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烈華 ~乱世を駆けた鬼姫~  作者: つむぎ舞
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本能寺の変

 六月二日に京都本能寺にて織田信長公が明智光秀の謀反により討ち死にの報を受けてより七日が経過していた。

 池田家はこの明智光秀の謀反を、織田信長公と堺行きを取り止め京に滞在中であった織田信忠様の両名を一度に討ち取る千載一遇の機会を得ての形振なりふり構わぬ決起であったと結論づけ、明智光秀謀反は確実との国論の元に行動を開始した。


 当初は三日で尽きるとされた明智軍の兵糧、明智光秀は摂津の組下衆である中川、高山らが寝返らなかった為に池田家の守る兵站庫を狙うを諦め、兵糧の蓄えのある安土城へと転進したのである。

 森せんにとって朗報であったのは、安土城に赴いていた母えいと弟の長重が伴惟安の手によって明智軍襲来の前に無事脱出し、甲賀の里にて匿われているという知らせであった。


 六月九日、毛利家との和睦を結び急きょ反転してきた羽柴秀吉は、二万の兵を引き連れ摂津国へと侵入。

 播磨国との国境近くの明石にて陣を敷き、織田家の重臣池田恒興の他、明智方に付かなかった中川清秀や高山重友ら摂津衆の動向を見定めた。

 羽柴秀吉の使者として送られてきた堀秀政ほりひでまさは織田信長公の側近。

 彼の言葉は無下には出来ず、池田恒興は羽柴秀吉の元へと参じ、今後の手筈を話し合った後に再び彼が統括する兵站庫へと帰還した。

 そして尼崎を目指し進軍を開始した羽柴軍は、途中この兵站庫へと立ち寄り軍需物資の補給を受けたのである。


          *          *


 泥と汗にまみれた男達の異臭にむせる中を、足早に抜ける完全武装の森せん。

 彼女は広大な兵站庫の一画に設けられた池田家の陣幕の中に飛び込むと、見るからに不機嫌そうな顔で、軍議の席の両脇に座す家臣や兄弟達には目もくれず、その小さな体から出たとは思えぬ程の力強さで机を激しく叩くと、中央に座す父池田恒興に大声で言い放つ。


「お父様、あれが誠に軍勢なのですか?

 あの者達鎧兜も無く、刀どころか首取りの小刀さえ持たぬ者も多く見られます。私にはとても信じられませぬ」


「羽柴秀吉殿からはここに蓄えた武具兵糧を彼等に与え、あの者達を明智軍と戦える兵士に仕上げる様にと頼まれておる」

「あれを兵士にしろですって。

 全く、三男の長吉が秀吉の猶子となっている縁があるからと、お父様が下手に出ておるのを良い事に秀吉めが何と図々しい」


「そう憤るなせん。

 この短期間にどの様な形であれ二万という数を集めた羽柴秀吉の手腕は侮れぬ。それに秀吉の力を借りねば今の我々だけでは信長公の仇を討つことも叶わぬ」


 そう言われて森せんは唇を噛みしめた。

 確かに父恒興の言う通りである。


 同じ摂津衆である中川清秀と高山重友の軍と併せても我らの軍は五千。これでは総勢一万五千の精鋭とも言われる明智軍にはとても歯が立たない。

 しかも頼みの綱であった堺の四国方面軍二万が、明智方に与した津田信澄つだのぶすみの討伐時の混乱で瓦解、多くの兵を失い神戸信孝かんべのぶたか丹羽長秀にわながひでの二人は石山本願寺跡地に立て籠もってしまい、池田家がその力を頼れるのは羽柴秀吉の軍以外には無かったのである。


 本国衆と呼ばれる父恒興が、その心情とは裏腹に格下の羽柴秀吉に従うには理由があった。

 織田信長公亡き後、織田家頭領である織田信忠様が織田家を纏めれば謀反人明智光秀など取るに足らぬ存在であった。

 しかしその信忠様も京で亡くなられたのである。

 謀反人明智光秀を討ち織田信長公の仇討ちを果たす事は、それ以降の織田家中で大きな発言権を得る事になり、次の織田家頭領もその功労者を重用するは確実。

 この新たな織田家中での序列争いを池田家も生き抜かねばならぬからである。


          *          *


 疲れた表情で池田家の陣幕を後にした森せんを出迎えたのは、この兵站庫で装備を調え整然と整列した女達だけの軍勢である。

飛蝶ひちょう

 かつて森せんが十三歳の時に領内の女達を集めて作り上げた領内鎮撫の部隊。

 池田家は『備前蝶』の旗印を掲げており、蝶の艶やかさが女だけの隊にも相応しいと森せん自身がそう名付けたのである。

 二百の鉄砲と三百の長柄を抱えた総勢五百名の女達は皆、自分達より年下で小さなこの少女を心配そうな表情で見つめていた。


 遡ること六月二日、森せんは花隈城に戻ると領内の各地に募兵の高札を掲げたが、男手の不足している土地柄、集まってきたのは独り者の女達ばかり。

 しかもその顔ぶれはかつて『飛蝶』として森せんが集めた女達だったのである。

 期せずして『飛蝶』は再結成され、彼女達には数日の調練を施した後に、この兵站庫へと皆で押しかけたのだった。


「姫様、大丈夫ですか?」

「あの様な薄汚い者達の力を借りねば弟達の仇も討てぬとは…、全く情けない」

「京にて果てられた蘭丸様、力丸様、坊丸様のご無念を晴らそうとする姫様のお気持ちに私達は応える所存です。どうかご命令を」


「皆の気持ちは有り難い。だが父上は私にここに残るようにと命じられた。私にこの兵站庫の番をせよとな」

「そんな…。恒興様は我らを侮っておられるのか。

 姫様が美濃に嫁がれてこの地におらぬ二年の間も、我ら池田家のお役に立とうと皆で集まり鍛錬してまいりました。戦場でも男共に引けは取りませぬ」

 そう彼女達は言う。



 父池田恒興は、森せんの集めた『飛蝶』五百名を兵站庫の守りに残し、羽柴秀吉の二万の軍勢と友に、二千の手勢を率いて尼崎を目指して出立して行った。

 見てくれは整えても中心となる兵がいなければ烏合の衆、羽柴のあの軍勢だけではとても明智の精兵には勝てぬだろうと、森せんはそう感じずにはいられなかった。


「なつ、ゆう。徴集兵の集まり具合はどうですか?」

 羽柴軍の長い軍列の姿が見えなくなると、森せんは『飛蝶』の副将に任じた供の二人に声を掛けた。

「もう少しで五百という所でしょうか、それでもよく男共が集まったと思いますよ。これ以上に集めるのは難しいのでは?」

「では彼等の到着を待って出陣します。この兵站庫の番は、彼等にしてもらいましょう」

「姫様、戦場に参るのですね」

「当然です。父上は忘れておられる。

 私はもう池田家の人間では無く、森家の人間なのです。この弔い合戦、私は森家栄達の為に我が夫長可の名代として参じねばならぬ」

「そうですとも、姫様」

 言いかけて、ゆうが口籠もった。

「姫様、あの、私達『飛蝶』はお供をしてもよろしいのですよね?」

「構わぬ。皆で参ろう」


 実の所、皆とは言うたが『飛蝶』五百名全てを連れては行けない。

 鉄砲を持たせた二百名は新参の女達、羽柴秀吉めに貴重な鉄砲を全て取られるのは気に入らぬので、彼女達に飾りとして持たせ、池田家の分の鉄砲を確保したのである。

 その事を女達は皆、承知している。


          *          *

 

 六月十日未明、先行した羽柴勢二万に遅れて新たな五千の羽柴の軍勢がここ摂津国、森せんが留守を預かる兵站庫へと到着した。

 兵力の内訳は加藤光泰かとうみつやすの二千、中村一氏なかむらかずうじの一千、黒田孝高くろだよしたか(黒田官兵衛)の二千であった。

 彼等に疲れは見えるが、寄せ集めの薄汚い連中にしか見えなかった先の羽柴勢二万の姿と比べれば、明らかに鍛えられた軍であり、精兵であった。


 羽柴秀吉にはこの様な兵達もいたのだ。

 つい嬉しくなり、なつとゆうの二人を伴い兵糧を摂る羽柴の兵達の前に姿を現して見せた森せんであったが、彼女達は予期せぬ嘲笑を浴びる事になる。

「池田恒興殿もなかなかに憎いことをなされる。

 我らの疲れを癒やすために、かように麗しき姫武者殿を置いて行かれるとは。まさに重畳」


 そこの見るからに田舎者臭い侍が、自分をまるで見世物の様に言う。

 森せんが立腹してその侍に言い返す前に、なつとゆうがその者を掴んであっという間に地面に組み伏せてしまった。

「この無礼者め。

 池田恒興様のご息女にして森長可様の正妻であらせられるせん様に、何という口のきき方か」

 今までの楽しげな騒ぎはどこへやら、なつの響き渡る怒声にさすがの羽柴の兵達も声を殺して静まり返る。

「なかなかの豪気、いやはや天晴れにござるな」

 少し離れた一画からあがる声、旗印を見るにそこは黒田勢の集まりの様である。

「控えよ太兵衛」

 声を上げた兜武者、母里友信もりとものぶを一喝すると、足の具合の悪そうな男がこちらに進み来て言う。

「中村殿、ここは素直に否を詫びるべきですな」

「おお黒田殿、私はこの方を美しいと褒めたつもりであったが、どうにも言葉を間違った様で、怒らせてしまったみたいなのだ」

「中村殿…何とも不器用な」


 黒田殿、おそらくこの者が黒田孝高殿なのだろう。

 黒田孝高は溜息をつくと森せんに非礼を詫び頭を下げた。

「ここは、この黒田孝高の下げた頭に免じて、中村一氏殿を許しては下さらぬか」


 ふむ、美しいと言われて悪い気はしない。

 夫長可でさえ、そのような言葉を自分に言って下された事は今まで一度も無い。

「なつ、ゆう。お前達は何をしているのです。私は怒ってなどいませんよ。中村一氏殿を早く放して差し上げなさい」

 はあ?っと森せんの顔を見上げるなつとゆうの二人。

 中村一氏を解放した二人は主の横に立つと、何やらニヤニヤとした表情を浮かべ始めた。

「姫様、何か顔が赤うございませんか?」

「そんな事はありません。行きますよ」

「姫様、照れておられますよね」

「うるさい。黙りなさい」


 踵を返して早足で立ち去る森せんと、それをからかいながら追いかける二人の従者を見送りながら、黒田孝高が笑い声を上げる。

 その横には、バツの悪そうな表情で立ち尽くす中村一氏の姿があった。

 

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