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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第七章『斧打ちの国』戦争~鷲の飛翔~
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第百六話 鷲の翼(後編)

 大山脈越え。


 その言葉はクルーミルを除く全員に深い衝撃を与えた。既に聞かされているアビドードでさえ改めてそれが口に出されると手の震えを抑えきれないものだった。


「鉄門を通っての攻撃はダーハドも承知のことだ。鉄門には中規模ながらも要塞があり、また結集している兵の規模も多い。戦えば勝つだろうが、損害は無視できぬものになる上、追撃に失敗すれば戦役は斧打ちの国奥深くへ続くものとなる。ゆえに、わが軍は山脈を越え敵の背後に出て前後から挟撃して敵の退路を遮断する。ダーハドに対して完璧な奇襲となり会戦はただ一度で終わる」


 ボナパルトは地図を指差しながらその意図を説く。


 鉄門で主力が敵をひきつけている間にフランス軍はその後背に出現する。そして敵の補給拠点と補給路を遮断する。敵が留まれば包囲殲滅が可能となり、敵が主力を攻撃すれば背後からフランス軍が、フランス軍に対峙すれば主力が背中を襲う挟撃が成立する。


「峠には敵方の砦がある。監視用の小さなものだが、これを抜くのにスフィラ殿の傭兵隊の力を借りる。貴官らが尖兵だ。できるな」


 到着そうそうに難題を割り振られたスフィラは頷いた。雇われた以上はどのような任務でも引き受けねばならない。それが傭兵団の唯一存在意義なのだから。


 思わず腰を浮かしかけていたテルマルタルは椅子に深く座り直すと、改めて地図を見つめ直した。


 こやつは狂人か。老獪な武将は口の中でそう呟いた。正面から戦えば損害が出る。ゆえに、背後に回り込む。構想としては極めて正統的な用兵術である。この作戦が全員を驚愕させるのは山脈を越えるという発想そのものではなく、それを実行しようとすることにある。


「なるほど。確かに奇襲にはなり得ましょうな。ダーハドは山脈越えの攻撃など予期しておりますまい。それはなぜか、山越えの戦いが果てしなく困難だと知っているからです」


 テルマルタルの言葉は諸将全員の口から出たように重みと深みを具えていた。


 山を越えるとなると補給が著しく困難になる。大山脈のいくつかの峠には集落もあれば登山道もある。十人や二十人であれば難なく超えていけるだろう。が、数万の大軍となると話は変わる。人間は越えられるかもしれないが補給品を満載した馬車が越えるには険しすぎる。補給無しで山を通過して敵地で戦うなど狂気の沙汰としか言いようがないのだ。


「その心配はない。わが軍は斧打ちの国で潤沢な物資を見つけるだろう。かの国は、そう、豊かだ」


 ボナパルトは老将に向き直るとクルーミルと繋いでいない左手を懐にしまい込んで応じた。


「すると閣下は敵地で物資を調達なさると仰るか」


「左様。必要な手立ては既に打ってある。……私はこの冬の間ずっと調べさせていた。ネーヴェン殿の商人のネットワークを通じて山脈を越えた先にある都市からこの鉄門に至るまでの街道と村の数を調べていた。そして、かの地はわが軍が敵を破り、鉄門を越えるまでにかかる日数を養うに足りると計算した」


「では閣下は、略奪もいとわぬと」


「それは向こうの出方次第だな。私は法と道徳の何たるかを知る。かの国はやがてはクルーミルの王権に統一される臣民も同然だ。なるべく穏便に事を運ぶつもりだ。彼らが大人しく物資を売り渡すのなら平和裏に事が進む。だが抵抗するというのなら、荒事になるだろう」


 テルマルタルはなお反駁(はんばく)を試みた。たとえ補給に問題がないとしても、会戦に敗れるリスクはある。敵の後方に出現するということは、一歩間違えれば退路もなく敵中に孤立して殲滅される恐れがあるのだ。


 そのようなリスクを冒さずとも、鉄門から攻め入り正面から戦うべきではないか。そうすればたとえ会戦に負けても驢馬の市や王都まで引き下がり、体制を立て直すこともできるではないか、と。


「貴官の言は正しい。負け難い作戦をとるのは全く正しい。だが今回はあえてリスクをとる。私がいかに戦いに優れているか諸侯はよく承知しているだろう。驕りから言うのではない。私は常に何事も計算してきた。今回もそうだ。私はなんと言われようとこの作戦を実行する」


 ボナパルトは軍靴で床をひと打ちした。ボナパルトにはテルマルタルの危惧するところがよくわかる。老将が提案する戦いは全く理に適っておりできる事ならば山脈越えなどというリスクを冒したくはなかった。戦いとはいかに勝つかよりも、いかに負けないようにするかにその重きがある。


 だが、ボナパルトは山脈越えをとらねばならなかった。兵にも火薬にも限りがある以上、斧打ちの国の軍勢と無限に戦い続けるワケにはいかないのだ。無論このことは諸侯には決して気取られてはならない。


 テルマルタルは閉口した。実際に山脈を越えるのはボナパルトの兵であり、ボナパルトが決心している以上テルマルタルにはそれ以上言えることはなかった。


 それにしても、ボナパルトは想像を絶する人間である。テルマルタルは思う。これまでの戦いの数々で戦いの精霊に愛されたがごとき働きを見せているが、これはそれを踏まえてなお驚嘆するしかない。天高く飛ぶ鷲のごとき構想力、それを可能にする組織力と政治力、実行力、そして何より、己の決心を貫徹する強靭な意志。そのどれかが欠けてもこの作戦は成功しない。言うのは簡単だがそれを実行し、成功させるのは途方もない事である。ボナパルトが翼を広げた鷲のごとく巨大に見える。その身体こそ小さいものの、伸ばした翼は何倍も大きく、この場にいる全てを包み込んで飛翔するに足る。


 テルマルタルはその碧い瞳に金髪の君主を映した。ボナパルトは常人ならざる人物だが、女王もまた、常人ならざる心臓と胃の持ち主であろう。女王からすればボナパルトの兵は何にも代えがたい貴重な戦力である。それをこのような戦いに投入し万が一大損害を出したならば、玉座そのものが揺らぐのだ。そのリスクを背負ってボナパルトに指揮を委ねているというのか。女王のボナパルトに対する信頼は己の命を懸けるに値するほど篤いのか。


「この作戦は完全な奇襲を以ってすることが成功の必須条件の一つである。諸将においては、ここで見聞きしたことを他言しないように頂きたい。私は諸将の女王に対する忠誠を信じている。ゆえに、こうして話したのだ……」


 ボナパルトは最後にそう付け加えた。それはクルーミルの論法だった。


 ボナパルトは果たして希代の英雄なのか。それとも誇大妄想を患う狂人であるのか。テルマルタルは未だに計りかねている。英雄とは己が妄想を世界に押し付けた狂人の別名であるのだから。


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― 新着の感想 ―
描かれていなくとも既に進軍経路やその補修拡大などの計画や進捗が既に進んでいるのかなぁ、と想像出来るほどの存在感よ! 計画と自信に裏打ちされているとはいえ、勝負に全掛け出来る胆力も流石です。
やることは、奇襲効果と包囲で国境部の敵を殲滅すること… さて、組織的な抵抗を破砕出来るか、ロシア戦役になるか…… フランス軍の弱点を推察する能力を持つダーハド王がどう出るか…楽しみ
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