山崎の戦い 前編
天正十年(一五八二年)六月十一日、尼崎城を進発した羽柴秀吉軍二万五千、池田恒興軍二千、高山重友軍一千は、途中大阪に丹羽長秀の二千を残して合流してくる神戸信孝四千の到着を待ち、総数三万二千の軍勢となって明智光秀との決戦の地となる京の西方山崎の地を急ぎ目指していた。
軍議の席の元々の決定は、後続として姫路城を発った羽柴秀長率いる羽柴軍本隊一万の軍の到着を待ち、万全の体制にて明智軍に当たるというものであったのだが、先発した中川清秀の一千が山崎の地の要衝天王山を明智方より奪取したことによりそれらの決定は全て覆され、予定より早期の山崎進軍となったのである。
六月十二日、山崎の地を東西に分ける円明寺川の対岸にて、既に陣容を整え待ち構える明智軍に対し、織田信長公の子息である神戸信孝に織田姓を名乗らせ織田信孝とし、彼を形ばかりの総大将とした織田諸将の連合軍は、形の上では織田軍を名乗りながらも実質その大半は羽柴秀吉軍であり、後世に於いてもこの山崎の戦いは、明智光秀と羽柴秀吉との戦いと称される事が殆どである。
この羽柴軍の動きをじっと見据えて動かぬ明智軍に対して、羽柴陣営はこの日かなりの混乱を生じていた。
事の発端は尼崎城での軍議にて決められた陣立てでは、羽柴軍の黒田孝高が天王山に布陣し、羽全軍の指揮を執る事になっていたのだが、軍の先方を任された中川清秀は天王山に居座り続けたのである。
「中川清秀は天王山にて戦いの静観を決め込み、勝者側に付く腹づもり」であると、その意図を看破した黒田孝高は、中川清秀を急襲して山下の山崎村へと彼等を追い落とした。
この事に怒り収まらぬ中川清秀の矛先は、何も知らず兵糧部隊の一部を率いて山崎村へと入ろうとした池田恒興へと向けられ、彼は山崎村を封鎖して池田軍の入村を妨害したのである。
中川清秀のこの行動に怒った池田恒興は、山崎村を兵糧庫にする当初の予定を中断し、山崎の地の最右翼へと布陣した。
味方本隊の到着を当てにして兵糧を食い潰し、味方に急襲され山崎村へと追い落とされた中川清秀は、彼等の兵糧を運んできてくれた池田恒興を追い出した事により、味方の中で兵糧切れに陥るという窮地に立たされてしまった。
固く禁じられていたにも関わらず、中川清秀は兵糧不足を補うために山崎村にて略奪を開始したのだが、これが更なる混乱を引き起こす。
中川清秀の略奪に耐えかねた山崎村の村民数百が蜂起し、武器を手に抵抗を試みたのである。
この騒動で、羽柴軍の後続は全て進軍停止、いち早く事の次第を知らされた羽柴秀吉は、高山重友に中川清秀と共に村民の鎮圧を命じ、「山崎村にて明智勢と遭遇、一千程を討ち取った」と総大将織田信孝には報告したのだった。
* *
六月十三日、堀秀政を主将とした羽柴軍一万五千の山崎村通過に合せて明智勢が動く。
伊勢貞興、諏訪盛重、御牧景直の三将に率いられた明智軍右翼四千が円明寺川に架かる唯一の橋を急進し、羽柴軍の先頭を進む中川清秀と高山重友の二千に襲いかかった。
後に『山崎の戦い』と呼ばれる戦の幕開けである。
明智軍が近江各地からかき集めてきた鉄砲一千丁の全てを投入したこの右翼部隊の猛攻に中川軍と高山軍は大きく押され、これが蓋をする形となり羽柴勢一万五千は山崎村の東門付近でつっかえてしまい、後続が身動き取れぬ状況に陥るのである。
この状況を打開し明智軍右翼の挟撃による殲滅を狙った黒田孝高は、黄母衣集の神子田正治の手勢二百のみを残し、自身の手勢二千の全てを率いて天王山を一気に駈け下りた。
黒田軍の思惑は今一歩及ばず、明智軍右翼に悟られ迎撃を受けたが、これにより明智軍右翼を押し戻す事には成功し、羽柴軍一万五千はその隊列を崩しながらもようやく前進し始めたのである。
* *
この時、中村一氏は、羽柴軍右翼にて加藤光泰と共に円明寺川下流の葦原の中に身を潜め、当初の軍命通り埋伏の軍として旗印を伏せたままで、じっと反攻の機会をうかがっていた。
その彼等の前を横切り進軍していくのは、池田恒興に率いられた池田軍二千。
そしてこの池田軍は軍議内容を無視して明智軍左翼津田春信二千に向けて攻撃を開始したのである。
中村一氏は急ぎ羽柴秀吉の元に伝令を送るも、返ってきた返事は「ただ静観せよ」であった。
結果、円明寺川を天然の水堀として防御する津田軍の前に池田軍は敗退。多くの死傷者を出して山崎村後方へと撤退していったのである。
この時、中村一氏は信じられない光景を目にした。
「天王山が…奪われた」
天王山に翻る無数の明智軍の旗印、明智の将である並河易家と松田政近による伏兵が、天王山を再奪取したのである。
それを待っていたかの如く明智軍の陣から次々に鳴り響く法螺貝の音、それを合図に明智軍中央、主力の斉藤利三が円明寺川を信じられない速度で渡河し、未だ隊列の整わぬ羽柴軍一万五千に襲いかかった。
明智軍の大攻勢が始まったのだった。
我らは大軍の利を活かして、防御に徹する明智軍を左右に揺さぶり、その隙をついて攻撃に転ずるという軍議で決められた策が、明智軍の大攻勢によって崩れた。
中村一氏も加藤光泰も、その隙を突破するためにじっと伏兵として潜んでいるのだ。
「我らは如何にすべきか?」
中村一氏にそれを考える時は残されていなかった。
天王山の山頂に突如現れた明智軍の伏兵。
これにより天王山直下にある山崎村後方にあった羽柴秀吉本陣は大混乱に陥る。
彼等は天王山から距離を取ろうと右へ大きく移動し、すぐ隣にいた織田信孝の陣を破壊したのである。
羽柴軍本陣に無理に押される形となって右翼前方へと大きく移動してきた織田信孝軍、この動きが明智軍左翼を守る津田信春を刺激した。
主君津田信澄殺害の主犯である織田信孝の旗印を確認した津田春信は、防御に徹せよとの厳命を無視して円明寺川を渡河し、一気に織田信孝軍へとその目標を定めたのである。
そして彼等は埋伏する中村一氏達の前を横切っていく。
中村一氏は旗下の鉄砲隊に火縄への点火を命じ、津田軍中央から後方に向けて横槍を入れるべく、その時を息を殺して待った。
(今だ)
攻撃の合図を出すべく一人立ち上がった中村一氏は、振り上げたその手を下ろすことが出来ず、その場でまるで案山子のように立ち尽くしてしまった。
* *
突如現れた一騎の姫武者が、風のように彼の目の前を駆け抜けたのである。
彼女の背に翻るのは、森家の旗印の鶴の丸。
「美濃の鬼姫、押して参ります」
長巻を力強く横薙ぎに振り払う彼女、その後方で首を刈り取られた数人の津田兵が血しぶきを上げて同時に崩れ落ちた。
止まらずその姫武者と黒駒は、立ち尽くす中村一氏の目の前を縦横に駆けながら次々と津田の兵を討ち取っていく。
「姫様あ」
「姫様に続け」
騎乗の姫武者に少し遅れて池田隊の備前蝶の旗印を背負った長柄の女達が奇声を上げながら津田軍に突撃し、凄まじい白兵戦が目の前で繰り広げられる。
吹き上げる血しぶきを浴び腰を抜かしたり青ざめ動けなくなる津田兵とは対照的に、その女達は血に全く動じず、自身が受けた傷から流れる血さえ気に止める様子も無い。
出産や月のもので血は見慣れているせいか、男に比べ女は痛みや血に強いとも言われてきた。
その事実を間近で見ながら中村一氏は、彼女達の働きぶりに感嘆せずにはいられなかった。
勇猛果敢、彼女達の戦う姿はまさにその言葉そのものだったのである。
正確にはそれは違った。
彼女達はいざ戦いになり興奮すると、目の前の敵以外の一切が目に入らなくなり、ただ我武者羅に前に進み敵と戦い続ける。
それしか出来ないといった方がよいかも知れない。
まさに死兵、彼女達は期せずしてその状態に陥るのである。
だから戦況を冷静に見つめ、彼女達に指示を下す者が無ければ、彼女達はいつまでもその場に止まり戦い続け、そしていずれは力尽きる。
「深追いしてはなりません。一旦後方まで退がり、体勢を立て直します」
一様に津田軍を押し返した所で、馬上の姫武者はそう女達に命じた。
負傷者を抱えて退却していく女達の殿軍を一人務める姫武者、その顔をよく見れば、昨日摂津の兵站庫にて出会った森せんを名乗る美しい女子ではないか。
ふいに葦の茂みに潜み鉄砲で彼女を狙う津田兵を認め、中村一氏は側の者から奪い取った鉄砲でその者を撃ち殺した。
突然の轟音。
何事かを察した森せんが、中村一氏の元へと騎馬を寄せてきた。
「私の『黒雲』は刀槍や弓には注意を払うのですが、鉄砲にはどうにも未だ不慣れで…」
そう言いながら彼女はおやと少し驚き、自分に向ける表情を緩めた。
「中村一氏殿でしたね。命一つ借りました。いずれお返しに参ります」
そう言うと彼女は何とも言えぬ美しい笑顔を自分に見せ、馬首を返して後方へと駆け去って行ってしまった。
胸の鼓動が止まらない。
その場で再び一人立ち尽くす中村一氏に、加藤光泰が何事かと走り寄って来る。
「中村殿、如何した?」
「美濃の鬼姫か…」
「先程の女兵達ですか?」
「そうだ。特に馬上のあの女子の見事な姫武者ぶり、この中村一氏ともあろう者が、見惚れてしもうたわ」
背で呼びかける家臣の声。
胸の高鳴りを押さえて中村一氏はそちらに意識を向けた。
葦原の中で動く敵の旗印。崩れて大きく引いた津田軍が、体勢を立て直して再び攻撃に転じるのが見て取れる。
「加藤殿、我らもあの女兵達に負けておられませぬぞ。討って出ましょう」
「承知した。中村殿」
味方本陣から敵軍への突撃の合図は未だ無い。
しかし見事な戦いぶりを目の前で見せられたこの二人の武将は、高ぶるその気持ちのままに津田軍への攻撃を決意した。
「鉄砲隊、放て」
中村一氏の合図で鉄砲隊が火を噴くと、そのまま加藤光泰の手勢が津田軍に向けて雄叫びを上げながら猛然と突撃を開始した。