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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
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第九十九話 吊剣の下

「なにゆえにあのような誓約を結んだのですか、大老!」


 用意された部屋に戻るなり、テルマルタルの孫息子の若者ウルバルトが吠えるように言った。白髪交じりの老人とは対照的に生命力に満ちた黒髪が今にも逆立ちそうな勢いで怒気に満ちている。若者は日焼けした顔と瑞々しく生命力に満ち溢れた堂々たる体躯の持ち主で、老人とは対照的だった。


「我らから徴税の権利を取り上げ、伝統ある秩序を破壊するなど許しがたい振る舞いです。挙句は大天幕に平民共を入れるですと。このような非道をなにゆえお認めになったのですか。諸侯も納得しますまい!」


 召使に椅子を持ってこさせるとテルマルタルは着席し、ウルバルトを見上げる。


「ワシの判断が納得いかぬか」


「我慢なりません。あの小娘ですら異を唱えたにも関わらず大老ともあろうお方が何一つ抵抗しなかったことがさらに我慢なりません。かつては諸侯に碧隼と恐れられたお方がこの体たらくですか」


「ではそなたはどうすれば良いと言うのか?」


「無論、諸侯を結集し兵を挙げるのです。女王など所詮は異国の傭兵共と商人共の金を当てにしているに過ぎません。我が騎士たちの敵ではありますまい!大老の代わりに私が軍を率いましょうぞ」


 鼻息を荒く詰め寄るウルバルトにテルマルタルの枯れ枝のような腕が閃いた。その一撃は鞭のように素早く、とても立つこともおぼつかぬ老人の腕とは信じられない柔軟さと正確さを持ってウルバルトの整った鼻柱を正確に撃ち抜いた。


「かはっ……か……(じい)や……なにを!」


 ウルバルトは床に這いつくばり鼻を抑えた。血が滴って激痛が走るが折れてはいない。絶妙に手加減されたのだ。見上げると、そこには椅子から立ち上がった祖父の眼差しがあった。矢も届かぬ高さから見下ろす碧い隼の眼差し。咄嗟に出たのは怒りや恐怖ではなく困惑であり、思わず大老という呼びかけを忘れ祖父に対しての言葉が出た。


「お前は飛ぶ隼を撃ち落とせるし、詩歌にもよく通じておる。領民からの評判も良い。だが甘い。早くに両親を亡くしたお前を不憫に思って可愛がってきたが、どうやらよくなかったようだな……」


 テルマルタルは右手をさすり、腰から短剣を抜くと自らの右手の甲を刺した。孫息子を殴った自分への罰である。噴き出るように血が滴るがそれを意にも介さない。


「お前はここに来る道中何を見ていた?街道で女王の巡回部隊と何回すれ違った?橋は?関所に詰めていた兵士たちの数と装備を見たか?都市は?川辺の都に女王の軍がいくら駐留していた?何を見ていた?」


 ウルバルトは目を合わせることができなかった。彼はただ祖父の右手から滴る血が床に小さな水たまりを作るのを狼の牙を恐れる子羊のような心地で見つめ、喘ぐように抗弁した。


「し、しかし……女王の兵は七、八千。ボナパルトの兵を入れても三万あるかないか。大老が声をかければ西部諸侯で数万の兵は集まりましょう。勝負せずに負けるのですか」


「合計すれば確かにそのくらいは集まろうな。だが果たして諸侯が味方するか?我らが兵を集めている間、女王が何もせぬと思うか?どれだけの諸侯が寝返るか検討もつかん。それに女王は主要な街道や要所は固めているぞ、全軍をどうやって集結させる?各個に撃破されるのが目に見えるわ。砦や城も今や用を成さん。王都の城壁や蹄鉄砦を見よ、女王は今や城を容易く崩せる。我らは?あのような武器を持たぬぞ。女王の軍と、女王に味方する諸侯とに挟まれてワシらは羊の骸のように食い荒らされる」


 確かにウルバルトの言う通り西部諸侯が総力を挙げれば数万の軍勢になり、クルーミルにとって無視できぬ力になる。だがそれはあくまで総力を挙げ、結束し続けているのが前提となる。テルマルタルの手勢だけでは三、四千、諸侯の大部分は全力を挙げて一千出せるか出せないか。要するに、烏合の衆なのだ。女王の下、ボナパルトの下に強固に組織されている軍勢とは数は同じでも質が全く違う。


 既に、女王と諸侯の間にはそれだけの兵力差がついている。兵力差は即ち、兵を養う経済力の差だった。大街道と大河流域の都市部を支配する女王は諸侯とは比べ物にならない経済力を有している。それでもなお女王が金に困るのは、フランス軍という突然湧いてきたような巨大で、金のかかる軍隊を養っているからだった。


「で、ですが女王の提案にしろ諸侯が従うとは限りません。どうなさるのですか、諸侯が背いたら」


「諸侯が背いた時は、ワシらは女王の旗を掲げてそれらを討てば良い。女王と戦うより遥かに容易く討ち取れるわ。そして諸侯の領地を鎮圧の褒美としてもらい受ければ良い。なんの問題にもならん」


「ですが、女王は我々の貴族の伝統を破壊しております。これを皮切りに我らの権利は次々奪われるのではありませんか」


「貴族の伝統?お前はそれの何を知っておるのだ。ワシが子供の頃にはこの国に統一などなかった。王もなく、街道もなく、諸侯は各地に割拠して相争っていた。それが今のような形になったのはつい四、五十年前に統一王に平定されてからのこと。お前の知る貴族の伝統などワシの人生ほどもないわ」


 諸侯同士に限っても、争いを自力救済することは違法とされ王の裁きを待たねばならない。かつては領民を死刑に処すことすら領主の一存だったが、統一王の治世の後半には「王の臣下である民を殺すには、たとえ領主と言えど許可がいる」ということで棒叩き二十回以上の罰を加えるには王の裁判官の許可を要する。貨幣を鋳造する権利や秤を定める権利については統一王の治世初期に奪われている。これらの権利は全てテルマルタルが若き頃には土地を納める領主の権利だったのだ。伝統の破壊ということなら、既に破壊されて久しい。


「それこそ大老。私の言う貴族の伝統とはまさに、そうした自由な暮らしの事です。何者にも支配されず、己が領地を治め、草原の主として君臨し、己の野心のままに割拠する。それこそ我ら草長の貴族の誇りある伝統ではありませぬか。大老が私ほどの歳にはそうしていたのでしょう?それこそ貴族の姿です」


「自由?」


「はい。私は大老のように、いいえ、爺やのように生きたいのです」


 テルマルタルは若い孫息子の輝く瞳を見て大きなため息をついた。彼の瞳には羊を追い立て、弓矢を背負い颯爽と草原を駆け抜ける若い騎士たちの華々しい情景が映っている。その騎士とは若き日のテルマルタルであり、それは確かに郷愁を誘う美しい光景に違いない。


 己が実力だけを頼りに何者にも支配されず、己が野心のままに翼を広げ草原を駆け抜けることができた時代。ウルバルトが夢見るのは敬愛する祖父の若き時代だった。幼いうちに両親を失ったウルバルトは祖父と、祖父が生きた時代の武勇伝や伝説の勇者たちの物語を心の慰めにして大人になった。いつかそのように生きたいと願っている。統一王グルバスがもたらした統一と秩序など猛禽を閉じ込める檻ではないか、と。


「……」


 テルマルタルは首を振った。確かに自由な時代であった。だがそれは同時に非情で冷酷な時代だった。家畜や草原の支配をめぐり、諸侯が絶えず衝突を繰り返し小競り合いのたびに仲間や肉親が死んでいく。一族同士で殺し合うことも日常茶飯事だった。長が死んで一族が弱ったとみれば諸侯は貪欲に支配の手を伸ばし、栄華を誇った一族が一晩にして皆殺しになるのも幾度となく見て来た。テルマルタルはそうした戦乱を命がけで必死に生き延びてきた。友を裏切り、陰謀を巡らし、敵対する一族の赤子すら手にかけて。ウルバルトはそのことを知らなかった。知っているのは、昔話として醜い部分がそぎ落とされた、理想化された「草原の騎士物語」だった。


 統一王が大山脈を越えて『草長の国』に攻め入り、国を統一した後、そうした状況は大きく変化した。強力な王の下で諸侯は一つの秩序の下に収まり、草原に平和が訪れ、大河の流域には王の平和の元に農地が整備されていき、収穫の増加は都市だけでなく遊牧民の生活をも潤した。交易路が整備され、貿易が盛んになると人々は豊かになった……それは一面には征服であったが、征服された側はただ甘んじていたわけではない。王が諸侯を支配するように、諸侯もまた王を便利な統治装置として戴いている。片務的なものではなく、王と諸侯は共犯関係なのだ。


「ワシが女王に対抗せぬのは単に戦って勝てぬからではない。戦った後のことだ。戦いに勝ち、女王を倒して、どうするのだ?」


「どうする……とは?」


「我らはもはや王のない世界には戻れん。割拠の時代に戻れば、豊かさを手放す事になる。貧しくなるということは、服が絹でなくなるということではないぞ。飢えて死ぬということだ。人の肉を食わねばならぬということだ。分かるか?王が要る。女王を倒した後、誰が王になるのだ?統一王グルバスの娘より相応しい者が誰かいるのか?」


 テルマルタルは傍に控えている従者を呼びつけると椅子を立てさせ、そこに腰を下ろした。


「ダーハドか?クルーミルよりマシな王とはとても思えん。あヤツの頭にあるのは自分の国だけで『草長の国』などなんとも思っておらんわ。今の諸侯は積極的に女王を倒そうという意志に欠ける。倒した後で状況がよりよくなるとは思えんからだ」


「……大老がおりましょう。大老が新たな王になれば。その力があるはずです」


「ワシがか。そうだな、ワシがあと二十年、いや十年若ければ諸侯を集めて王位を争っても良かった」


 テルマルタルは残念そうな表情の孫息子をじっと見つめた。


 なんと愛おしい孫だろうか。だが惜しいかな戦乱の時代を潜り抜ける器ではない。孫が憧れる戦乱の時代に身を置けば半年と経たず討ち死にするのがせいぜいのところだろう。テルマルタルは孫を愛する一方で戦乱を潜り抜けた老獪な策略家として孫に判定を下していた。仮に自分が玉座を得て、この国を孫に残してもとても耐えられる器ではない。


 "乗りこなせない馬に無理に乗れば、乗り手は死ぬ"古の故事をテルマルタルは知っていた。


「ウルバルトよ、お前は隼のような目を持たねばならん。お前は貴族が特権を奪われ自由を失うように語るがそれは一面に過ぎん。よく見ろ。女王が成そうとしている事を。関税の統一、軍備の増強。どこを見ても人材が要る。王はこれまで以上に家臣を召し抱えねばならん。誰が税を管理するのだ。誰が軍隊を率いるのだ。その知識を持っているのは誰だ。議会にしても同じ。平民共に政治が出来るか?誰が実際を取り仕切る。我ら貴族ではないか。馬に跨って弓を引くだけが貴族ではないわ」


 テルマルタルは自分より背の高い孫を見下ろした。


「碧隼を舐めるなよ。時代の変化を見極めてきたからこそワシは今まで生き残って来たのだ。女王にはもはや逆らえん。ならばそれに取り入って新たな世界の地歩を得るのだ。ワシは今まで女王を観察しておった。一度国を失いかけた女王に従うべきか否かずっと考えていた。ボナパルトの操り人形になっているのではないかとな。今日、ボナパルトが女王から少しの距離を置いていたのを見てなんと思った?あれは女王がボナパルトとの距離を自分で選んでいるということだ。主導権を持っているということだ。女王はボナパルトの軍事力を背景にすればいくらでも我ら諸侯に強気に出られたものを下手に出た。己の実力とボナパルトの実力を混同せず正確に測っているのだ。それがどれほどの自制心を要するものか、お前に分るか?女王は偉大になりつつある。成そうとしていることを見ればわかる。あれこそ、偉大なる統一王グルバスの娘だ。あの娘の瞳はこの国全てを見ている。この戦いの後を見ている……分かるか、ウルバルト」


 テルマルタルの声に僅かながら熱がこもった。若き日、世界を制した偉大な王を懐かしむ声だった。


「……はっ、大老の深謀に感服致しました。私の及ぶところにはございません」


 その言葉にウルバルトは頭を垂れ、祖父には何もかもが遠く及ばなかった己の不甲斐なさを恥じた。


 孫の頭を見ながらテルマルタルは内心で断じた。やはりウルバルトは器ではない。もし本当に騎士の生き様を貫きたいという覚悟と野心があるならば頷きはすまい。いや、そもそも本当に昔の騎士の心があるならば、鼻柱を殴られた時点で相手が祖父だろうとなんだろうと即座に殺しにかかるようでなくてはならんのだ。そう考えていた。それと同時に安堵もした。もしこの孫息子が強情にも服従を拒否し、自ら挙兵するような男であればテルマルタルは一族のために孫息子を殺さねばならなかった。この世でただ一人、自分の血を継いだかけがえのない孫を討たねばならぬところだった。


「分かったなら良い。領地に戻るぞ。諸侯を説き伏せ軍を召集する。女王の軍勢に加わるのだ」


「兵も出すのですか?」


「当たり前ではないか。女王の戦に加わり武勲の一つでもたてておけば今後の待遇も違う。血は金貨や言葉よりも重い」


「……はっ!」


 テルマルタルはその日のうちに領地へ戻って行った。

いつもお読みくださりありがとうございます。


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今後とも楽しんでいただけるよう努力していきます!

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戦乱の時代 統一王の時代の両方を生き抜いてきた人物の言葉の重みはすごいてずね…好き
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