第二十四話 いまから始める大陸軍その⑥
ボナパルトが最初に流れ着いた浜辺に待機させていた部隊が続々と『川辺の都』に到着し始めた。
まず最初にデュマ将軍が率いる騎兵隊が入城した。彼らは上陸した時にはたいした数の馬を持っていなかったが、到着してからしばらく『剣造りの市』周辺の村々から馬を買い付け、三千人の兵士のうち、千人ほどは一応馬にまたがった騎兵らしい姿を取り戻すことができていた。
続いてボン、レイニエ、そしてクレベール。三人の師団長が率いるそれぞれ五千人前後の歩兵師団が『川辺の都』の大通りを靴を踏み鳴らし高らかに太鼓の音を響かせながら行進する。ボナパルトがフランスから連れて来た部隊にはもう一つ、デュガ将軍の部隊もいるのだが、彼らは浜辺と『剣造りの市』周辺を守るために残されている。クルーミルの領地であり一応安全と言っては良かったが、ボナパルトとしては本拠地と呼べる場所を空にするわけにはいかなかった。今は動かせないが、フランスに帰るためには浜辺に停泊している艦隊に万一のことがあってはならない。
後から後から現れてくるフランス兵たちを見て『川辺の都』の人々は驚いた。先に入城したボナパルトが率いていた兵隊も多かったが、今回はそれ以上の兵隊がやってきたのである。
酒場の主人たちは彼らが店に来ることを見越して酒の注文を増やすことにした。彼らにとって数千を超える若い男たちがやってくるのは商売のチャンスを意味していた。遠からず、彼らにくっついてた行商人たちもここにやってきて商売を始めるだろう。
しかし言葉が通じない男たちが次々にやってきて、居座るのは人々にとっては不安の種であった。特に若い娘を持つ父親などは家の窓にしっかりと木の板を打ちつけるのに忙しかった。母親たちも集って彼らがもし暴れだすようなことがあれば、家族を守るために武器を手にすることを話し合っている。都ではひそかに包丁から先のとがった木の棒などが売り買いされるようになった。ある男は河原で拾ってきた石を研いで木の枝に括り付けて売り出し、数日で一年は食っていけるだけの財産を築くことができた。
クルーミルに敵対する大部分の貴族たちはこの様子を不気味に見守っていた。
「あれがボナパルトの兵隊らしい。十万とは言わんが、二万はいるぞ」
「あの服。みな同じ服を着ている。全員にあれだけの服を支給するのは一体いくらかかっているのだろうか。一兵卒に至るまで靴を履いているではないか」
「ツォーダフ公もドルダフトン公もあの歩兵にやられてしまったことを思えば、厄介ですな……」
「あれを見よ、『大砲』が来る。二十、三十……五十以上はあるぞ」
「『日の住む大河』の向こうから湧いて出てきたこやつらは一体何者なのだ……」
各師団の師団長たちはボナパルトが構える屋敷に集結していた。
会議のために用意された大部屋で、一同は大きな花崗岩の表面を削って磨いて仕立てられた長方形の机を取り囲んで席についていた。一番奥には総司令官たるボナパルトが、余った軍服の袖をぶらつかせながら不機嫌そうに座っている。そのすぐ横にはベルティエが書類の束と共に控え、ボナパルトの席の後ろには、副官のウジェーヌをはじめ、幕僚たちが並んでいた。
椅子にはボナパルトから見て時計回りに、ボナパルトが最初から直接指揮を執っている師団を率いるムヌウ将軍、次に先の戦いで敵の側面を突いて勝利に貢献したドゼー将軍が。そしてボン将軍、レイニエ将軍、騎兵隊長のデュマ将軍、砲兵隊長のドマルタン将軍、最後にボナパルトの隣にクレベール将軍と続く。
「デュマ。報告書は読んだ。騎兵の数が足りていないようだな」
ボナパルトは集った諸将を横目にいきなりデュマ将軍を詰問した。
「はっ。軍馬の調達は困難を極めます。各村を回って馬を集めましたが、十分ではありません。質の良い軍馬はこの地域にかなりの数いるようですが、どれもこれも貴族連中の管理下にあり、我々には売らないようです。資金も不足しています。集めた千頭の馬は乗馬はできますが、戦闘任務に耐えられるかどうかは未知数です」
デュマ将軍は立ち上がって答えた。長身に加えて筋骨隆々とした彼が立ち上がるとまるで山が動いたような印象を与える。ボナパルトは目つきの悪い、と言っていいほどに青みがかかった灰色の瞳を細めて、デュマ将軍の上等な黒檀のような色の顔を見上げた。
「総司令官閣下にお尋ねしたい」
間に入ったのはクレベール将軍である。ライオンのたてがみを思わせるような、豊かな黒い縮毛を持ち、大きな額と、顔にある切り傷が最前線の強者であることを物語っていた。デュマ将軍ほどではないが、彼もまた強靭な肉体の持ち主で、長い腕を持ち、ボナパルトに手を伸ばせばそのまま締め上げることもできそうだった。
「我々はエジプトを目指していた。しかし、不運なことにこのどことも知れぬ土地に流れ着いてしまった。それはやむを得ないでしょう。生きるために必要な物資を得るためにこの地の部族の王に協力するというのも仕方ないでしょう。しかし、あまり関わりすぎるべきではないと考えます」
「好む好まざると関わらず、我々はここにいる。我々が生き延びるために必要な物資を得るためにはやむを得ないことだ。将軍は何が気に入らないのだ?」
「物資はこの都までで十分手に入ります。これ以上進軍するのと、我々の生存とは関係ないように思えます。食料は買い付ければ良い。彼らが我々を攻撃してくるなら、容赦ない一撃を加えてやれば良い。そのための金は十分あったはずです。ところがあなたは限られた資金を食料の買い付けではなくこの地に武器の工場を作るために使い、現地で兵隊を募って訓練するのに使いきってしまった。はっきり言わせていただきますが、これから先は司令官閣下、あなたの個人的な冒険のように思える。あなたは、状況をいいことに、軍隊を私物化して個人的な征服を行おうとしているのではありませんか?」
「私は私が率いてきた兵士たちが生き延びるために全力を尽くしている。さらなる進軍は我々がフランスに帰るための手段でもある。クルーミルの話によれば、この地よりさらに東方に我々の船を動かす術を持った人々がいると言う。我々はさらに内陸へ、さらに東へ進むことで故郷に近づくのだ」
「それは詭弁ではありませんか。彼女らの言うことが真実である保証はどこにあります?我々は利用されているだけではありませんか。兵士だけではない。士官の多くも故郷に帰りたがっているのです」
「将軍の言うことには一理ある。しかしほかに手段はない。故郷に返してやりたいのは山々だ。だが船が動くようになるのはいつだ?明日か?来年か?じっとしていても状況は良くならない。将軍は私の行動を個人的な冒険であると言ったな……」
ボナパルトは一旦言葉を区切った。
「しかし私の野心はもう、君たちの望むものと区別つかないのだよ。君たちに改めて言っておく。道は二つだ。既に軍資金は枯渇した。私が使い切った。この上、この場にとどまり続けてじっとしていても帰れる保証はない。道の一つは、それでもこの場所にしがみつき、飢えに苦しむか、略奪を働いて現地の人間と敵対し、住民たちになぶり殺しにあいながらひたすら船が動き続けることを祈って過ごす道。もう一つの道は、私と共に三色旗を掲げて進軍し、敵を倒し、この地に平和と文明をもたらして英雄となる道だ。フランスに帰れるかどうかは定かではない。が、しかし私と共に来るものには栄光が待っている。征服? その通り。征服だ。しかしただの征服ではない。我々はこの地に新たな王国を築き上げる。かのアレクサンドロス大王が、ギリシャとペルシアを結び付け、ギリシャ文化とオリエント文化を融合させた新たな帝国を興したのと同じぐらい偉大な、文明と文明の融合を成し遂げようというのだ」
一同は司令官の発する言葉に愕然とした。デュマ将軍はその巨体を椅子に沈め、クレベールは口を開けたまま閉じるのを忘れてしまっていた。
「な、なんて奴だ。お前はこの状況を利用して、そんな冒険をやろうと言うのか……」
クレベールがようやくうめくように答えた。
「そうだ。だが私一人の冒険ではない。お前たちのためでもあるのだ。さて……将軍たちは私に何か不満があるような顔をしていたが、まだ何か言いたいことがあるか。私のやることに異議があるなら聞いてやる。軍を去っても良い。私に従わない者は私の軍隊には必要ない」
「…………」
「……将軍たちよ。解散してよろしい。夕食の時また会おう」
ボナパルトは二角帽を被ると幕僚たちを連れて会議室をあとにした。
「なんてやつだ。あいつは、自分の個人的な野心を我々の利益と一緒くたにして、我々を思い通りに動かすつもりだぞ。このままでは我々全員やつの冒険の生贄にされてしまう!」
残されたクレベールが怒気をみなぎらせて机を叩いた。
「では反乱でも起こしますか?」
向かいに座っていたドゼー将軍が、今にも火を放ちそうなクレベールとは対照的に凍ったような声で言った。
「それはできん。そんなことをしてもなんの解決にもならん。忌々しいが、やつの言う通りにするしかあるまい……」
クレベールは嚙み潰した苦虫を吐き出すように答えた。
「それが、あの人の恐ろしいところです」
ドゼーの一言に、全員がうなずいた。