二人の想い
池田せんが森性を名乗り、森せんとなってより数ヶ月、彼女は新たな母となったえいより森家のしきたりや家風についての教えを受け事に日々を費やしながらも、暇を見つけては城を抜け出し、なつとゆうの二人を伴い城下見物に出かけるなどしていた。
今日も今日とて母えいが、歌の会を開くなどとつまらぬことを言うので、会の着物を選ぶと称して自室に籠もったふりをして、そのまま城を抜け出したのである。
当然城の門番の者は、母えいから常習犯であるせん姫の抜け出しを許すなときつく言われてはいるのであるが、せんの従者のなつとゆうの手回しは秀逸であり、せん姫を見逃せばそれなりの金子や礼物が後々こっそりと贈られるとあって、逆に彼等は「自分の持ち場からせん姫様が逃げ出してくれぬだろうか」と心待ちにしている有様であった。
まるで童の様に今日の成功を笑いながら、城へと続く長い坂道を小走りに下るせん達三人。
城下見物の際にはあまり人目を引かぬよう、三人とも麻の小袖に帯といった町人に似せたありふれた姿である。
せんの方も母えいに対して後ろめたい気持ちが無いわけではない。
武家の女の嗜みと言われる様なものの免状は、礼法と書の二つぐらいしかまだ持っていなかったからである。
だからこそ、母えいの想いには応えたいのとは思うのだが、やはり我慢にも限界というものがある。
「茶も歌も好かぬ。母上様には悪いのですが、やはり人には向き不向きというものがあると私は思うのです」
「花隈の城でも、姫様の歌下手は評判でしたし」
「そろそろ姫様の根気も切れる頃合いと、私達も話しておりました」
なつとゆうの二人も随分丁寧な物言いが板に付いてきた。
しかしながら、その口から繰り出される皮肉は衰えるどころか更に磨きがかかっている様に思える。
「もう、なつもゆうも意地悪を言う」
「それはそうと姫様、今日は町の方でよろしいのですか?」
「うん、河港の方を見てみたい。それにあなた達も町の方が楽しいのでしょう?」
「はい、頼んでおいた京で流行の細工物がそろそろ届いておる頃でしょうし、それらを見ておきたく思っております」
「お前達だけずるい。私に内緒でそんな事をしていたのですね。私も連れて行きなさい」
「大丈夫ですよ姫様、沢山用意して貰っていますから」
「私の物はともかく、気苦労をかけておる母上様に何か送りたいのです」
「ふふ、姫様は優しゅう御座いますね」
「長可様も姫様にもっと素直に接して差し上げればよいのに」
「なつ、ゆう。そこはその…、案外そうでもない」
「ほう、それはまた詳しく聞き出さねばなりませぬな」
「もう、急ぎますよ」
* *
城の北西にある金山の城下町は、広く整備された通りを挟んで整然と区分けされた家々が並び人の往来も多い。
他に荷の積み下ろしで活気ある河港もあり、森家は木曽川を活かした商業重視の領内整備に随分と力を入れていた。
中でも海から遠い内陸地に位置する森家の懐を年間を通して潤していたのは、海魚や塩の専売権を与えた商人達から上がる税収である。
森せんがこの何度かの憂さ晴らしの領内見物で感じたのは、森家の内政手腕の見事さであった。
夫長可自身は、あまり内政に気を配る人ではなかったが、その分家老達の意見にはよく耳を傾けていた。
部門の家とだけ思うていたが、そのあたりの事には感心せずにはいられなかったのである。
そして森せんがもう一つ認識を改めたものがある。
それは夫である森長可その人についての事であった。
気の短い乱暴者。
元々夫についてはそう聞き及んでおり、人の話も聞かずに辺り構わず怒鳴り散らす様な男かと思うていたが、そうでは無かった。
気が短いと言えば確かにそうであるが、夫長可のそれは他人に対してではなく、『会いたくて仕方が無い』『心配で堪らない』『嬉しさを抑えられない』といった、内から溢れる自分自身の想いに起因するもので、時にそれが大きく常識を外れてしまうのがたまに傷という所であった。
森せんの領内見物も夫長可は「好きにやれば良い」などと笑い飛ばしながら自分に言ってはいたものの、その裏では供のなつとゆうに伏してその無事を頼み込んでいたのである。
この事を冷やかし半分で彼女達より聞かされ、嬉しいやら可笑しいやらで、「気を回す所は我が父恒興にも似ていますね」と三人で笑ったりしたのを覚えている。
他にも家臣の一人が病気だと聞けば、慌てて城を飛び出して見舞いに行ったりと、家族や家臣達に向けられる夫長可のその行動は、時に不器用にも見えるがとても愛に溢れたものなのである。
何より嬉しかったのは、せんの言葉にしっかりと耳を傾けてくれるところであった。だから城内での不満や町や村で見たこと、感じたことを押さえ込まずに口に出すことが出来た。
『鬼武蔵』と呼ばれるほどに強く、それでいて不器用で細やかな人。
知れば知るほどに、森せんは夫長可に惹かれていったのである。
* *
一方の森長可の方も、一言で言ってしまえば妻せんにぞっこんであった。
祝言の日に森家の面目を保ってくれただけでなく、『鬼武蔵』などと呼ばれて織田家最強と正直自惚れていた自分を立ち会いで殺し、その鼻を折った女。
そしてこの自分でさえ恐ろしくて決して刃向かえぬあの織田信長公を前にして一歩も怯まぬ振る舞い。
隣で平静を装ってはいたが、あの日既に森長可は、妻せんにその心を何本もの矢で射貫かれていたのである。
しかしながら当の妻せんは、自分の事を本当に好いてくれているのであろうか。
これは家と家との婚儀であり、彼女にとっては不本意でありながら、戦国の世の女の定めと諦めての事ではないだろうか?
そんな事を考えると何かもやもやする。
それを確かめたい気持ちはあるものの、直接本人に聞くのは恐ろしく、かといって彼女の供の者達に尋ねてそれが妻せんの耳にでも入れば、自分の強き男という印象が崩れかえって嫌われてしまうのではないか。
「俺は格好良く勇ましき自分の姿だけを妻せんには見ていて貰いたいのだ」
そんな気持ちも相まって森長可は、妻せんに素直に接することが出来ずにいたのである。
妻せんの気を引くにはどうすればと、あれこれ思案した森長可であったが、ついに贈り物をしようと決心したのである。
舶来品の木綿の着物に流行の細工物、美しく着飾った我が妻の姿を想像し、にやけてみたりはしたものの、何かが違う。
あの織田信長公に『鬼姫』の名のりを希望した女人である。
「ならば専用の武器や武具であろうか?」
とも考えたが、あれ以来立ち会いで彼女を木刀でも棒でも何度も負かせている事もあり、そんな物を送って「もっと武技に励め」と彼女を見下していると思われてもかなわぬ。
そんな時、馬をと森長可に勧めてきたのが家老の各務元正であった。
各務元正は六月の三木城攻めに羽柴軍の援軍として赴いた際に深手を負い、未だ出仕の叶わぬ彼を森長可が見まい、その際に妻せんについても相談したのである。
彼が城に出ていれば、金山城での祝言についてのあの失態は防げたかも知れない。それ程に森家にとっては頼れる存在であった。
各務元正の言葉に最初は乗り気で無かった長可であるが、この頃には『せん姫様の領内見物』は金山城の名物ともなっており、母えいだけでなく、他の家老達も少なからずその対応には頭を抱えていたのである。
「馬を与えれば、馬の世話の一環としての遠乗りでせん姫様は公然と城の外へと出る事が出来る様になりますし、出かけた際も歩くよりずっと早く城へもお帰りになられるでしょう」
この忠言が決定打となり、森長可は馬の購入を決めた。
決めたまでは良いが、岐阜城下や尾張の城下町の方々へと人を走らせてはみたが、そう都合良く馬商人を捕まえられない。
やむを得ず出入りの商人に口利きを頼み、馬商人の尾張への到着を待つことにしたのである。
そして雪解けを待って東国から尾張へと訪れてきた馬商人が金山城に招かれたのは、翌年の春の事であった。