中村家 前編
天正十六年(一五八八年)九月、池田家と中村家の両家の取り決め通り、池田せんは近江国水口岡山城の中村一氏の元へと嫁いだ。
婚儀の席でもそう思ったが、この中村家というのはこれまで中村せんが見てきた武家の家々と違い、良くも悪くも何とも砕けた家風であった。
婚儀の宴席で男も女も皆が浮かれ騒いで酔い潰れ、花嫁である自分だけが一人上座に取り残され、夫となった中村一氏も宴席のど真ん中で大の字に倒れて大いびきをかいている始末。
そんな状況に唖然としながらも一人居室へと戻り、着替えを済ませて一人眠りについた夜を思い出す。
中村せんの申すように、中村家の家風が一般的な武家とは程遠く異なるのには理由がある。
岸和田城時代の中村一氏は紀州国雑賀衆の抑えとして配され、弟の中村一栄と数人の家臣を率いていただけで、あとは羽柴秀吉から預かった兵を指揮していたに過ぎなかったが、近江国水口の一郡を領してからは、そのままでは人手が全く足りない。
その為に中村一氏の生地である尾張国那古屋の尾州中村や近江国の瀧村や多喜といった地からも近親縁者や知人をかき集めて、急きょ中村家の家臣団を編成した。
家中の男も女もつい二年前まではその殆どが土を耕し暮らしていた者達であり、中村一氏に従い戦場を駆けてきた家臣達も元々武家の出自の者もおらず、家老へと繰り上がった野一色助義も武家の家の者達の振る舞いというものを全く理解していなかったのである。
水口岡山城の二ノ丸の屋敷に住む中村家の女達は、掃除に炊事洗濯をこなす以外は普段各々が自由に振る舞い、城内に畑を作り野良仕事をする者もいたりはするが、大抵は屋敷の中で一塊になって頭を並べて昼寝している。
中村せんがなぜそうしているのかと問うと、「武家の女とはなったが、何をすればよいのか分からぬのでそういている」と彼女達は答えた。
中村せんの苦手な歌を含め、手習いなどせずにいても誰からも何も言われぬ暮らしは実にのんびりとしたものだが、やはりこれではいけないのだと思う。
城の女達も中村家を盛り立てねばという気概はあるのだが、何をすれば良いのかさっぱり分からず、実の所、武家から嫁いで来てくれた中村せんには皆が期待しており、お声が掛るのを待っていたという。
そうまで言われて動かぬわけにはいかない。
しかし残念な事に、この女達の中にかつて岸和田城預かりとなり生き別れた『飛蝶』の女達はいなかった。
金山城である程度の教育を受けた彼女達がいればとも思ったが、重傷者であった三人ともそれ程長くは生きられなかったという。
仕方なく、身の回りのことは一人で出来るからと一度は断った側仕えの女を一人、池田家から寄越してくれる様にと弟の池田輝政に文を認め、まずは空き時間を利用して、読み書き、礼法、簡単な手習いをズラリと並んだ女達に教え始めた。
* *
もう一つ中村せんには、城での生活についての懸念事項があった。
武家の女、いや一人の女としては、こちらの方が重大事であり、その理由について色々と考える日々が続いた。
なぜならば、夫一氏が夜の床を共にしても、自分に背を向けたままで指一本触れようとさえしないからだ。
自分は中村一氏本人にどうしてもと請われて嫁に出されたと聞いていたが、こういう事が続いてしまうと、それは自分の思い違いであり、夫一氏の意思を無視して家同士が勝手に婚儀を決めた為に、一氏自身がその事を納得出来ないでいるのかもしれない。
私が中村一氏の伴侶のままでいのか?
もしこれが納得出来ない婚儀であったのならば、まだ日も浅いので、婚儀を破棄して頂くという事も出来るかも知れない。
ただその場合、池田家の面目を潰さぬようそれなりの理由を作る必要がある。
こんな事を一人思い悩んでいても仕方ないのだが、相談した女達の口からこんな話が漏れては騒ぎにななりかねないので、この話を打ち明ける相手も慎重に選ばねばならなかった。
結局、中村せんが選んだのは中村一氏の弟の中村一栄。
弟と初めて交す会話がこのような内容で申し訳なく思ったが、中村せんは思い切って彼に事情を打ち明けたのである。
「全く、兄者は何をしている。姉上がこんなにつらい思いをしているというのに」
そう言いながら弟一栄は立ち上がり、ドタドタと部屋の中を動き回りながら憤ると、その場に座っている中村せんに向け、突然平伏して兄の事を何度も詫びたのである。
「姉上には是非とも見て頂きたいものがあります」
弟一栄に二の丸の御殿から外に連れ出され、彼が指差すその先を見て、中村せんは思わず声を上げた。
「姉上を迎えるこんな目出度い出来事を何とか形にして残しておきたいと、兄者が考えて揃えさせた物ものです。これが姉上に対する兄者と俺、そして中村家皆の気持ちです」
そこにあったのは御殿の屋根瓦の瓦飾りに描かれた『備前蝶』の紋。
池田家の家紋であり『飛蝶』の名の由来でもあるそれが、一家の守る想いを込めて置かれる瓦飾りの全てに描かれているのである。
「兄者はがさつな乱暴者なんて呼ばれてきましたが、ああみえて女人とまともに会話すら出来ぬ堅物な男なのです。
姉上の思い悩みは全くの杞憂で、兄者は姉上と共に居るだけで感極まって固まってしまっているのではないかと俺は思うのですよ」
そう聞かされて、中村せんの思い悩みは消えたが、夫一氏のそんな人となりを聞いてしまうと確かめたくなるのが彼女の性分である。
早速、その夜に同じ床で自分に背を向けて寝ている夫一氏に中村せんの方から声を掛けると、夫一氏の体がピクリと反応して裏返った声が返ってくる。
「私の事がお嫌いですか?」
中村せんが意地悪く夫一氏の耳元で囁くと、中村一氏が飛び起きてその場に正座した。
更に中村せんが問い質すと、夫一氏は小さな声で答え始めたのである。
彼は出家の身を無理矢理還俗させて嫁に迎えた事を中村せんが不快には思っていまいかと考えていたらしく、それに加えて女人とどのように接してよいのか分からず今日まで来てしまったのだと言う。
(不器用でかわいいお方…)
自分の前で恐縮して小さくなっている夫一氏の姿に思わず笑みが溢れてくる。
中村せんは自分の方から夫一氏の手を握ると、カチカチに固まっている彼の腕、肩へと手を伸ばし、そのまま彼を床へと押し倒した。
* *
婚儀から一ヶ月も経たぬうちに、大阪城の豊臣秀吉から中村一氏は従五位下式部少輔の官位を送られた。
豊臣秀吉からの結婚祝いという事なのだろう。なんとも気前の良い男である。
中村家は隆盛を誇る豊臣家の直臣であり、これに加えて官位を戴く家柄となった事で、更に家の女達は奮起した。
中村せんは池田家より送られてきた側仕えの女を筆頭女官に据えると、まずは二人して中村家の女達の教育改革に勤しんだのである。
中村せんは中村一氏との間で一つの願い事をした。
それが前夫である森長可供養の為に一ヶ月の内の数日間、地元の寺である大岡寺に入るというものである。
中村一氏は弟一栄からの叱責もあり、これまでの中村せんに対する態度に負い目を感じてか、しばらくの間はしおれた花の様であった。
そんな時にこの話を持ち出した為に、夫一氏は自分よりも前夫長可の方に情があるのかと口を尖らせ子供の様に頬を膨らせた。
いい歳をした大人が子供の様に振る舞う姿は何とも可笑しく、そして可愛くも感じた。ただ誤解があってはならぬので、供養はあくまで自身の心にけじめを付けるためと説き、夫一氏を何とか納得させたとは思う。
ただ、その日の夜から、夫一氏は別人の様に変り、自分をずっと激しく愛してくれる様にはなった。




