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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
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第百三話 背中合わせ

 レスナストへの一件が片付いた後、ボナパルトはクルーミルと別行動をとりフランス軍の司令部に戻っていた。簡素な部屋では東部地域の平定を任せていたドゼー将軍が待っている。ドゼーは入室したボナパルトと目を合わせると、穏やかな笑みを浮かべて、実用一辺倒の殺伐とした部屋に唯一飾られていた青い花を弄んでいた手を離した。


「任務ご苦労」


 ボナパルトは軍服の袖をぶらつかせながらドゼーを見上げるなりそう告げる。手元には彼から提出された部隊の詳細な損害や戦果の報告書がまとまっている。


「戦死18名。負傷109名。規律違反により銃殺8名。うち一人は中隊長か。任務の困難さを思えば上出来な結果だな」


 敵が会戦を挑まず、各地に分散するからにはフランス軍も各地の村や街道に分散して配置された。上級指揮官の目が行き届かないのをいい事に略奪と暴行に走るのは武装集団の避けがたい宿命のようなもので、ドゼーはこれに対して厳罰で臨むことを事前に宣言していた。それを有言実行したのだ。


「光栄です。司令官閣下のご配慮の賜物と存じます」


 ボナパルトは報告書をテーブルに放り投げると、ドゼーの向かい側に腰を下ろした。


「何かお飲みになりますか。地元の領主が贈ってくれた良いワインがあります。この国では酒は麦酒や果実酒ばかりですから、ワインの味が恋しくなったのではありませんか?西方からの輸入品だそうで、地元ではベーコンとチーズが一緒に出ます。実際よくあいますよ」


「しばらくの間に随分馴染んだようだな」


「ええ。彼らは我々に好意的です。敵を狩りだすのにもかなりの助力をしてくれました。彼らの協力が無ければ任務は困難だったでしょう」


 ドゼーはボナパルトの返事を待たずにグラスにワインを注ぎ込んだ。紅玉を溶かしこんだように美しい赤にボナパルトは目を細める。


「東部地域は平定された。雪解けと共に我々は敵国に侵入する」


「いよいよですね」


 香り立つアルコールと葡萄の匂いを確かめながらドゼーは応じる。


「貴官にはこの国に残り、後方を固めてもらいたい」


 その言葉にドゼーは眉を動かした。


「現在『川辺の都』に駐留しているヴィアル師団五千を中核に現地徴募したいくらかの部隊が貴官の指揮下に入る。後方にあってわが軍の補給と通信を確保し、上陸地点……『ヌーヴェル・フランス』から到着する火薬をはじめとした物資の輸送を万全にする。それだけではない、この国の貴族連中と折衝し、我々の政治的立場や安全を確保するのも任務に含まれる」


「それは単なる軍事司令官の範疇を越えますね」


「そうだ。貴官はその任に耐えうることが今回の戦役で分かったからな。軍の背中を任せたい」


 ドゼーはワインを一口含んだ。味を楽しむというよりは、飲み込むのをもったいぶるというような風に嚥下する。


「女王は、信用なりませんか?」


 ボナパルトの青灰色の瞳が一瞬鋭さを増したように見える。


「出会った頃の彼女だったら、私は後方に一万の兵を配置しただろう。自分の臣下を統制するのにすら苦労しているようだったからな。後方で反乱がおきる可能性は十分にあるし、それを鎮圧する手腕に欠けるだろうからな」


「現在は?」


「できるなら二万の兵を配置したい」


「その訳は?」


「いまや女王は、侮りがたい」


 ボナパルトのその言葉は身体に突き刺さった短剣を抜くような趣があった。


「西部諸侯と東部諸侯が帰順した今、彼女はこの国の支配力を取り戻している。その兵力は少なく見積もっても三、四万にはなる。軍は問題にならないとしても、現状、我々は食料をはじめとした物資を女王に依存している。彼女がその気になれば我々を戦わずして窮地に追い込める訳だ」


 ボナパルトはワイングラスに口をつけると、唇だけを濡らした。


「我々が斧打ちの国に侵攻すれば特に火薬の補給線は長大なモノになる。女王は馬車道を封鎖するだけでわが軍の火薬供給を断ち切って無力化できる。我々は敵中に孤立し全滅は避けられない……」


 グラスを置くとボナパルトは足を組んだ。


「女王はそれをやるだけの能力がある。それをやり通す意志もな。あれは紛れもなく王だ。必要とあれば我々を始末するのを躊躇うだろうが、()()()だろう」


「女王が我々を切り捨てる、その可能性があるということですか?」


「いますぐ、という可能性は低いし、何か証拠があるわけでもない。女王からすれば我々はダーハド王に対抗する貴重な戦力だ。そんなことをすれば自分の首を絞めることになると分かっているだろう。その危険は低い。だが、あり得ないわけではない。女王からすれば、我々はあまりに強大な武力集団だ」


 これまでもそうだった、とボナパルトは補足した。これまでもフランス軍は女王にとって頼もしい味方であると同時に潜在的な脅威であり続けている。女王の力が弱かった頃、彼女はフランス軍を信用するしかなかった。それ以外に生き延びる方法がないのだから、好む好まざると関わらずそうせざるを得ない。だが、自分が十分な力を蓄えた現在、いつフランス軍を必要とするよりも、それを脅威と判断するほうへ傾かないか保障できるものではない。


 歴史をめくれば、頼もしい味方や有能な部下の死体で自らの玉座を固めた王のなんと多いことか。クルーミルがいかに善良で心優しい人間だったとしても、王とはそういう生き物なのだ。とボナパルトは思う。


「突然女王とダーハド王の間になんらかの和約が成立し、前後から挟み撃ちにされる…可能性すらないわけではないのだ」


「可能性があるというだけで疑う理由になりますか?」


 ボナパルトは目をそらした。


「私個人が彼女に裏切られて死ぬならそれは単なる悲劇だ。作家だの詩人だのが歌う悲劇の英雄の歌が一つ増えるに過ぎん。パルメニオンやベリサリウスの仲間になるのもよかろう。だが私は三万を超える兵の命を預かっている。それ相応の対策を打っておくに越した事はない。そうではないか?」


 ボナパルトは一軍の指揮官として責任があった。女王がフランス軍を裏切った時、打つ手なしでただ滅ぼされるという事態は回避したい。


「……それで、二万の兵が要ると見積もる任務を、私に五千でやれ、と?」


 ドゼーはその兵力分配に司令官の懸念と背中合わせの女王への信頼を見た。女王への備えをしつつも、彼女の手腕に期待するところがある。力をつけて頼もしい存在となった女王はおそらく、次なる遠征中に自国で反乱を起こされるなどという()()はやらないだろう。とすれば、フランス軍は最低限の兵を置くだけで事足りる。それだけ遠征に回せる兵力が増え、勝算が高まる。一方、女王が自分たちを脅威と見做して排除する可能性に思いを馳せないわけにはいかない。女王への信頼と懸念、そのぶつかり合いがボナパルトにその数を算定させたのだろう。五千の兵は女王の裏切りに備えるには心もとないが衝動的な蜂起や寝返り工作に対する抑止力としては十分に機能するだろう。


 ドゼーはボナパルトの全軍の司令官としての資質を改めて確認すると共に、その孤独に同情を禁じ得なかった。全幅の信頼を置きたい相手に後ろから刺されることを想像しながら過ごすのは白刃の上で眠る苦痛に似ているだろう。この人は一体いつ安らぎを得ているのだろう?


「貴官ならできると見込んでいる。パルチザンを鎮圧し、現地の領主たちともうまくやれた貴官なら」


「困難な任務ですね、それは。とても受け入れがたい」


「貴官の目はそう言っていないな」


 ボナパルトはドゼーの瞳を覗き込んだ。硬く結んだ口とは裏腹に、目はワインの色を反映して赤く揺らいでいる。


「貴官には野心がある。そうだろう?」


「否定はしませんよ。ですが、私が裏切ったらどうするんですか?そうですね、たとえばダーハド王に我々を売り込みます。根拠地は私が全て押さえています。駐留軍と守備隊とで閣下と女王を挟み撃ち……武勲と火薬とフランスの技術を手土産に『草長の国』の王にしてもらいましょうか」


「貴官ならそれぐらいやれそうだ。だがその心配はしていない」


「どうしてですか?」


「貴官の故郷と心はフランスにあるからだ。貴官が栄達を望むのはあくまでフランスあってのこと。この国で独立した王になるという気はないだろう」


 ドゼーは沈黙した。それが事実であると認めざるを得なかった。


「それに、兵も付いてこない。兵士たちはみな帰りたがっている。私についてくるのも、とどのつまりはそれが帰国の道だと信じているからだ。みな、帰るべき故郷がある。それがある限り、私は貴官らの裏切りを心配する必要はない」


「私を信用している、と言ってほしかったですね」


 ドゼーは軽い微笑を浮かべて、ワインを飲み干した。


「信用しているとも」


「それはそうと、私の師団です。ヴィアル師団が指揮下に入るのは分かりましたが、私の師団はどうなりますか?」


「貴官の熟練した兵は次の遠征にも欠かせない。子飼いの師団を取り上げられるのは辛いだろうが私に譲ってもらおう。二個師団も残置しては兵が不足するからな」


「直接指揮されるのですか?」


「いや。師団長を新たに立てる。本当は次の遠征にも貴官についてきてほしいが、貴官を二つに割くわけにもいかんからな。有能な指揮官に心当たりはないか?貴官の代わりになれるような男だ」


 ドゼーは腕を組んで少し考える素振りを見せた。自分から子飼いの師団を取り上げるとは、なんだかんだ言いつつ自分の事も警戒対象にしているのだろうか?と。一方で、師団長の人選を自分にさせるあたりにバランスの良さを感じる。とも考えた。


ドゼーは頭の中にある人材の名簿を手繰り、何枚かめくったところである人物に目を止めた。


「一人います。とびきり優秀な男が。きっと私の代わりになるでしょう」


「誰かな」


「ルイ=二コラ・ダヴー」


「ダヴー?いつぞや貴官に引き合わされた男だな」


 ボナパルトは記憶の引き出しからすぐにダヴーとラベルされた人間の顔を思い浮かべた。エジプト遠征に出立する前、参加する指揮官たちを密かに選定していた頃、ドゼーの紹介でその人物とあった事があった。革命以来若手の将校が多くを占める軍にあって若いほうである自分よりもさらに若い男。花崗岩を削ったような険しい表情の男だった。現在は騎兵部隊の一つを指揮していたはずだ。とボナパルトは掘り返した。


「貴官の友人だったな」


「そうです。規律に厳格な男で敵に容赦しないのが長所です」


「欠点は?」


「味方にも容赦がないことです」


「よし。貴官の師団はそのダヴーに預けよう」


 ボナパルトもドゼーに倣ってワインをあおった。それは飲む、というより胃袋に入れる、と形容するのにふさわしい動作だった。

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そういえばダヴーまだ出てきてなかったな。GBAのナポレオンだと初期キャラだから……
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