第二十一話 いまから始める大陸軍その④
「面会? 誰が?」
「ネーヴェンと名乗っていました」
ボナパルトが尋ねるとベルティエはそう返した。
「ネーヴェン? クルーミル知ってる?」
「はい。確か、この都で有数の大商人です。川を利用した材木商で財を成して、今は金貸しもしているとか……」
「金貸し……」
ボナパルトは露骨に嫌そうな顔をした。ボナパルトには金貸しについて、貧乏人にも国王にでも平気で高利をふっかけて暴利を貪る、人の生き血をすするような嫌な奴であるという偏見がある。必要な人に必要な額金を貸して、返済の時になれば憎まれる。金貸しとしてはいくらなんでも恩知らずだろう、と言いたくなるだろう。
「金貸しの話はろくでもないわ」
「ですが、私たちだけでは必要な軍資金を用立てられません。どのみち、彼らにお金を借りなくてはいけません。向こうから会いに来てくれるというのは都合が良いではありませんか?」
「……ええ。確かにその通りね」
「女王陛下。お会いできて光栄に存じます。陛下の忠実なる民ネーヴェンが拝謁致します」
ネーヴェンと名乗るその人物は中肉中背で、年齢は四十を少し超えた程度のように見える。物腰の柔らかそうなほほ笑みから全体的に柔和な雰囲気が感じられ、商人ときけば冷血な守銭奴だという偏見を持っているボナパルトさえ彼のもつ穏やかな雰囲気を感じずにはいられなかった。右目に眼帯をつけ、杖をついていることからどうやら身体があまり強くないようである。金の刺繍に縁どられた服が彼が裕福であることを物語っていた。
「あなたを歓迎します。ネーヴェン」
クルーミルが人を惹きつける、と言ってよい笑みでそれに応じる。その横でボナパルトはぎこちない笑みを浮かべて見せた。
「フランスから持ち込まれた技術の数々や、先ほどのボナパルト殿の提案。私は感動しました。さすがは女王陛下。さすがは王の友。我々の想像もつかない力をお持ちだと。これらの技術が下々に広まった暁には、『草長の国』は、いやグルバス全土が富、栄える事でしょう」
「それで、ネーヴェン殿の要件は? まさか感動を伝えるために面会を申し出たわけではないだろう?」
長々と喋りだしそうな気配を感じたボナパルトが口を挟んだ。話をさえぎられてもネーヴェンはいやな顔一つみせず、柔和な笑みをたたえたままだった。
「では単刀直入に。私は女王陛下にミナル金貨五万枚を融資いたします」
クルーミルとボナパルトは顔を見合わせた。
「陛下の出された募兵の布告を拝見するに、この金額が必要であると拝察いたしました。必要とあらばそれ以上の資金を提供いたしましょう」
「生憎、必要な金額は今回の集会で集められる」
無論、これははったりだった。学校と教材を売り出す話で集められた額は十分ではない。商人の持ってきた話を素直に「それは助かります」と受け入れるよりはこうしたはったりをつかって有利な条件を引き出そう……というのがボナパルトの魂胆である。
「それはおめでとうございます。ですが、ボナパルト殿の兵を、確か三万人。これだけの兵を養い続けるには資金はいくらあっても良いと思うのですが」
ボナパルトはネーヴェンは自分の手持ちの兵をほぼ正確に把握している事に驚いた。この場には一万人しか連れてきていない。総兵力は機密中の機密である。諸侯のだれかが口を滑らせたのか。
「どこでその数を?」
「我々商人にはいろいろ情報源があるのです。この都にいるのが一万人。『剣造りの市』に野営している人数は二万。このほかにも浜辺に数千人。買い付けられる食料等の規模を把握することができれば、そこにいる人数を把握するのはそう難しい事ではありません」
ネーヴェンは容易く言ってのけたが、無数の商人たちの出入りや取引の規模を把握するというのは簡単な事ではない。それらを把握しているというのは相当な影響力の持ち主であるとボナパルトは理解した。
「恐れながら、女王陛下にはこれだけの大軍を養い続ける力は無いと言わざるをえません」
ついこの間まで滅亡寸前だった女王が街を二つ三つ取り戻したところで得られる財貨はたかがしているし、従えた諸侯は納税に納得したとはいえ、本来支払うべき額を満額支払うとは思えない。クルーミルたちの懐事情に余裕がないのはネーヴェンに限らず、少しでも金勘定の出来る人間には自明のことであった。
「よほどの高利か」
ボナパルトは意地悪く言った。信用の無い相手に金を貸し付ける、というのは言ってみればギャンブルに近い。それ相応の見返りを求めてくるだろうと踏んだのである。
「いいえ。利子は殆どいただきません」
ボナパルトにはいよいよもってこのネーヴェンなる人物の意図が分からなくなってきた。
「ではなんだ。何を見返りに望む? まさか慈善事業ではないだろう」
「統一王」
ネーヴェンは微笑みを崩さず、しかし断固とした声でそう答えた。
「私はグルバスの統一を望みます。偉大なる統一王グルバスの再来を。いいえ、それ以上の。より強い王を望みます」
「それはなぜですか」
虚を突かれて何も言えないボナパルトに代わってクルーミルが尋ねた。
「商人は平和を愛します。平和で安定した世界でこそ、我々商人は商いをし、儲けをだすことができるのです。女王陛下、儲けを生み出すのはなんだかお分かりですか。物の取引です。取引とはすなわち、ここにあるものを、あそこへもっていく。あそこにあるものを、ここへ運ぶ。ということです」
ネーヴェンは続ける。
「戦乱は非常に困るものです。戦禍で家が焼かれ、人々が苦しめば、モノを売るどころではない。商店は荒され、治安は乱れて盗賊が現れ、商品を運ぶのにも高価な護衛を雇わなくてはならなくなる。貴族たちはそれぞれの領地に通じる道を閉ざしてしまう。平和になり治安が回復されればこうした懸念から解放され、遠くまで自由に取引できるようになる」
クルーミルは納得したように頷いた。
「ちょっと待て。それならダーハドでもいいはずだろう。『斧打ちの国』のダーハドのほうが統一に近いのでは?」
ようやく復活したボナパルトが口を挟んだ。
「ご明察です。そう、確かにただ統一するだけなら女王陛下の兄上のほうがそれに近い。しかし我々は自由な交易を望みます。自由な交易には平和と安全のほかにもう一つ欲しいものがあります。ご存じの通り、私は材木商をやっています。ほかにも事業を手掛けていますが。森から切り出した木というのは大変重く、船に乗せて工房のあるところまで運びます。ところが、その水路はいくつもの貴族の領地を通ります。その都度、やれ通行料だ、安全保障税だなんだと言う税を二重、三重に取られるわけです。陸路も同様です。そのため産地から都市へ運ぶ間に費用がつもりにつもり、都市につくころには何倍もする。これでは我々商人としては儲けが出しにくい。非常に困る」
「つまり、ネーヴェン殿が狙っているのは国内の関税の廃止。そういう事か?」
「その通りです。これは我々ネーヴェン商会だけでなく、全ての商人、全ての民衆の利益にも合致します。ですが、ダーハドは我々商人よりも貴族の特権を守ることを優先しました。彼の支持基盤は貴族なのですから、当然ではありますが……」
「ナポレオン。この取引にどう応じるべきでしょうか? 領地を通る商人へ税を課すのは貴族たちの特権です。それを廃止するとなれば、貴族たちは私に抵抗するでしょう。しかし、私としてはこの提案を受け入れたいです。お金もそうですが、民衆の生活の向上につながりますから」
確かに移動するごとに通行税をとられ続ける状態が解消されれば商人たちは今まで以上に自由に交易ができるようになる。そうすれば商業は活性化し、品物はより安く民衆の手にいきわたるだろう。ボナパルトの頭脳は慌ただしく考え得る様々な場合を計算した。
「貴女がそうしたいなら、そうするべきよ。貴族の抵抗は軍隊で抑えられるし、課税特権と引き換えに別の特権を与えることで懐柔することだってできる」
ボナパルトは考える。国王の名の下に商人たちの権利を保障してやり、金銭を得る。その金を使って強力な軍隊を整備し、貴族たちを抑える。敵対する貴族を押さえつける一方で、国王に従う貴族たちは積極的に受け入れて王の手足として召し抱えて行政を担わせていく。飴と鞭の使い分けである。
ボナパルトとクルーミルの見解は一致した。
「ネーヴェン。あなたの提案を認めます。今すぐとはいきませんが、必ず貴族たちの特権を縮小し、貿易の自由を認めさせましょう」
「ありがとうございます。女王陛下」
クルーミルはネーヴェンの手を取った。
屋敷を出たネーヴェンは迎えに来ていた二頭立ての四輪馬車に乗り込んだ。
「お帰りなさいませ旦那様」
初老の従者が彼を出迎えて杖を受け取った。
「ご首尾はいかがですか」
「女王は私の提案を受け入れたよ。私の金貨の軍隊が、あの忌々しいダーハドを打ちのめしてくれるだろう。あの男に、私から妻を奪った報いを受けさせてやる」
表情は崩さなかったが、その瞳には先ほどまでは見えなかった憎悪の炎がほとばしっていた。