第二話 協力
ボナパルトは『草長の国』の女王クルーミルに当面、協力することを部下たちに宣言した。
「兵隊! 諸君らはフランス軍の一翼を担い、山で、平地で、都市で戦った。今やその武勲はかつて諸君らが手本とした古のローマ軍団でさえ、及ばない。兵隊! 君たちはこれまで無視されていたが、今やフランス全土が君たちに注目している。祖国に自由をもたらした勇者たちよ。諸君らの助けを求める哀れな人々に救いを与えようではないか!自由と平等をこの異郷の地にも、もたらそうではないか!」
浜辺に整列した兵士たちにボナパルトがそう演説し二角帽を高々と掲げて見せると兵士たちの間からどよめきが起こった。
「将軍万歳! 共和国万歳!」
兵士たちの多くはかつてボナパルトが勇名をとどろかせたイタリア遠征からの古参兵たちである。ボナパルトの行くところ、勝利と栄光が待っていると信じて疑わない。兵士たちはここがどこなのかよくわかっていないが自分たちの司令官がこの地で戦えと言うのだからそれに応じるのだった。あてどない船旅はもう十分だった。
クルーミルはボナパルトの横に立って興味深そうにその様子を見つめている。この背の低い、一風変わった人が声をかければ数千という男たちが応えるのだ。どうやら、本当にこの人がこの集団の長であるらしい。と判断した。
ボナパルトはクルーミルの手をとって精一杯の笑顔を作って見せた。
「この私が協力しましょう」
クルーミルはそのぎこちない笑顔に柔らかなほほ笑みをもって答えた。
フランス軍の総勢はおよそ三万三千。これに水兵や従軍商人、学者、密航してきた兵士の家族などを含めるとその数はもう少し増える。
ボナパルトはそのうちの五千人ほどを連れてクルーミルと共に彼女の村を目指すことにした。残りの陸軍はクレベール将軍に率いさせ、浜辺で野営地を建設するよう命じている。
一行は一面青々とした草原を進んだ。道らしい道はない。このあたりは辺境の辺境、未開の土地と言ってよいらしく、人家もなければ放牧地も無い様子である。ボナパルトには大自然の雄大さに感激するという感性は無かったので、広大な自然と地平線が広がっていても「これでは物資を徴発できない」という風情の無い感想しか抱けなかった。
ボナパルトはクルーミルと馬に二人乗りになっている。道中の時間、少しでも情報を得るためだった。
「挨拶は先ほどしましたが、改めて。私は『草長の国』の女王クルーミルです」
「……ナポレオン・ボナパルト。フランスの将軍」
「フランスというのは、どこの国でしょうか。南のほう? 不思議な見慣れない恰好をしているのですが、あの大河の向こう側には何があるのですか?」
興味津々、という態度であれこれ尋ねるクルーミルを、ボナパルトは半ば無視した。遭難していることや、この地のことを全く知らないといった自分たちに不利になりそうなことを一切隠し通す気なのだ。
「これから行く貴女の村はどのぐらい人がいるのです?」
ボナパルトは話題を転じた。
「数えた事はありません。私も少し前に落ち延びてきたばかりで」
「その前はどこに?」
「ここより五日ほど離れた都市『剣造りの市』にそれより前はさらに離れた都市に。それより前は王都にいました」
「戦いに負け続けてこんな道も通らぬ場所まで来たということですか?」
「残念ながら」
「追手がかかっているのでは?」
「そうかもしれません。村が発見されるのも時間の問題でしょう」
「敵の規模はどれぐらいですか?」
「『剣造りの市』に攻め寄せた敵は一万ほどでした」
「それは敵のすべての兵力?」
「いいえ。私と戦っている『斧打ち国』にはもっと多くの兵がいます。その数は草原を埋め尽くし、王都中の酒樽を一晩で空にするほどだとか……」
「もっと具体的に言ってくれ……あなたの今の手勢は」
「今は五百もいないでしょう」
ボナパルトは首を振った。水と食料欲しさに話に乗ってしまったが、どうやら相当追い詰められている連中らしい。
「敵の武器は? 大砲はどれぐらいある?」
「大砲? とはなんですか」
「……銃は?」
「銃?」
「あなたたちは槍と剣で戦っているのか」
「槍と剣と、ほかにも投石機があります。それに石弓と長弓。ですが何より戦士の血と精霊の加護で戦っています」
「あきれた」
「おかしいでしょうか? 貴女たちも剣を腰に下げ、兵は槍を持っているではありませんか。少し短く穂がないようですが……」
どうやら随分古めかしい土地にやってきたようだ。とボナパルトは首を振った。しかし、これならこれでやりやすい。
「分かった」
ボナパルトは質問を終えるとクルーミルから手を放し両手で手綱を握った。
クルーミルは国を取り戻すために私の軍隊を利用したいようだが、私としては水と食料が得られればこんな土地で見ず知らずの人間の戦争に付き合う義理などない。
連中の手勢は少数のようだし、水と食料を手に入れたらさっさとこの土地から離れ、エジプトに向おう。
ボナパルトはそんなことを考えていた。
陽が沈みかける頃、一行は村に到着した。村の人々は自分たちの女王が連れてきた見知らぬ一行を遠巻きに見物している。
歩き疲れたフランス兵たちは川や水汲み井戸に殺到して、音を立てて乾ききった喉を潤し、村の人々を驚かせた。
「村というよりは敗残兵のたまり場だな」というのがボナパルトの素直な感想だった。
「司令官」
参謀長のベルティエが駆け寄る。
「ここでは水は得られても食料は徴発できそうにありません」
「水があるだけマシだ」
ボナパルトは呟き、家臣たちと何か話しているクルーミルを忌々し気に見やった。
それに気が付いたクルーミルが鎧を着た家臣たちと共に近づく。
「ボナパルト、こちらが私の勇士たちです」
「頼もしそうで」
ボナパルトは出来る限り不機嫌そうな意思を込めてクルーミルの手を強く握った。
その手が強く握り返される。
「ボナパルト、水を提供します」
「それは結構。食料は?」
「それですが、我々と共に『剣造りの市』を取り戻していただきたいのです。お約束の食料はそこにあります」
「……」
ボナパルトとしては状況もよくわからぬまま現地の戦いに巻き込まれて貴重な兵士を失う気はない。
昼に兵士たちに宣言した事など本気ではない。今すぐ約束を反故にして村から物資を奪うべきか?
ボナパルトはクルーミルから目をそらしてあたりをもう一度見まわした。
村は見るからに貧しく、とてもたくわえがあるようには見えない。奪おうにも奪うものがない。
どうやら本当に彼女らに協力するほかに道がなさそうである。
「ボナパルト?」
「もちろん! 手伝いましょうとも。この私に二言はありません」