第九十四話 運命を定めし人
「私には、彼らを赦す資格はないのです。まして罰することなど」
クルーミルは糸をつむぐように慎重に言葉を出した。
「私は王として彼らを保護する立場にありながら戦に敗れ、彼らを戦禍に晒しました。今また、戦いに勝ち秩序を取り戻したのはナポレオン、貴女の功績であって私のものではありません」
クルーミルは深いため息をつく。それは自責と不甲斐なさとを混合した息の塊だった。
「私が彼らに赦しを請わなければなりません。そうしようと思います。あの少女に赦しを請わなくては。あの子の父親が死んだのは私の罪です。そしてそれを慰めたのは貴女ですナポレオン」
"あの少女"というのが誰を指すかボナパルトには判った。金具の街で市長に押し上げられていた少女、テーケルネトの事に相違ない。ボナパルト自身が彼女に寛大な処置をとるように手紙でクルーミルに求めたのだから。
「具体的には?王が許しを請うということは跪いて涙でも流すだけじゃ済まないわよ」
「はい。彼らに対する償いは血を流さなければならないでしょう。王の血、それは王の権力です」
クルーミルは背筋を少し伸ばしたようだった。
「この国は王のものです。そこに斧を突き立て、血を流さなくては」
女王の瞳が火山の火口のように燃え盛っているのをボナパルトは見た。
「この国の統治権は王のものです。……といっても、王の独断で決められるわけではありませんから、正確に言えば王とその周囲を固める有力な諸侯のものです」
クルーミルはボナパルトの手がそこにあるのを確かめるように強く握りしめた。
「『大天幕』という制度があります。全草原の領主たちの意志を示す会議の名です。王位の承認や、国法、課税法といった重要な物事の承認を得るもので父王の治世には三度開催されたのみです。一度は全草原の支配者として承認を得た時。二度目は度量衡の統一と大街道の敷設を承認させた時。三度目は私の王位継承を承認させた時。これを発展させ、常設のものにしたい、そう考えています。」
「……つまりは、この国に議会を導入する、そう言いたいのね?」
「そう言えます。王と有力諸侯のパワーバランスで動いている政治をこの国の全ての貴族が参画する形にしていきたい、そう考えています」
それだけでなく、とクルーミルは付け加えた。
「都市の有力な貴族や、代表者にも発言権を与え、より広い人々の参加するものにしたい、と思うのです。血を流したのは貴族だけではありませんから。平民にもその権利があると思います」
身分制議会の導入。それがクルーミルのいう諸侯に対する「償い」の形だった。
「表立ってではありませんが、各方面に反応を探る手は打っています。それでも、まずは貴女に話したかったのです」
クルーミルの表情は自分の傑作詩をはじめて人に見せた芸術家というような趣があった。公平な評価を聞きたそうでもあり、肯定を求める表情だ。
ボナパルトは鳥が身づくろいをするように首を少し傾げる。
クルーミルについてボナパルトはときどき掌中の小鳥を思い浮かべる。確かに美しい声で鳴く。そしていつでも握りつぶすことができる。
「お気に召しませんか?」
「単に罪を償いたいというのなら他の手を勧めるわ。例えば税負担を軽くするとか、何かしらの特権を与えるとか。政治に口出しさせる権利を公に与える事について慎重になったほうがいい。特に議会なんかね。それが諸刃の剣であることを私はよく知っている。クルーミル、貴女は善い人だけどそれだけで国は治まらないわ」
議会。ボナパルトがそれをイメージする時、それはフランス革命で生まれた議会や公会の激しさと重なる。当初ささやかな権利を求めていたはずの議会はやがて玉座を覆したのだ。
ボナパルトはクルーミルの瞳を覗き込んだ。彼女は自分の案に同意が得られなかった事に驚くでも失望するでもなく、むしろ期待通りの回答を得ていたような色彩がある。
「私を善い人と思っていただき嬉しいです。……ですが、私はそれほど善人ではないのです」
クルーミルは握っている手を見た。
「私がこれを成そうと思うのは、償いですが、同時に私の目的のためでもあるのです。国を一つにするという。最初に貴女に話したのを覚えていますか?」
ボナパルトは頷いた。そしてクルーミルの見ている先を見ようと、ボナパルトも視線を繋いでいる手へ落とした。二人の手は固く結ばれている。
「王位継承の争いでこの国の東部は深く傷つきました。もし体制がこのまま続くとしたら、影響力を強めるのは比較的傷の浅い西部の諸侯になることでしょう。西部の諸侯を牽制し、東部諸侯の力を回復させる。その天秤の中心にこそ私の玉座があるのです」
ボナパルトは自分の手が汗をかいていることを自覚した。
「都市の富裕層に参政権を与えるのは、どちらかといえば実利の面が大きいのです。国家の統一、特に経済面での統一と税制の改革は商人たちの望むところでもあります。彼らは私のやろうとしていることを支持してくれるでしょう。同時にこれは商人たちからお金を引き出す手段でもあります。国政への関与を認められれば、彼らは喜んで私にお金を貸してくれるでしょうし。逆に彼らのほうから圧力もあります」
最後のほうにはクルーミルは若干かき消すような苦笑の含みがあった。
「議会を召集して国政を一つにすれば、諸侯の寄せ集めのこの国はやがて一つの形になるでしょう。まず服を作らなければ。大き目の服でもそのうち体に合うようになるでしょう」
クルーミルは顔を上げてボナパルトの顔を見た。ボナパルトの顔は凍り付いたように女王の手を見つめている。
「ダーハド王から諸侯を引きはがす効果も期待できます。今のダーハド王は王妃の実家であるイルバド家とその周辺の二、三の強力な家に支えられています。それを面白くないと思っている諸侯は少なからずいるでしょう。そんな彼らに縁故によらない平等の発言権を与えると約すれば、こちらに付きやすくなる…そう思いませんか?」
ボナパルトは深く沈黙している。
「そして国を一つに。ダーハド王がイルバド家という強力な家を味方につけているなら、私は国という「家」を味方につけ、力としたいのです」
いかがでしょうか。とクルーミルは問いかけ、ふと鈍い痛みが走ったのを感じた。ボナパルトの爪が、クルーミルの優美な手に突き刺さって赤く滲んでいた。掌中にいると思っていた鳥は、大きく翼を広げようとしていた。