第十二話 川辺の都の戦い 前編
「本当に『草長の国』の軍が我々より先に『川辺の都』に着いているとは」
太陽が頭上に差し掛かり、最も高くなる頃『斧打ちの国』の将ドルダフトンと二万の兵士たちは『川辺の都』に至る街道に立ちふさがるようにフランス軍の三色旗と『草長の国』の旗が翻りテントが連ねられているのを見た。彼らは『草長の国』の軍が出撃したと聞いて急ぎ、進軍してきたはずだったがボナパルトに先を越されてしまっていた。
ドルダフトンは堂々とした体躯の持ち主で年は五十を数えるが若々しい鍛えられた筋肉を持ちそれよりも十歳は若く見える大男である。
「ワシもいくらか年を取って、戦場で見るものはすべて見たと思っていたがまだ予想外の出来事というのはあるようだ……」
経験豊富な彼をして、これほど速く軍を移動させる敵を見たことがなかった。
「敵は城外に陣を張っています。戦いを挑みましょう!」
「その通り。知らせでは敵は我々の半分、一息に蹴散らしてごらんにいれます!」
「いや! 敵が我々の三倍いたとしても我が槍が貫いてみせましょう」
騎士たちがドルダフトンを取り囲んで口々に言い立てた。彼らは戦うためにやってきたのだ。
「……よろしい。各々戦の支度にかかられよ。それと使いを出せ」
ドルダフトンは従者を呼んで『草長の国』の陣へ送った。
表向きは降伏を勧めるためだが、少しでも敵の様子を探るためであった。
地平線の先から這い出て来るように『斧打ちの国』の軍勢が姿を現すのを
ボナパルトは『川辺の都』の物見の塔の上から望遠鏡でのぞき込んでいた。
「来たか……」
数はおよそ一万八千から二万二千の間ほどだろう。まず先頭に騎士たちが、その後ろに歩兵がいくつかの塊に分かれて広がっていく。『水辺の都』と言うだけあって、街の周りには沼地やため池、人が飛び越えられる程度の水路があちこちにあり部隊を展開するのに苦労している様子だった。
物資を積んだ荷馬車はまだ後方にあるようで姿は見えない。
「義父上! 敵が来ました!」
息を切らせながらウジェーヌが階段を駆け上ってやってきた。
「わかってる。予定通り全軍戦闘配置、右翼のドゼーにも連絡」
「敵軍の使者が来ています。義父上とクルーミル殿に面会したいと……」
「使者ぁ……?」
戦いの前に何を話すことがあるのか。ボナパルトはいぶかしんだ。
「全グスバルの正統なる統治者ダーハド王の蒼き槍、ドルダフトンが王の妹クルーミルとその友ボナパルトにご挨拶申し上げる。貴殿らの行いは反逆であり大義はなく精霊の加護は与えられないであろう。無用の血が流される前にただちに武器を捨て、兜を脱いで降伏されよ。ダーハド王は汝らに寛大な処遇を賜るであろう」
クルーミルの陣にやってきたドルダフトンの使者は丁寧な口調でしかし断固としてそう主張した。
「なんて言ってるの?」
ボナパルトはクルーミルに尋ねた。
「降伏しろと言ってます」
クルーミルは微笑みながらそう答えた。
「ふん」
どうせそんなことだろうと思った。とボナパルトは首を横に振った。「降伏」、ボナパルトの嫌いな言葉の一つだった。
「なんとお返事しましょうか」
「私の国には降伏なんて言葉はないのよ」
「ではそうお答えしましょう」
クルーミルは使者のほうに向きなおった。まるでいたずらをする子供のように顔をほころばせて言う。
「グスバルの正統なる王、クルーミルが我が兄ダーハドの蒼き槍、ドルダフトンにお答えします。
貴殿らの行いは反逆であり大義はなく精霊の加護は与えられないでしょう。無用の血が流される前にただちに武器を捨て、兜を脱いで降伏されよ。私は汝らに寛大なる処遇を約束します」
「……では戦場でお会いしましょう」
「ええ」
使者は顔を赤くしてそう言うとテントを出て、自分たちの陣営へと帰って行った。
クルーミルは先ほどの余裕そうな表情など嘘のように
一転して緊張した面持ちでボナパルトを見た。
「何て言ったの」
「言われたことをそのまま返しました」
「そう……」
「戦いです。ナポレオン」
「そうね。兵士たちを鼓舞しにいきましょ」
「その前に一つ。敵将のドルダフトン公は精霊に格別愛される方として知られます。彼は人の心を惑わす精霊を呼び出し、使役する術に長けている事に御留意ください」
「そんな魔法みたいな事あるわけないでしょう。……いや、手を繋ぐだけで会話できる術がある世界だし、何があっても不思議ではないか。……それはいつも使われるの?」
「いえ。人の戦いに精霊の力を借りるのは恥ですから滅多には」
「ふうん……用心しておくわ」
といっても、未知の精霊の術など対処のしようもないが。とボナパルトは首を傾げた。
馬に跨ったボナパルトとクルーミルは兵士たちの前に姿を現した。
ボナパルトは兵士たちの瞳は近づく戦いへの高揚と迫りくる死の恐怖に
間に揺れているのを見た。
「兵隊! フランスの勇者たちよ。諸君が待ち望んだ時が来た。勝利の日だ。フランスの同盟国『草長の国』の民を暴虐から解放する英雄たちよ。全世界が諸君の働きに期待している。栄光に向かって進め!」
ボナパルトが二角帽を振り上げると、兵士たちは歓呼の声を上げた。
「将軍万歳! 共和国万歳!」の声があちこちで弾けた。
クルーミルはボナパルトを興味深そうに見た。この小さな、濡れた捨て犬のような人が姿を現し、一声かけるだけで兵士たちはまるで雷に打たれたように奮い立つのだ。
ひょっとしたら彼女はそうした力を持つ精霊から特別に愛されているのかもしれない。クルーミルはそう思った。
そうみると「濡れた捨て犬」のような印象も「孤高の黒狼」のように
勇ましく見えなくもなかった。印象の良し悪しというのは案外簡単に変わるものだった。
その頃『斧打ちの国』の軍勢はようやく陣形を整え終えていた。
軍勢は全部で五つの集団に分かれ、縦列に並んで順番に敵に向かって突撃すると定められた。
本来であれば数の有利を生かして横長に広がり、敵を囲み込みたいところだったが沼や池、水路に邪魔されて思うように部隊を広げることができなかった。
数の有利を生かせないが、それでも厚みのある陣形から繰り出される突撃の波は敵を粉砕するのに十分であるようにドルダフトンには思われた。
「ドルダフトン公、我が部隊が三番目とは納得いかぬ。先手を命じられたい」
「同じく、我が隊にも最初の突撃に加わる御許可を」
「私はツォーダフ公の下で戦いました。公の敵討ちをさせてください。私に先手を」
誰がどの順番で突撃するか。勇敢な騎士たちは我こそはと名乗りを上げて譲らず
先ほどようやくくじ引きで決めたというのに不満を言い募っていた。
「諸侯、落ち着かれたい。順番はくじによって定められた。
精霊の導きである。これを変えれば戦の精霊の加護を失うことになる」
「しかし……」
その時、『草長の国』の陣営から兵士たちの戦いを告げる鬨の声が響いてきた。
「聞こえたであろう? 敵は我らを待っている。
これ以上の議論は無用。剣を抜かれい!」
諸侯はそれ以上の議論を止めて一斉に剣を引き抜いた。
無数の白銀の刃が日差しを受けて煌めく。
「偉大なるダーハド王万歳! 精霊よ我らを導きたまえ!」
諸侯は各々散っていき、小川のせせらぎや小鳥のさえずりが
聞こえるほどに不気味なほどの沈黙が戦場に訪れた。
次いで、幾千の兵士たちが大地を踏み鳴らす地響きのような音と
武器や防具がかち合う金属音、身体の内側から恐怖を追い出すように
叫ばれる雄たけびとが戦場にこだました。
そして、無数の火薬が爆発する音がそれらすべてを圧倒し始めた。




