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烈華 ~乱世を駆けた鬼姫~  作者: つむぎ舞
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山崎の戦い 後編

 羽柴軍右翼に配された中村一氏と加藤光泰が津田春信を破り、見事に円明寺川河口の明智陣を突破すると、明智軍左翼後方に予備隊として布陣していた近江衆二千が羽柴軍に寝返り、明智軍左翼は崩壊した。


 戦場の中央では未だ明智軍が優勢である。

 それにも関わらず味方右翼の動きに合せて前線にまでのこのこと姿を現した織田信孝軍。

 父池田恒興の元まで一度退こうとしていた森せんは、総大将としてあるまじきその行動に『飛蝶』を転進させその前に立ち塞がった。

「決して負けられぬ決戦の場で、総大将が敵の刃の届く距離に自ら出て行くとは如何なるおつもりか?」

 黒駒の馬上からそう口上を述べる森せん。


 しかし軍の前進を妨げられた織田信孝は、目の前の少女を侮り「小娘が」とばかりに憤りの声を上げる。

「小娘ではない。森長可が妻、森せんである」

 織田家中随一の暴れん坊と呼ばれる森長可の名を聞き、織田信孝は『鬼武蔵』と呟き声を潜めた。

(我が名ではやはり怯まぬか)

 夫長可の武名の大きさと自分との差を、思わぬ所で思い知らされる結果となった森せん。だが、引けぬ。


「これ程の大軍を擁しながら総大将に敵の刃が届くはお味方の恥、どうしても進むとあれば、この『美濃の鬼姫』がここで皆様のお相手をして差し上げる」

 森せんの背後にずらりと並ぶ血に染まった女兵達。

 一戦終えた直後で殺気立ち、不敵に笑う彼女達の気迫に押され、織田信孝軍の男達が崩れる様に退いていく。

 森せんは、しばしその場に止まり戦況を見守った。


 突如、味方後方で大歓声が上がる。

 凄まじい数の旗印の列が味方後方を埋め尽くしていくのが見えた。羽柴秀長率いる一万の羽柴秀吉本隊の到着である。

 天王山山頂の明智軍は、堀秀政率いる羽柴軍中央の一部と、駆けつけた羽柴秀長の一万の軍勢によって陥落、その勢いのままに羽柴軍は天王山を駈け下り、明智軍右翼を壊滅させた。


 両翼の軍を失った斉藤利三率いる明智軍本隊は、円明寺川を背にした背水の陣にて戦い続けているが、圧倒的な数の羽柴軍に押され始める。

 この機を逃さず森せんは『飛蝶』を前進させ、明智軍包囲の一翼に加わり敵を締め上げたのである。


 明智軍は一部が羽柴軍に突撃をかけ、生き残りの大半はその隙に円明寺川を渡河しながらの撤退を開始した。

 明智の兜武者達が残って刃を交え、装備の貧弱な者達を逃がしている。

「あの者達、徴集兵を先に逃がしているのか…」

 徴集兵とは民であり、それを見捨てて我先に侍達が逃げると知れれば、それ以降の国元での募兵に人は集まらなくなる。

 必死ともいえるこの状況下でも踏み止まり、見事に戦い死んでいく明智者達の姿に、森せんは深い感銘を覚えずにはいられなかった。


「あの者を捕え、我が元へ」

 一人刀折れるまで戦い、ついには河原で両膝をつき動けなくなった鎧武者を指差しながら、森せんはなつとゆうにそう命じた。

 縄を打たれて引き出されたその明智者は、深手は負っていないものの傷だらけでボロボロである。

 疲れ果て精も根も尽きたのか、森せんの問いにも満足に答えられぬまま意識を失ってしまった。


 羽柴軍の大攻勢により明智軍本隊が壊滅すると、御坊塚に築いた巨大な砦に陣を敷いていた明智光秀本陣は、殆ど戦いもせずに後方の勝龍寺城へと撤退。

 騎馬武者の一団が丹波国へと逃れた事が確認されている。


 羽柴軍はそのまま勝龍寺城を一軍で包囲すると、そのまま追撃戦に移る。

 明智光秀の本拠である丹波国亀山城攻めには中川清秀と高山重友を差し向け、織田信孝が京へと入った。

 堀秀政は近江国の明智の拠点坂本城攻めの為に進発した。


 羽柴秀吉本陣五千はそのまま山崎村付近から動かず、天王山に戻った黒田孝高は築城の為の縄張りを開始したとも聞く。

 羽柴秀長の率いた一万は、強行軍とその後の戦働きの疲れで動けぬ為、勝龍寺城包囲の形ばかりの一軍としてすでに眠りこけている。


 六月の十四日、降伏した勝龍寺城の開城と共に池田恒興と森せんは、寝返った近江衆と共に城内へと入り、そのまま留守居役として城に留め置かれたのである。


          *          *


 森せんが山崎の地に率いた『飛蝶』の女達は鉄砲組二百を兵站庫に残した三百の長柄組であった。

 この戦いではそれなりの戦果は上げたものの、その犠牲も看過出来ないものであった。

 元々が領内鎮撫、主に巡視を目的として集めた者達、まともな戦はこれが初めてであったが、彼女達は勇敢に戦い敵を押し返すことには成功したが、短時間に『飛蝶』の三分の一にも相当する百人近い死傷者を出したのである。

 これも、突出して来た敵勢との葦原という視界の悪い場所での衝突による乱戦であったからこその成果であり、まともに隊伍を組んでの戦であれば、どう転んだかは分からなかったというのが正直な所である。


『飛蝶』の女達は皆、戦を憎んでいた。

 武役に取られ夫や親兄弟を失った者、地道に働かずとも稼げると戦に行ったきり戻らぬ男達を見送って来た者達が殆どで、織田の統治がようやく自分達の住む国に及んだ事で、戦の気配が消えた事を彼女達は日々の苦しい生活に耐えながらも喜んでいたのだ。

 荒木村重の織田家への謀反、そして今度の明智光秀の謀反で彼女達のささやかな望みは打ち砕かれた。

 また戦が続くのか。

 彼女達は怒り、森せんの招集に応じて、その感情の全てを相対した敵にぶつけたのだ。


 戦が終わり、張り詰めていた気が抜けたのか、城内で傷の手当てを受ける女達の中からすすり泣く声も漏れ聞こえてくる。

 森せんの姿を認め、なつとゆうの二人が彼女の元へと駆け寄ってくる。

「姫様、傷を負って後送された仲間の所へ行きたいと申す者が随分といます。帰りたいと泣き出す者まで」

「ここでの戦は終わりました。もう彼女達の思う様にさせてあげなさい」

「それで姫様…」

 なつがそどうにも申し訳なさそうに口籠もる。

 ここまでの者にも恩賞はあるのかと言いたい様だった。

「ここで去る者にも十分に報いるようお父様には話しておきます。池田の者で勝ったのは私達だけなのですから」

「わかりました。すぐ皆に伝えてきます」

 うれしそうな表情で女達の中へと駆けていくなつ。しばらくして女達の輪の中から声が上がった。


 この戦いで多くが死んだ『飛蝶』であるが、戦えぬ程の傷を負った者は少ない。

 戦場での乱戦では、まず弱った者から確実に止めを刺されていくからだ。

 

 こちらに来て『飛蝶』の中に戻った事で、なつとゆうの性格の違いもよく見えてきた気がする。

 なつは皆のまとめ役で、面倒見が良い姉御肌の存在、そしてゆうの方はなつ以外の者とは一線を引き深く交わろうとはしない。

 そしてゆうは、皆の中で泣き笑いするなつを見ながら、乾いた物言いをする。

「まったく、戦で人が死ぬのは当たり前だろ。一々泣いてちゃきりが無いよ」


「私はそうは思いませんよゆう。私は『飛蝶』という軍を作ったつもりでしたが、彼女達はそんな中で仲間という絆を見つけたのだと思います」

「絆なんて、面倒くさいだけさ」

 普段使いの言葉で答えた事に慌て、ゆうが言葉を丁寧に改めて言い直す。


 森せんにはそれがゆうの強がりに思えた。

 親しき者が死ねば悲しい。

 だから『飛蝶』の中に彼女は親しき者を作ろうとはしない。

 それがゆうの優しさと弱さの裏返しなのだと。

 森せんが今度は言葉を返さずにゆうを静かに見つめると、彼女は目を逸らして「面倒くさい」と強がりながら、女達の中へと戻って行った。

 

 

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