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烈華 ~乱世を駆けた鬼姫~  作者: つむぎ舞
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仙千代

 順風に見える森家にも頭を抱える問題はあった。

 森長可は一番下の弟である仙千代せんちよの素行について、家臣達から上げられてくる苦情に頭を悩ませていたのである。

 厨に入り食べ物を盗み食いしたり、学問や武芸をサボる程度はまだ許せる範囲である。

 しかしながら、森一族である事を笠に着て、職務中の家臣達に遊びを無理強いしたり、所構わず水を浴びせ掛けたりと悪戯勝手が過ぎるのである。

 特に最近では城番として城に上がってくる領民達に目をつけ、相手が手出しせぬのを良い事に、棒を振り回して乱暴を働いたという事例が相次いでいる。

 そしてこれらの勝手が何時まで経っても収まらないのは、母えいとその父である林通安はやしみちやすの二人があまりに彼を甘やかし、仙千代の逃げ場を作ってしまっている事にあった。


 こういう事を何より許せないのが妻のせんである。

 家臣達と違い、彼女だけは仙千代の逃げ場所にも踏み込める。

 仙千代を捕まえた彼女は厳しく叱咤するだけでなく、「打たれた領民達の痛みを知れ」と枝で彼の尻を打ったり蔵に放り込んだりもしていた。


 仙千代が抵抗せずに小柄な妻せんに大人しく引きずられていくのは、兄である自分を恐れての事で、激怒した自分に比べれば義姉あねの方がまだましだと思っているからである。

 しかし仙千代の性根がそれで簡単に正されるものでもなく、たちの悪い事に仙千代はこの事を裏で母えいに大袈裟に言いつけるのである。

 それで最近では母えいと妻せんの関係もあまり思わしくない。

 その事を今度は妻せんからの愚痴で聞かされる。全く困ったものである。


「仙千代が私の言葉に耳を貸さぬのは、まだ私を姉では無く余所から来た五月蠅うるさい女だとしか思うておらぬからです。私は仙千代にも家族と認めて貰いたいのです」


 仙千代の心の幼さが、全ての元凶であるのは当の本人以外は周知している。

 だからこそ母や叔父は仙千代をまだ幼いからと庇い、妻せんは彼に早く物事の善悪というものを学ばせたいと厳しく躾ようとする。

 どちらも仙千代を思っての行動であり、母や叔父も仙千代に厳しくせねばという思いはあるし、妻せんも本当は仙千代を可愛がりたいと思っているのだ。


 やはり自分が出て行くべきか…。

 しかし森長可は、妻せんが思案し悩む姿を思い浮かべてそれを思い止まった。

 彼女の努力を自分が台無しにしてしまっては何とも申し訳ない。

 結局、森長可はこの件をしばし妻せんに任せてみる事にしたのである。


          *          *


 天正九年(一五八一年)十二月、岐阜城の織田信忠様より金山城に武田攻めの陣ぶれが伝えられた。

 出陣は翌二月、森長可は自身の不在時の家中の事について、いくつかの決断を迫られる事になった。

 一つ目は仙千代、そして二つ目は妻せんについてであった。


 弟の仙千代については、妻せんにこれまで一任してきたが、長期の出陣となればそうも言ってはいられない。

 仙千代の甘えやおごりを取り除き一人前にするためにも、母えいとは一度引き離すべきだと家臣達からも声が上がっており、森長可にもそれが最善と思えた。

 仙千代を近江国安土城内の森家の武家屋敷へと送り、蘭丸、力丸、坊丸の三人の兄達の元で過ごさせれば、そこには頼るべき母もおらず仙千代自身が一番の存在でもない。


 ただそれだと、母えいも共に行くと言いかねない。

 これについては、まだ十二歳と早期ではあるが、元服させ小姓見習いとして安土城へ出すという事にし、「一人前の侍として送り出すのだから、母がついて行っては仙千代が他から侮られる」と強く反対していた母えいを折れさせた。



 武田との戦を前にした妻せんについては、森長可不在の間、妻としてその後方を守り城で大人しくしていてくれれば何の問題も無い。

 しかしあの性格である。

 自分と共に参陣すると言い出したのは、家臣一同で説得して押し止めたものの、勝敗は戦の常、もし長可自身の敗戦が城に一度でも伝わろうものならば、すぐにでも彼女は援軍にと出陣しかねなかった。

 愛おしき妻を戦場に送るなど、考えられなかったのである。


 妻せんには金山城の事は全て母えいと家臣の森通安に任せると伝え、実家である池田家の元へと里帰りして来てはどうかと話をもちかけ、そのついでに安土城へと仙千代を送り届けて欲しいと願い出たのである。

 仙千代の素行を知る彼女は、道中彼を厳しく躾る者が必要であろうからと承諾はしたが、里帰りについては堅く固辞し続けたのである。

 やむを得ず森長可は、義父池田恒興の元へと手紙を発し、恒興より妻せんに向けた里帰りを懇願する手紙を書いて送らせたのである。


          *          *


 天正十年(一五八二年)一月、森長可は妻せんと元服させ森長重もりながしげと改名させた弟仙千代の二人を、自身の出陣に先駆けて金山城から送り出すと、この一ヶ月の間苦心した自分の姿を振り返り、我ながらよく頑張ったものだとほっと一息をついた。


 義父池田恒興の手紙に加えて妻せんが最も信頼するなつとゆうの二人の従者に里帰りの説得を懇願し、母えいには京土産を頼ませたりと、森長可が裏で手を回していた事を妻せんが気づかぬ訳が無い。

 当然その事を詰め寄られ、逃げ損ねて足に嚙みつかれた事もあった。

 そして泣きわめく妻をなだめるのに失敗して夜の床が別々になる事にもじっと我慢した。

 結局は妻せんの方から折れてくれて事は収まったが、「京の都で好きな物をいっぱい買いますからね」とふくれっ面の彼女に何度も約束させられた。


 あれから数日、今日も金山城は来月に控えた出陣の支度で今も人が慌ただしく行き交い、屋敷の中で家老達と共に溜まった領内訴訟などの残務に追われている。

 そんな忙しさの中でも、そろそろ妻せんからの摂津国へと到着した知らせが城に届くだろうかと心待ちにしている自分がいる。

 左足のすねに残る妻せんが残した二つの歯形を手でさすりながら、森長可は何とも言えぬ可笑しさを覚えていた。

 

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