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烈華 ~乱世を駆けた鬼姫~  作者: つむぎ舞
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花隈城にて

 天正十年(一五八二年)三月、美濃国金山城より池田家へと一時帰郷を果たした森せんは、自身の思惑とは裏腹に未だに摂津国花隈城に滞在していた。

 当初彼女は数日の滞在の後にすぐ美濃国へと戻れば、夫長可の出陣までに金山城へと帰れると考えていたのだが、花隈城下の荒廃と実家である池田家中の混乱ぶりを見かねて帰れなくなってしまっていたのである。


 父池田恒興が織田信長公より命じられ、西国平定戦に向けての物資集積地として整備してきた兵站庫は、森せんの輿入れから約二年近くの間に凄まじい規模にまで拡張されており、その警備と物資管理のために池田家は多大な人員を割かれ、結果として領内整備の殆どが未だ手つかず、荒木村重の反乱による乱世の傷跡は依然そのままの状態であった。


 森せんの帰郷した花隈城内にも相変わらず人は殆どおらず、領内の荒廃により池田家は財政にも困窮していた。

 戦はしておらずとも池田家はその兵站庫の警備と、荷の受け入れに積み出しの為の兵と人足を二千人近く常時維持し続けねばならなかったからである。

 久しく戦から遠ざかていた尾張国や美濃国に比べれば、花隈城下の衰退は一目瞭然で、田畑で働く人々の表情にも余裕がない。

 そしてどこを見ても働くのは女や老人ばかりで、とにかく男手がいない。

 兵に散られ戦で死にを繰り返していれば、当然そうなる。


 父恒興や兄達に代わりここは自分がやるしかない。

 そう思い定めて森せんは花隈城の屋敷に籠もると、溜まりに溜まった書類だけでなく、今も領内から上がってくる嘆願や訴訟の書面を手に取り、得意の長柄を筆に持ち替えて、右往左往するばかりの姉妹や女官達を纏めて奮闘し始めたのだった。


          *          *


 安土城や京周辺の動向については、常に目を光らせておく必要がある。

 この情報収集には甲賀者の森家家臣である伴惟安ばんこれやすの手の者数名が担当し、常時森せんの元へと伝え来ており、美濃国金山城からの手紙もその中には含まれていた。


 その手紙で森せんは、安土城へと送った弟の森長重もりながしげ(幼名仙千代)が織田信長公の叱責を受け「未熟すぎる」として小姓見習いとしての出仕からわずか三日で美濃国金山城へと送り返されてしまった事を知ったのである。

「やはり、やらかしてしまいましたか…」

 弟の素行を少しでも正せればと頑張った森せんとしては、やはりという思いはあっても残念でならなかった。


 手紙には他に武田との戦の事が書かれていた。

 武将団忠正だんただまさと共に先陣の栄誉を受け信濃国の武田攻めに向かった夫森長可の武田の要衝である高遠城での戦いぶりや、家老の各務元正かがみもとまさ林為忠はやしためただがその戦の一番槍を競った話などが記されており、森せんもそれに興奮しながら目を通した。


 四月になると信濃攻めの詳細が花隈城にもたらされ、森家は織田信長公より恩賞として信濃川中島四郡二十万石を領地として賜り、その地を夫森長可が、そして美濃国金山城は弟の森蘭丸が継ぐことを命じられたと知った。

 この事を伝えると父恒興は大層喜んでくれ、久々に花隈城へと帰城した兄弟と家臣達と共にささやかな祝宴でそれを祝ったのである。

 ただ残念な事に、その手紙には新たな居城となった海津城へと自分を呼び寄せる夫長可の言葉は一切書かれておらず、それどころか占領地の情勢が落ち着くまでここに留まるようにとの指示に、森せんは大いに落胆したのである。


 しかしながら実の所は、すぐに帰って来いと言われても池田家中の今の状態にある程度の区切りがつくまで森せん自身、ここから一歩も動けそうにはなかった。

 神戸信孝かんべのぶたか(後の織田信孝)の軍の第一陣として二万の兵が四国へと渡り、西の毛利家と対陣中の羽柴秀吉への援軍として明智光秀軍の派遣、次いで織田信長公と織田信忠様による十万の織田軍本隊の編成が決定されると、その兵糧分配と配送の為の人員の手配に池田家中は更に多忙を極めていたのである。


 五月、母えいが森長重を伴い安土城へと挨拶に出向き、織田信長公へ先の失態の取りなしを頼むつもりであると伝えられ、その護衛には伴惟安が同行すると書かれていた。

 彼の手の者から伝え聞く話によれば、信濃の新領へと赴くための増員を行うらしく、その内の一隊が森せんの警護役としてこちらにも送られてくるという。

 残念な事に信濃の新領は未だ旧武田の残党による反乱が起こり、未だ情勢の安定が見られ無い様であった。


 美濃国金山城を離れてもう半月になる。

 夫長可を追い海津城へは赴けなくとも、金山城へはそろそろ戻らねばならない。

 そう森せんは考え始めていた。

 転封により池田家がこの地に入ってすぐに美濃国金山城へと嫁いだのである。

 この地で出会い召し抱えたなつとゆうの二人と違い、森せんにとってはこの地での生活よりも金山城の暮らしの方が既に長く、そちらに懐かしさを覚えるのは当然の事であったのかも知れない。


          *          *


 天正十年(一五八二年)六月二日、摂津国花隈城に急使が届き城内は騒然とした。

 池田勢と明智勢による戦闘が兵站庫にて発生したとの伝令の報告に、森せんは急ぎ『黒雲』を走らせた。

 森せんが兵站庫へと到着した時には既に戦闘は終結しており、明智勢と思われる数百の首が路上に晒されていた。

「お父様、何があったのですか?」

 辺り一面は未だ血の海、殺戮の惨状冷めやらぬその場で、森せんは怒りに顔を赤らめて憤慨する父池田恒興に問うた。

「明智の謀反だ。織田信長公が京にて明智光秀に襲撃された」

「何ですって、ではここにも明智の襲撃隊が来たという事なのですか?」

「討ち取ったこの者達は、明智の兵糧を運ぶ為の人足とその警護の者だ」


 家臣達からも話を聞いて回ると、京から明智謀反の報を伝える織田軍の伝令がこの兵站庫に届くと、父恒興は兵站庫で本隊の到着を待つ為休息していた明智軍の輜重隊を急襲し、一方的に殺戮したのだという。

 結果、輜重隊警護の明智者五十人と千人近い数の非武装の人足達が討ち取られた訳だが、こちらの被害も少なからず出ている。

 しかし状況だけ見てみればおかしな部分が多々ある。


 すぐに残りの兵を集めて京へ向け討って出ようとする父恒興と兄弟達を森せんは諫めた。

「お父様、我々は早まったのではありませんか?本当に明智光秀は謀反を起こしたのでしょうか?」

「京よりの伝令はそう伝え来ている」

「それが誤報であるかもしれぬと私は申し上げております」

「誤報だと?何を根拠にお前はそう言うのか?」

「では家臣達からも聞いた話をまとめ、私が思うところを申します」


 森せんは言に不服そうな父恒興に、彼女は三つの理由を挙げてみせた。

「一つ、ここに到着した明智の輜重隊が本隊の動向を知らなかった事。二つ、その荷車には明智の保有する全てである二千丁もの鉄砲が積まれたままであった事。三つ、輜重隊の護衛が僅か五十人しかいなかった事です。明智光秀は戦上手な人なのでしょう?」

「そう…とも、言える」

 父恒興の明智光秀に対する評価は歯切れが悪い。

 明智光秀が織田家家臣団の中では新参者であるにも関わらず、織田信長公に重用されている事を父恒興が面白く思っていないのを森せんも知っている。


「今の明智軍には手持ち三日分の兵糧しか持ち合わせていないと私は考えます。それに織田領内の余剰兵糧の全ては今何処にありますか?」

「この兵站庫に集められておるな」

「そうです。ならば明智光秀は謀反と同時にこの兵站庫を狙い、輜重隊に化けた一軍を送り込んで来ていたはずです。そしてあの二千丁の鉄砲が火を噴き、お父様も兄上様達ももう生きてはおられなかったでしょう」

「明智の兵糧が三日で尽きるとなぜそう言い切れる。明智はこの日の為に兵糧を蓄えていたに違いない」


「明智の所領である近江坂本と丹波国から大量の兵糧がここへ送られてきています。各地から送られてくる物資に不正が無いかをこの数ヶ月、私が花隈城内の帳簿で確認していたのです。明智光秀にその不正は見られませんでした」

「つまり自軍の兵糧が尽きるのが分かっていながら明智は謀反に至ったというのか?」

「ですから謀反で無い可能性もあると言っているのです。その場合、お父様は怒りに任せて事実確認もせずに味方を殺めた事になります」

「むう、だが一理ある。私はどうすべきだろうか」

 娘にやり込められる形ではあるが、父恒興は自身の短慮に肝が冷えたのか、動揺を隠せないでいる。

 とにかく父は冷静さを取り戻した。今はそれでいい。


「兵糧と鉄砲の全てを謀反成就の為の囮とした可能性、または期せずしてそれを行った可能性もあるのです。ですから謀反であった場合と無かった場合の双方を考えて動くべきです」

 すでに明智者を殺してしまった事は仕方ない。

 誤報に踊らされたとでも言い、その場合は平に謝るしか手が無い。


「期せずして謀反に至った場合、兵糧に乏しい明智軍が次に狙うのはここです。組下の中川清秀なかがわきよひで高山重友たかやましげともに命じて一軍を進めてくるでしょう。ですがここを死守すれば明智軍は飢えて瓦解するはずです」

「分かった、重臣を集めお前の言を協議する」


「ありがとう御座います。では私は花隈城へと戻り、募兵の触れを領内に出して参ります」

「せん、我が国の財政状況でどれ程の兵が養えるであろうか?」

「お父様、この兵站庫には十万の兵を数年は養えるだけの物資が蓄えられているのですよ。これを今使わないでどうするのですか」

 森せんの言葉に、父恒興は頷いて見せた。

 だが問題は物資兵糧ではない。

 この国には男手が殆どいないのだ。果たして募兵の触れでどれだけの兵が集められるか?


 しかしもうその事は森せんの頭の中からは消えていた。

 彼女の脳裏に浮かんだのは織田信長公の小姓として行動を共にしている三人の森家の陽気な弟達の姿である。

 だからこそ、明智謀反など彼女は信じたくはなかったのである。

 杞憂であって欲しい。

「蘭丸、力丸、坊丸。無事でいて下さい」

 花隈城への帰路を駆ける『黒雲』の馬上の森せんの表情は、とても険しかった。

 

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