。準備をすれば当然、王都にいる敵にもそれが伝わり、防御態勢をとらせてしまう。それを回避したかった。


 無論、クルーミルの意図が『草長の国』全土の奪還であることが明らかな以上、いつかは戦いになるので、常に警戒されているのだが、いくら注意を払っていても常に厳戒態勢を取り続けることはできない。兵士を常に兵営に詰めさせ、騎士たちに一日中甲冑を身に着けて平野に並べるわけにはいかない。


 いつ動くか、その意図を隠し、敵の不意を少しでも突きたかったのである。









 大街道を通ってフランス軍の兵士たちは前進する。これまでの砂利道や獣道のような道とは違い、しっかりと石で舗装された質の良い道路である。大街道の横にはゆったりとした川幅の広い大河が流れている。この河は地元の人々はサオレ河と呼び、『川辺の都』から『王都』をはじめ『草長の国』を貫く最大の河である。初夏を思わせる、まぶしいが苛烈ではない、いくらか手加減しているような太陽の光が兵士たちを照らし出して、無数の影を草原に落とさせていた。


「随分、急な進軍ですね」


「うちの司令官にはよくあることだ。水筒に水はちゃんと入れたか?」


「入れましたよ。半分飲んじゃいましたけど」


「馬鹿だな。まだ都を出て二時間も経ってない。次に水を補給できるかなんか、わかったもんじゃないぞ」


「そんなこと言ったって、次の休憩には川で水汲みぐらいさせてくれるでしょう?」


「さあな。うちの司令官は優しい時と厳しい時がある。イタリアに居た頃なんか、三日三晩ずっと歩き通しでみんな半分寝ながら歩いてたぞ。倒れないように腕を組んでな……」


「まさか」


「本当さ」


「ねえ、二人とも何を話してるの? なんて言ってるの?」


 口ひげを蓄えた古参兵のヴィゴと若いジャックの二人のフランス兵が喋りながら歩いている横から、

 二人の肩ほどの高さに頭がある、(とび)を思わせる暗い赤の髪と翡翠のように美しい緑の瞳を持つ少女、ワフカレールが割って入った。グルバスの言葉で喋る彼女の言うところを二人はよくわかっていない。


「こんなチビまで兵隊にして。司令官の考える事はわからん」


「部隊で飼ってる猫かなんかだと思いましょうよ」


「ハンドカノンを撃つ猫か? 物騒だな」


「ねえ。ねえ。教えてってば」


 グルバス語で喋りかけるワフカレールに辟易した顔でヴィゴはポケットにしまっていた手帳を取り出した。

 そこにはフランス語とグルバス語の簡単な翻訳が載っている。


 徴募兵たち一万の中でコンテが作った特製の小銃……木の棒の先に壺を思わせる小さな筒が付いたハンドカノンと呼ばれる類の銃を持った者が約一千。ヴィゴとジャック、第13半旅団の散兵中隊は徴募兵軍団の小銃組に射撃を教え、不足する火力を補うための特別部隊として『川辺の都』で徴募された兵士たちの間に交ざっているのだった。


「止まれ、撃て、点火、装填、……違う。黙れ……黙れはなんて言うんだ」


「ジャック。ねえ。ジャック、いつまで歩くの? どこへ行くの? ねえ。ジャック!」


 ワフカレールは担いでいるハンドカノンを杖のように地面に打ちつけながら二人に問いかける。


「ヴィゴさん、こいつずっと俺の名前を呼んでます。どうしたんでしょうね。喉が渇いてるのかな。お腹が痛いとか?」


「知るか。おい、銃を粗末に扱うな! 通訳はどこへ行ったんだ」


「通訳は先頭ですよ。中隊長に付きっきりです」


「ああ、クソ……あった、これだ。静かにしろ(スタ・タランクウ)静かにしろ……」


「静かに? あなたたち、時々グルバス語を喋るでしょ。本当は私の言ってることわかってるんでしょ? なんであんまり答えてくれないの? その紙はなに? それを見ると言葉が分かるの? ハンドカノン(これ)の撃ち方もっと教えてよ。私忘れちゃったの。ねえ」


「おい勘弁してくれ……」




 ヴィゴとジャック、それにワフカレールたちのいる隊列から少し後ろ、フランス軍の長い隊列の中央部をボナパルトが六頭の馬に引かせた赤色の馬車に乗って進む。周囲を五百人余りの護衛騎兵が固めている。護衛隊を指揮しているのはベシエール大佐で、彼はイタリア戦役の頃からボナパルトの護衛を務めている猛者だった。


「改めて見ると、景色も随分様変わりしたわね。忙しくて景色を見る暇なんてなかったわ」


 馬車の中でボナパルトは隣に控える義理の息子ウジェーヌに話しかけた。


「そうですね。上陸してから『剣造りの市』までは殆ど、地平線の向こうまでの草原と丘陵、まばらな林と程度だったのが、『川辺の都』の傍では小川が増えて、耕作地も多く見えます。あの、黄色になってるところがそうです。グルバスの人間は馬麦(うまむぎ)と呼んでるらしく、学者のサンティレールはグルバス麦と名付けてました。おそらくは小麦の亜種なんじゃないかって話でした」


「そう……」


「収穫の多さに驚いてましたよ。フランスの麦の倍は実を付けてるって」


「それは興味深いわね。持って帰ればフランスの食料事情も良くなるかしら?」


「ル・ペールの話ではおそらく土壌が良いのではないかという事でした。ここの土は非常に栄養があって、農業をやるには絶好の土地なんだとか……」


「ふーん。クルーミルが兄のダーハドと戦争をしてるのは相続争いだと聞いてたけど、ダーハドはこの土地の豊かさを欲しているのかもしれないわね。ウジェーヌ、よく勉強してるわ」


 ボナパルトはウジェーヌの頬を右手の親指と人差し指を使って軽くつねって、窓のほうへ顔を向けた。道から少し離れたところにある畑は黄金色に色づいて実を豊かにつけた穂が風に揺れている。もう少しすれば農民たちは収穫に忙しいだろう。多忙だが、苦労が報われる瞬間である。


 穀物の収穫の季節が近い時期が近いというのはちょうどよかった。この世界の軍隊の主力はなんといっても装備の整った騎士たちであるが、騎士だけで戦争はできない。大量の歩兵を投入する必要がある。その歩兵を担うのは、各領地から集められる農民である。農民たちはいつでも戦場に投入できるわけではない。農作業が忙しい時期になれば彼らを畑に返してやらねばならない。そうしなければ食料生産に致命的な問題が生じ、飢饉がやってきてしまう。収穫期に大軍を動かすとは考えにくいのだ。


 敵であるドルダフトンも条件は同じである。収穫が終わって、十分に食料を蓄え、農民たちを投入できるようになってから軍を動かす手筈だろう。「まさか」のタイミングを突けるならそれに越したことは無い。


 それを可能にするのは、農作業をする必要がなく、一年中季節を選ばず戦うことができ、司令官の命令があれば直ちに行動を開始できるような常雇いの軍隊。フランス軍と訓練した徴募兵たち、ベルティエを筆頭とした優れた軍組織であり、そうした組織があってこそこうした進軍が可能だ。だからこそ、この異国の地でも、火の車の資金繰りでも無理をしてでも常雇いの軍勢を整備する必要があった。ボナパルトは改めて自分が持っている軍隊の優位性を確かめた。とはいえ、常雇いは莫大な金がかかる。早急に王都を陥落させて、戦利品を分捕る必要があった。戦利品のための戦いとは! 大昔のヴァンダル人やヴァイキングを笑えないな。とボナパルトは苦笑した。しかし、自分もイタリアでは随分、各都市の財宝を革命政府に送ったものだった。莫大な税を負担させ、美術品をパリへ送った……ミラノ市民は憤慨して叛乱まで起こった。その過ちはなるべく繰り返したくないものだった。



「ありがとうございます。少しでも義父上のお役に立てるようにと思いまして。それに、植物は少し詳しいんです。母が花を育てるのが好きですから」


「ああ、そうね。ジョゼフィーヌ。いつも薔薇のいい香りがしていて、本当に、いい匂い。優しい、甘い、薔薇の匂い、穏やかな声…………あなたの声によく似ている……」


 小刻みに揺れる戦場へと向かう馬車の中でボナパルトは働きづめの間の僅かに生まれた自由な時間に、意識がふわりと浮かび上がるような感覚に陥った。眠りの神が呼んでいるのだ。何か異変が起こればウジェーヌが起こすだろう。もし彼が起こさなければ、ベシエールかベルティエが起こしにやってくる。


 徹夜で軍の支度を整えたツケの支払いを頭脳が要求している。ボナパルトは窓に身を預けて眠りへと落ちていった


 ウジェーヌはそっと自分の上着を脱いでボナパルトの膝に掛けた。




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