第二十三話 いまから始める大陸軍その5.5
話の本筋とはあまり関係ない、描写不足かな、と思った部分を補った回です。
『川辺の都』から少し離れた草原地帯。現在そこはボナパルトの命令で募集された兵士たちの訓練場となっている。朝早くから兵士になりたての元農民や元町人の若者たちがフランス軍の指揮官たちに慌ただしく怒鳴りつけられながら列を成し、どうにかこうにか戦いのやりかたを伝授されていた。
「隊列を組め! 並べ! 並べと言ってるのが分からんのか! 勝手に列を離れるな! 座るな!」
言葉もろくに通じない若者たちを訓練するのは至難を極める。指示に従うかどうかもまちまちで、指揮官たちはそうした者を見つけては必死に列に並ばせ、歩調を合わせた行進を教え込もうとする。
兵士たちは数メートルの長槍を重たそうに持ちながら右往左往しながらどうにか列を組もうと動き回る。数百人単位の人間がのろのろと動き回るのは食中毒を起こした熊がのたうち回るような姿にも見えた。
急遽膨れ上がった一万に達しようかという徴募兵たち全員に武器と防具を調達することが間に合わず、中には着の身着のままでとりあえず列に並ぶ訓練に参加している者がいる。という有様である。
「お前たちは栄光あるフランス軍と戦列を共にするのだ。自らの力で暴君を打倒し、自由と平等を手に入れるための実力を備えることになる。軍務は自由な市民に与えられた義務であり、権利であるのだ。諸君は『草長の国』の同胞たちの権利と正義のために戦う兵士なのだ!」と、熱弁を振るって兵士たちの士気を高めようとする指揮官もいたが、この世界の若者たちには大して響いていないようだった。
「なんだっていい、ちゃんと金はもらえるんだろうな」
「武器も満足に揃ってないんじゃ、給料も怪しいぞ……」
徴募された兵士たちから返ってくるのはそういう反応である。
「長槍を持って、密集した隊形を組ませるようにしろ、と総司令は言うが、これは簡単な事じゃないぞ」
徴募兵たちの訓練を任されていたフランスのランポン将軍は予想以上の難事業に頭を抱えている。フランス軍はとうの昔に長槍で戦うことをやめた。マスケット銃と大砲で戦っているのだ。今更長槍で戦わせようにもその知識は失われている。クルーミルが連れて来た『草長の国』の騎士たちのほうがよほどこうした「古い」武器での戦い方を知っている。彼らの力も借りなければならない。
「長槍の密集陣形は一見、簡単に見える。人を集めて槍を突き出せば形にはなるからな。だが、それで使い物になるかどうかは別の話だ。彼らは戦場で騎士の突撃を受け止められなければならない。数百の馬と人間が殺意を持って押し寄せる様は、それだけで心をへし折る。逃げ出したい衝動に駆られる。それを抑え込んで、踏みとどまらなければならない。それだけの勇気と覚悟を備えるのは並大抵のものではないぞ。戦場で踏みとどまれるのは、恐怖を抑え込めるだけの訓練と経験を積んだ者か、己の命よりも大切な何かを持っているもの、あるいは、自分は死なないと思ってるよほど能天気なヤツだけだ」
訓練を監督していたクルーミル派の騎士の一人がそう告げる。ランポンは渋い顔をしてそれに頷いた。そしてもう一つ付け加えた。「死の恐怖を上回る熱狂を与えてくれるカリスマを持った人間に率いられている時」と。
長槍組が一生懸命隊列を組む練習をしている一方で、読み書きができる者たちを集めて結成された一千人ばかりの小銃組がある。
小銃組は百人程度の小グループに分かれ、さらにそれを三つに分割した組を作って、それぞれフランス軍の兵士から銃の扱いを習っている。戦場に出れば、彼らは長槍組の傍で射撃を行い、敵を倒す役割が与えられる。いわば、長槍組は盾で、小銃組が矛である。
フランス軍の散兵、ヴィゴとジャックは小銃組の一組の訓練が任された。散兵は射撃に長じているから。教えることもできるだろう。というのが任命の理由だった。
口ひげのある古参兵のヴィゴは整列する徴募兵たちを見て回った。それなりの身なりと服を着ていて、中には自前で用意した胸当てや兜をかぶっている者もいる。文字の読み書きができる程度には教育がある彼らはきちんと一列に並べるだけでも、長槍組よりは訓練しやすそうだった。
整列する徴募兵たちの頭の位置が最後の一人になると急に低くなり、ヴィゴは目線を下に落とした。
痩せぎすの、背の低い、鳶色の髪を持った子供がそこに立っていた。
「なんだお前は?」
ヴィゴは思わず声にだした。なぜ子供がこんなところにいるのだ?
「ジャック、こいつは?」
「ああ、今朝、部隊長が来て、この子を部隊に入れるように命令したんです。総司令官閣下直々のご命令だとか……」
問いかけられた若い兵士のジャックは答えた。その子供は一片の紙切れをヴィゴへと差し出す。入隊許可書のようだった。
「こんな子供が? 兵士に? 総司令官が? 通訳を呼べ」
しばらくして通訳が連れてこられた。
「こいつの名前は? なぜ軍に入った、聞け」
既に朝から兵士たちの言葉を訳して回っているせいか、通訳の男の声はカラカラにかすれている。
「あたしはワフカレール。お父さんみたいに世界を見たくて軍に入った!」
ワフカレール、と名乗る少女はニコリと笑みを浮かべてみせた。翡翠を思わせる瞳は磨き上げられたように
輝いている。
「……やれやれ」
ヴィゴは大きく息を吸い込んで、吐き出した。
しばらくして、全員に彼らには『剣造りの市』に建設されたフランス軍の工房で作られた、一メートルほどの棒の先に小さな鉄製の壺のようなものがくっついているような形をしている、原始的な銃の一種、ハンド・カノンが支給された。見るからに頼りない、見たことのない道具に一同は首をかしげる。
「これがお前たちの武器だ。見た目は違うが、原理は俺たちが持ってる銃と変わらん」
「まさか! こんな棒っ切で騎士と戦えっていうのか? 『斧打ちの国』の騎士たちを破ったというから、どんなに凄い武器が出てくるのかと思えば、こんな棒きれ? まだ豚肉を解体するナイフのほうが使えそうだぞ」
誰かが言うと、他の全員が口々に言い立ててた。もっとましな道具を寄越せ。と。
ヴィゴはそうした抗議の言葉を一切無視して話を続ける。
「銃の原理は単純だ。火薬を筒に入れ、爆発させる。その勢いで弾丸を撃ちだすんだ。お前たちが扱うのは火薬だ。火を近づければ爆発する。分量や手順を間違えれば、自分の顔や指を吹っ飛ばすことになる。指揮官の号令で決められた量、決められた手順で落ち着いて装填するんだ」
ヴィゴは支給されたマニュアルを開いて徴募兵たちにかみ砕いて銃の撃ち方を指南するが、誰も聞いていないようだった。
「これから実演する」
火薬を込め、弾を込めて、突き固める。そしてフランス軍のマスケット銃とは異なり、火縄で火薬に点火する。一瞬の間を置いて、雷が落ちるような爆音が響いた。鈍い音を立てて数十メートル先に置かれた標的の鎧が台座から転がり落ちた。命中したのだ。
「見ろ」
ヴィゴが穴の開いた鎧を見せると、徴募兵たちの間でざわざわと話し声が漏れた。
もしこの鎧を誰かが着ていたら、その人物の腹には穴が開くことになったろう。致命傷だ。
「この棒っ切にはこれだけの威力があるんだ。分かったか」
誰もが言葉をなくし、見る目を変えた。この棒っ切れは騎士の鎧を貫けるのだ。
「すごい! 撃ち方を教えて、もう一回やってみせて!」
ワフカレールが野ウサギのように興奮した様子で飛び跳ねてヴィゴに迫る。
「これがあれば、私もお父さんみたいな兵士になれるかな!」
それは初めてみる大道芸にはしゃぐ子供の喜び方だった。
ヴィゴにはワフカレールの話すグルバス語の意味が分からなかった。