表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第二章 『草長の国』戦争~川辺の都の戦い~
15/110

第十二話 川辺の都の戦い 後編

 太陽が最も高い位置まで上って、少しずつ落ちかける昼頃戦況は一変していた。クルーミルとボナパルトの『草長の国』の前衛部隊は恐怖を司る精霊のまばゆい光に晒されてパニックに陥っている。


 ドルダフトン率いる『斧打ちの国』の第三陣の騎士と歩兵たちは敗走する『草長の国』の兵士たちの背に容赦なく槍と剣を突き立てて仕留めていく。


 クルーミルの兵を援護するために突出していた第13半旅団は前衛にあってそれまで犠牲らしい犠牲を出さずに戦っていたが騎士の突撃を受けた。普段なら兵士たちは身を寄せ合って方陣を組み、銃撃と銃剣で騎兵の突撃に持ちこたえるが精霊の力が働いて増幅された恐怖を前に彼らは平静を失って

 敵から逃げ出して生き延びたいという本能に抗うことができなかった。




 熟練の散兵のヴィゴも恐怖に抗う事ができなかった。今すぐ銃を放り投げて走りだしたいと言う衝動が彼を襲う。それを身体が実行しようとしたその時、ヴィゴの体にジャックが縋り付いた。


「助けて! 助けて父さん!」


 ジャックは完全に恐怖で動転しているようで体が言うことを聞かず走って逃げることすらできない様子だった。強張る腕で必死にヴィゴにしがみついていた。


 洪水のように勢いづいた敵が迫ってきている。


「……」


 ヴィゴはマスケットの先に銃剣を取り付けた。






「前衛の第13半旅団が危険です」


「分かってる!」


 ボナパルトは苛立っていた。


「クルーミル、ドルダフトンって奴が使ってる精霊を止める方法はないの?」


「……いくつかあります。精霊に語りかけて説得するか、別の精霊を呼び出して対抗させるか。追い払う呪文を唱えるとか……」


「なんでもいいからやって!」


「わ、わかりました!」


 クルーミルはボナパルトから手を放し、彼女らの言葉で精霊に呼び掛けた。一定のリズムを持った歌い声のような音が紡がれる。



「ウジェーヌ!」


「はい義父……じゃなかった司令官閣下!」


「旗! 軍旗を寄こしなさい。ベルティエ、右翼のドゼーに攻撃に出るように伝令。護衛隊は出撃用意!」


「まさか閣下が前線に?」


「兵隊を呼び戻すのにほかに何ができるの?」


 ボナパルトは最前線へと馬を走らせた。


「待ってください!」


 ウジェーヌもそれに少し遅れて続いた。



「閣下、閣下が自ら前線に出るのは危険です」


「ウジェーヌ、戦いで一番大事なものが何かわかる? 士気よ。ではその士気はどこからくるか? 勢いよ。勢いが人を勇敢にも臆病にもする」



 戦いにおいて最も重要なのは兵士たちの戦場に踏みとどまり、敵と戦おうという意思、士気である。


 士気を作り出すのは勢いであり、この勢いが勝敗を左右する。勝敗を決めるのは兵の数でも武器の質でもない。それらは戦いの勢いを作り出す条件に過ぎないのだ。


 兵士たちに勢いを与え勝利を確信させることができればたとえ十倍の敵を相手にしても打ち勝つことができるだろう。


 逆に兵士たちが敗北の気配を感じ取ってしまえばたとえ百万の軍勢がいたところで勝ちを確信する

 三百の兵に敗走させられるに違いない。


「敵はわが軍の前衛を破った。勢いはいま、敵に渡ってる。これをひっくり返して兵隊を奮い立たせるには、私が先頭に立って見せるしかない」


「ですが万一、閣下に何かあれば全軍が崩壊しますよ」


「このままでも同じ事よ」




 ボナパルトは整列する第69半旅団の兵士たちの前に馬を進めた。


 兵士たちの目には不安と恐怖が満ちている。精霊の影響は薄れつつあったが、目前の味方が敵に蹴散らされたことで自分たちの劣勢を感じ取っていたためである。


 もし敗北すればどことも知れぬ異国の地では落ち延びることさえ不可能だろう。避けがたい死の気配に表情は暗い。


「兵隊!」


 ボナパルトのよく通る声が吹き抜けた。


「目の前で戦友が切り刻まれているぞ!私は彼らを救いに行く。お前たちの司令官を敵の手に委ねたくなければついてこい!」


 短くそう宣言するとボナパルトはそのまま馬を銃声の響くほうへと走らせた。護衛を務める兵士たちが黙々とそれに続く。


 フランス兵たちはイタリア遠征でボナパルトと長く戦場を共にしてきた。あの人の征くところ、必ず勝利が輝く。勝利、すなわち生存への希望。希望は兵士たちを奮い立たせ、心に垂れ込める恐怖の暗雲に差し込む光となった。


「見ろ、司令官が行くぞ!」


「進もう戦友よ」


 前進を躊躇していた半旅団の兵士たちが足並みをそろえて進み始める。次第にその歩みは早くなった。


 死に向けて兵士たちを前進させる事にかけてボナパルトは比類ない。





 ドルダフトンにとって戦況は好ましかった。『草長の国』の戦列は崩れ、突撃によって名のある騎士や百人以上の敵を打ち取ることに成功し、敵は敗走状態にある。



「御覧ください。白剣のドワモンド伯の首をあげました」


「ボナパルトとやらの部下が被っていた帽子を奪いました。奴ら、兜も用意できぬと見える」


「今一度の突撃で勝利は我らのものになりましょう!」


 騎士たちは意気軒高といった様子で武勲を報告する。



(けい)らの武勇は必ずや王に伝わるであろう。しかし落ち着かれよ。我が親しき精霊は去った。今日、また我々に味方してくれるかは分からない。敵の震えはじきに収まるであろう。ここは後続を呼びよせて隊列を整えてから進むべきではないか」


「む……」


「ドルダフトン公の仰る通りかもしれませんな。ここは一度馬を休めねば」


 騎士たちは疲労と敵を蹴散らして手柄を立てた事に大方は満足しているようでドルダフトンに従う態度を見せた。


 従者に水を持ってこさせ、血に濡れた剣や、敵に刺して折れた槍を取り換え窮屈な防具を緩めて一息つく。





 その時、雨季の平原に響き渡る雷の乱打のように激しい砲声が響き渡った。


「側面です!」


 それは『草長の国』の右翼を形成していたドゼー将軍の師団が前進する音だった。


 右翼の陣地は『川辺の都』の薪を取るために整備された森部分で、そこから散兵が中央に向かって前進する軍勢に散発的に射撃を浴びせる程度でいままで戦況に寄与していなかったことから、ドルダフトンは右翼には(大して)敵が配置されていないか、いたとしても攻撃に出ることはないと考えていた。






「味方の前衛が敗走した。ボナパルトは反撃に転じるでしょう」


 右翼を指揮するドゼーは副官に語った。彼はボナパルトが窮地に陥った時に取る戦法を熟知していたので司令官から命令が届くよりも先に行動を開始していた。追い詰められたボナパルトは決して怖気づいたりしない。むしろその逆で、敵に向かってとびかかるのだ。ボナパルトから反撃に出るようにと書かれた命令書が届いたのは師団が砲撃を開始した後だった。


 ドゼーは直接(敵)の前線を狙わず、前線を後ろで集結している敵の予備部隊を直撃することを選んだ。一気に戦いを決するのだ。





「敵は後方に回るようです」


「しまった。退路を断たれるぞ」


「慌てるな。背後には後詰の第四陣と第五陣の部隊がある。前面の敵はまだ後退中だろう。我々と彼らで小賢しい伏兵など挟み撃ちにしてやればよい!」


「公! 前方の敵がたて直して来ます!」


「なにっ!」


 我が精霊の(まじな)いを受けてこれほど早く立て直す事が出来た者などいない。やつらは物心両面でまだ怯えているはずだ、とドルダフトンは衝撃を受けた。



 フランス軍は司令官を先頭に戦列を組みなおして反撃に転じた。ボナパルトの掲げる三色旗が鮮明にひらめき、兵士たちはそれを目印に足を前へ前へと進めた。


 後ろから味方が前進してくるのを見て、敗走中だった第13旅団の兵士たちも勢いを取り戻し一人、また一人と集まって隊列を組み始める。自分の部隊が分からない者たちはそれぞれ近くの旗に集い、即席の戦列を形成する。


「あの後方の煙は、ドゼーだな」


「恐らくは」


「兵隊! 進め! お前たちの銃剣の鋭さを奴らに食らわせてやれ!」


 剣と盾、それに鎧に身を固めている敵に対して布の服と小銃で武装する兵士たちを接近させるのは

 敵に攻撃のチャンスをもたらし、味方を危険に晒すものだったが、この際それは問題ではなかった。

 百歩先からの銃撃よりも敵の喉元に突き付ける勢いこそ必要だった。


「フランス万歳!」


 兵士たちが口々に叫ぶ、恐怖を反転させて踏み越えた男たちの絶叫が大砲の音色よりも高くこだまする。


 洪水のように押し寄せるフランス兵たちを前に『斧打ちの国』の騎士たちは、しかし踏みとどまろうとした。しかし、周りの歩兵たちはそうではない。押し寄せる敵の気迫に飲み込まれて戦列が崩れた。


 突撃するフランス兵たちが敵の三歩手前でマスケット銃を撃ち掛ける。殆ど必中の距離から放たれる弾丸が最前列の歩兵、すなわち部隊で最も勇敢な男たちの胸や腹を貫いて倒していった。『斧打ちの国』の歩兵は目の前に突き出される銃剣が持つ本能的な恐怖に抗いきれずに敵と武器を交えるよりも後ろに下がる事を選んで敗走状態に陥った。


「ええい、腰抜け共め、あのような雑兵に怖気ずくな! あれを見よ! 敵の大将だ。あれを打ちとれば我らの勝ちぞ! わからんか、戦え!」


 騎士の一人が叫びながら槍を振るい、ボナパルト目掛けて突進した。


「司令官!」


 ウジェーヌが自分の馬を突っ込んでくる敵の馬にぶつけ、サーベルを振りぬいた。騎士の兜にサーベルが当たり、火鉢を叩いたような金属音が響く。


「小僧!」


 激しく頭を揺さぶられながらも騎士は体勢を立て直しウジェーヌへ槍を突き出した。騎士は幼い頃から馬上で戦う訓練を積んでいる。一対一では技量の差は明らかでウジェーヌは槍を避けようとして姿勢を崩して馬から振り落とされた。


 騎士がボナパルトへ迫る。


「ちっ!」


 ボナパルトは手綱を放して懐のピストルに手を伸ばした。


 発射された弾丸は騎士の胸当てに命中した。しかし止まらない。弾丸は貫通せず、騎士は少し怯んだ程度で突進し続ける。


「ふざけた鎧を着て!」


 騎士が槍を突き出す。が、その槍はボナパルトに届かなかった。伸ばした騎士の腕は肘から先が切り飛ばされて失われていた。


「ぐおおおおっ!」


「余所見したのが運の尽きだったな。その兜じゃ周りもよく見えないだろ?」


 ボナパルトを助ける一撃を放ったのは騎兵隊を率いるミュラだった。槍が突き出される直前にボナパルトと騎士の間に馬を滑り込ませたミュラは正確に騎士の鎧の隙間にサーベルを切りこませたのだ。


「司令官閣下!」


「ミュラ! よくやった。敵が崩れたぞ、お前の出番だ。蹴散らしてこい!」


「了解!」





 騎兵たちが陣形の乱れた『斧打ちの国』の兵に襲い掛かる。歩兵の突撃と騎兵の突入を受けて最早収拾がつかなかった。後方に控える『斧打ちの国』の第四陣と第五陣はドゼー将軍の激しい砲撃に晒されてドルダフトンの指揮する第三陣の救援に向かう事も撤退を掩護することも出来そうにない。


「公! もはやこれまでです。兵がこうも逃げては戦いになりません」


「一旦仕切り直さねば。私の兵は退きます」


 騎士たちは勝敗が決したと感じるや、口々に退却を訴えた。彼らは最前線で武器を振るう事に関しては極めて勇敢であるが形勢が不利になれば退却することを躊躇わなかった。


 彼らにとって兵士は自分の所領の農民や村人であり、犠牲を多く出せば領地の経営に影響する。たとえ自分の部隊を壊滅させても戦いに勝つ、というような考えは持つ者は少ない。


 仮に敵を倒しても戦闘に負ければ得られるものは少なく、戦利品や土地といった褒美は得られない。

 勝ち戦の時には勇敢に振る舞い、負け戦の時には真っ先に離脱する。というのは彼らにとって理に適った行動だった。


「やむを得ん。全軍退却! 私の手勢が敵を食い止める! 諸侯は下がられよ」


 ドルダフトンは全軍に退却を命令し、自分の家臣たちを呼び集めた。


「者共、ダーハド王の青き槍の誇りを見せよ。我に続け!」


 敗走する味方を掩護するという戦いにおいて最も犠牲多く、利益の少ない任務を担うのはこの世界ではその場で最も位の高い貴族の責務であり、誉でもあった。


 身分ある者が最後の局面に立つからこそ、他の者はその者に従うのだった。


 ドルダフトンと五百人ほどの手勢はボナパルトの騎兵とクルーミルの騎士たちの追撃を受けて

 大部分を失いながらも敗走する味方を逃がすことに成功した。




「敵の大将を捕らえる事に失敗しました。やつらの馬と武術の見事さと言ったら!」


 日が暮れる頃、騎兵隊を率いていたミュラが返り血に濡れた顔をぬぐいながら報告した。


「ふざけた呪いに、冗談みたいな防具ね」


「追撃を続けますか」


「いや……やめとくわ。この辺の地形に兵は詳しくないし、また変な術を使われたり騎士の逆襲を受けて損害を増やしたくない。今日の戦いは終わり。終わりよ」


 ボナパルトは不満足そうに答えた。

 敵を追撃して徹底的に打ちのめしたいのが本当のところだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ナポレオンの凄い所はやはりこの兵を前線に戻せる所ですよね。 そして、目的のためにリスクを負える勇気がある、かっこいい。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ