第十三話 勝利の先
なんかかっこいいサブタイトル考え付きたいですね
「随分、犠牲が出たようです」
血と夕日で朱色に染まる戦場をボナパルトはウジェーヌを連れて歩いた。
内臓や手足が散らばり、流血が小さな水たまりを作る。まだ息のあるフランス兵たちが仲間に抱えられて臨時に設けられた救護所へと運ばれていく。
雑多なテーブルを並べただけの救護所では軍医がのこぎりと止血帯を使って傷ついた兵士の腕や足を手早く切り落としていた。麻酔等はないので哀れな兵士は強い酒を飲ませてもらうか、木片を嚙まされるかしたあと、絶叫を上げてノコギリの歯が自分の肉と骨を切り裂く苦痛に耐えるほかない。
とはいえ、敵が銃や砲を用いないためそうした処置をされる者は数人で大部分は刀傷や矢傷の傷口に赤く熱された焼きごてを押し当てたり、針と糸で縫い合わされたりといった具合に治療される。
死体は一か所に集められて埋められる順番を待っている。死肉をついばもうとどこからともなく現れた鳥たちが上空で不気味に旋回して輪を作っていた。死体に用があるのは鳥だけではなく、近隣の住人たちもそうで、彼らもまた戦場の習わしとして死体の片付けを手伝い、死体が身に着けている装備品をはぎ取ってく。
「敵に奪われた大砲や銃はない?」
「大砲は全部あります。銃はわかりません」
「できる限り回収するように」
「はい」
ボナパルトは死体から装備や衣服、武具をはぎ取ろうとしている連中を指さした。
「フランス兵の死体を漁る連中を取り締れ」
「了解しました」
ウジェーヌが合図すると護衛の兵士たちが何人か死体漁りをする連中のところへ行きサーベルで追い出した。彼らは不満そうな表情をしていたが、やがて別の死体へと散っていった。
ボナパルトは戦いで最も損害を受けた第13半旅団の兵士たちがたむろする場所に来た。兵士たちは疲労困憊していたが、自分たちの司令官を見つけると整列して将軍万歳の声を上げた。
「よくやってくれた。君たちの勇敢さに私は満足している」
ボナパルトは兵士一人ひとりに声をかけ、手を握って励ました。どの手も煤と血で赤黒い。
「司令官閣下、我が隊の勇敢な散兵を紹介します。ヴィゴとジャックです」
ボナパルトの前に中隊に紹介された二人の兵士が進み出た。口髭を蓄えたヴィゴはいかにも古参兵という風でジャックと呼ばれたほうはまだ幼い顔つきが残る新兵という感じにボナパルトには見えた。
「彼らは我が隊が後退する中、二人で踏みとどまり、敵の突進を妨害しました」
「勇敢だ。本当に。君たちの名前と働きは公報に載せよう。全軍が君たちの名を知るだろう」
「光栄です」
ボナパルトは懐から小さなハンカチを取り出して渡した。
「君たちの勇気にこれを贈ろう」
「ありがとうございます」
ヴィゴは短く答えた。
ボナパルトは列をなした兵士たちにひとしきり声をかけた後、旅団長が居ないことに気が付いた。
「大隊長はどこだ?」
問いかけに若い士官が答えた。
「フロマン大隊長は負傷して運ばれました。我が半旅団は二百人を失いました」
「そうか……」
二百人。この戦いでフランス軍が失った兵士の大部分はこの第13半旅団の兵士たちだった。敵には五千ないし六千人の損害を与えて敗走させたと見積もられたのでこの損害での勝利は完全勝利と呼んでもよい比率だった。イタリアで戦っていたころのボナパルトならそう考えただろう。
しかし今は違う。今はただの一人さえ補充されない。戦列の穴を埋める代わりの兵士はいないのだ。
「諸君の勝利の知らせはただちにフランス本国に伝えらえる。諸君らの勇気と献身は元老院と五百人会で読み上げられ、人々は諸君らの偉業を歌うだろう!」
兵士たちに激励の言葉を贈ってボナパルトはクルーミルの陣営へと向かった。
「ヴィゴ、司令官のハンカチを見せてくれよ」
ボナパルトが去った後、ヴィゴとジャックの周りには仲間の兵士たちが集まった。
小さな赤い刺繍がついてる以外は特になんの変哲もない普通のハンカチだったが兵士たちにはそれは勇者の証だった。
クルーミルの天幕には多くの騎士たちがおしかけていた。騎士は必ずしも貴族ではないが、ここにいるのはほとんどが身分ある貴族だった。彼らは平時は領地を治め、戦時には兵を集めて集う戦う者たちである。
「女王陛下、此度の大勝利をお祝い申し上げます。精霊の加護が我らを守り給いました」
騎士たちはひとしきりクルーミルに勝利を祝う言葉を述べた後つぎつぎと自分の働きを言い立て、それにふさわしい褒美を与えることをクルーミルに求めた。彼らとしては、女王から与えられる褒美によって労苦と損失を精算しなければならない。
「諸侯の働きに感謝します。諸侯の正当な権利は女王の名において保障されるでしょう」
そこへ諸侯の間に体をねじ込んで強引にかき分けながらボナパルトが現れた。クルーミルが人の中で揉まれているボナパルトを自分の元へと引き上げる。
「皆さん、我が友ボナパルトが来ました。この戦いの戦功第一です」
クルーミルがボナパルトの手を取ってそう紹介すると、諸侯の間に流れる空気は一瞬、殺気を帯びたように変わった。
「これはこれはボナパルト殿」
「貴殿の兵の働きぶり、お見事と言う他ありません」
口には称賛が出るが、その声色と態度は歓迎とは程遠かった。
「ボナパルト殿、貴殿の兵はいささか風変りな武器をお使いになる。大砲と言いましたか。あの音、そしてあの威力……」
「それがなにか?」
「少々、戦の法に反すると思いましてな。あれでは高貴な者も卑しい者も区別つきません。誰彼かまわず殺してしまう。あれはよくないのではありませんか」
ボナパルトはクルーミルから通訳された諸侯の言葉に耳を疑った。
「戦場には身分など関係ないでしょう。あなた方も騎士を討ち取りそれを武功とされるでしょう……?」
「我々は貴族同士、正々堂々と戦う。貴殿はといえば平民の兵士に命じて、遠くから鉄球を飛ばして貴族を殺す。もっと清い戦いをしていただきたいものですな……」
「その通り。我々は精霊に清められた刃と矢で戦います。貴殿のそれは何ですか。臭く卑しい炎を吐きだす武器は」
ボナパルトは眩暈がした。
諸侯は口々にボナパルトに作法知らずの野蛮人、卑怯者、というような陰口をたたいた。クルーミルはそれを翻訳しなかったので、ボナパルトにはその意味は伝わらなかったが随分悪口が言われているであろうということは雰囲気で伝わった。
「このクソったれのバカ共……!」
連中がどういう常識や規範、美徳を持って戦おうがそれはボナパルトにとってどうでも良い。彼らが騎士同士の一騎打ちを良しとしようが、しまいが、自分は大砲を使って戦う。それは互いの文化の違いというものである。
しかし命懸けで戦った報いに罵声が飛んできて黙っていられるボナパルトではない。被っていた二角帽を地面にたたきつけてサーベルに手をかけた。それに反応して騎士たちも剣の柄に手をかける。
「ボナパルト!」
ボナパルトの右腕をクルーミルがつかんだ。
「抑えてください。どうか。私のために」
「くっ……!」
クルーミルはボナパルトの何もかもを焼き尽くしたような青みがかった灰色の瞳が高熱を発しているように見えた。
「…………」
感情が激発したボナパルトだったが、同時に彼女の理性は急速に冷えていた。
ここでこの傲慢な騎士共と事を構えたところで何が得られるだろう? こいつらを皆殺しにすることなど容易い。だがその後に何が残る?必要な物資をどうやって手に入れる? 我々には住民から物資を調達する大義名分がない。奪うしかなくなる。町の一つや二つを略奪するのは簡単だが、孤立無援の土地で住民すべてを敵に回せばいかにフランス軍が戦場で無敵でも未来はない。ここでやっていくにはクルーミルの助力が必要で、クルーミルには騎士たちの支えが欠かせない。ここは引き下がるほかなかった。たとえどれほど侮辱されても配下の兵士たちのためにもそうするほかない。
ボナパルトは歯を食いしばってサーベルから手を離した。
「諸侯、ボナパルト殿は女王陛下の友である。慎まれたい。諸侯も今日は戦の血と疲労で気が立っておられる。日を改めて功を論じましょう」
クルーミルの家臣、アビドードがそう言うと騎士たちもようやく口を閉じ天幕を出ていった。
「本当にごめんなさい」
天幕に二人残されるとクルーミルはボナパルトに謝った。
「戦場での私の騎士たちの独断専行。そして先ほどの騎士たちの態度。なんとお詫びしたら」
「過ぎた事はいいわ。これからの事を考えましょう。クルーミル、貴女はこの国を統一して安定した国を作るのが目標だと言ったわね」
ボナパルトは投げ捨てた二角帽子を拾い上げて被りなおした。
「はい」
「でも、貴女の力はまだまだ弱い。味方の諸侯を抑えることも覚束ない。戦場でこうなんだから、平和な時の宮廷でどうなるかなんてだいたい察しがつくわ」
「情けない事ですが、その通りです。私は父王の名と貴女の従える軍隊によって辛うじて彼らの協力を取り付けているだけの藁で編まれた玉座に腰かけてる女王にすぎません。友を侮辱されても、罰することができないほど無力です」
クルーミルは肩を落とした。
「私には力がありません」
「しゃきっとしなさい。貴女、国を統一するんでしょ。そのために私の力を借りたいんでしょ。私と一緒に仕事をするからには、泣き言は許さない。友を侮辱されて悔しいと思うなら、己の無力を嘆いてないで、それを力に変えなさい」
ボナパルトはクルーミルを抱きしめた。
「やる事は沢山ある」
クルーミルはボナパルトの背に腕を回した。
「ありがとう。私の友」




