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烈華 ~乱世を駆けた鬼姫~  作者: つむぎ舞
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別れ

 美濃国大垣城に入ってより三日目、天野源右衛門あまのげんうえもんが尾張国金山城へ向かう旨を池田せんに伝え来た。

 森家を絶縁され出戻りとなったせんは、森姓を返上し池田せんを名乗っている。


 天野源右衛門は池田せん見出した武将だが、森長可もりながよしが直々に家臣として取り立て、池田せんの愛馬『黒雲』の轡取り兼与力として池田せんに付けられている形であった為、今なお彼は森家の家臣である。

 その為に一度は城に戻り、これまでの礼を述べた後に森家を辞するつもりだという。そしてその際に『飛蝶』の女達を何人か金山城へと連れて行くという。

 どうやらその女達には彼の地に既に想い人がいるらしく、彼女達自身が金山城行きを希望しているのだそうだ。

 

『飛蝶』の女達には池田家の領内で暮らすも、城に残るも自由と弟の池田輝政いけだてるまさは告げた。但し、城に残るのであれば家臣の何れかの養女となって貰い、その後別の家臣の元へと嫁ぐことになると伝えられている。

 新たに家臣団を作り直さねばならぬ今の池田家にとって、家臣同士の縁を強めるためにも必要な事ではあるが、嫌ならば城を出ることも許されている。

『飛蝶』の生き残りの十一人中の六人が金山城行きを望み、二人が故郷である摂津国花隈城下に帰郷する事を望んだ。

 大垣城には三人が残り、この女達はこれから武家の女としての人生を歩んでいく事になる。


 結局、『飛蝶』の女達とは殆ど言葉を交わさなかった。

 元々自分は彼女達からは遠い位置にいる存在であり、彼女達の細かなところは全部なつが仕切っていたからだ。

 私が彼女達を地獄へと誘った悪鬼ではなく、少しでも彼女達の人生に光を当てる存在であり得ただろうかと問う日々が、これからは続くのだろう。


 絶縁された事で森姓を失った池田せんだが、絶縁は家と家の決め事、池田せん自身と森長可が結んだ心の縁は、何人たりとも断つことは敵わぬ。

 だから弟輝政に何か言われる前に、池田せんは森長可の妻として彼を弔うために、出家する道を選んだ。

 そうして手に入れた名が『安養院あんよういん』である。


 仏の道を開く方法は人それぞれ、一心に経を唱える者、苦行に身を晒す者、畑仕事や作務にその道を見出す者と様々であるとその時に聞いた。

 

 そして池田せんは決意した。

『安養院』を名乗ったからといって、自分は日々念仏を唱えて過ごす様な事はしないと。そうする事が森長可の供養になると池田せんは、どうしても考えられなかったからである。 


 亡き夫長可が悔いたこと、それは自分の死の間際に、せんと長可の互いがその場に居なかった事に違いない。

 自分が共にいれば森長可は死ななかったと考えるのは、ただの思い上がりだ。

 しかし彼が戦場で私を傍らに置こうとしなかったのは、最愛の者を危険に晒したくないという思いともう一つ、未だ戦場を駆けるには未熟だと判断されていたからに違いない。

 そんな自分が一緒にいても、ただの足枷にしかならなかったはずだ。


 だからまずは自分自身を徹底的に鍛え上げる。

 私の武が『鬼武蔵』森長可に並び立ちそれを超える程に、そしてその時こそ、互いの無念の情は晴れるのだと。


          *          *


 池田せんが門を叩いたのは大垣城の北に位置する華厳寺けごんじ、当初は武門の寺として有名な東美濃の願興寺がんこうじを考えたが、大垣城からは遠く森家の領内に近い事から断念した。

 華厳寺に入ってからは、寺の僧の使う粗末な宿舎の一つを借りて仮住まいとして暮らし、大垣城に戻るのは数ヶ月に数日だけという生活が始まった。

 弟輝政は姉が寺に入ることについては何も言っては来なかった。自分が毎日経を唱えて静かに暮らしているとでも思っているのかもしれない。


 寺には一般の僧と姿は変らぬが、僧兵という者達が存在する。

 かつての比叡山僧兵の様な頭巾に白黒の僧衣、手には長刀という独特の出で立ちをした者はいないが、それでも寺領を自衛する為に武の修練に励む者達がいるのである。


 華厳寺の北には横蔵寺よこくらじという比叡山延暦寺と関係の深い大層大きな寺があり、かつて織田信長公の比叡山焼き討ちの際には多くの僧兵達がこの地に逃れた為に、織田軍と一戦を交えた事もある寺である。

 本堂は焼かれ僧房もいくつか焼失してはいるが、未だ寺は健在であり、池田せんは華厳寺を拠点としながらも『黒雲』を駆り横蔵寺を訪れる事もしばしばであり、その地の僧兵達と共に武術だけでなく馬術の訓練にも励んだのである。


 僧達は表向き武装放棄した事になっている為、普段の武術調練には刀槍ではなく六尺はある長い棒や細身の尺杖を用いている。

 手渡された六尺棒と尺杖を振ってみた池田せんだが、体全体を用いて大きく振る六尺棒よりも細身の尺杖の方が自分が扱う長巻ながまきの扱いに似ているとして、そちらを好んで用いた。


 当初は出家してきた小柄な女人の姿を笑った僧兵達であったが、池田せんと手合わせした者は皆一様に叩き伏せられ、すぐにその考えを改めるに至る。

 織田家中最強とも言われた武勇の士、『鬼武蔵』森長可が本気ではなかったにしろ普段から対等に打ち合っていた池田せんである。

 すでに寺の僧兵の中でも彼女と一対一で渡り合える者は殆どいなかった。


 華厳寺の宿坊側の広場の隅っこで朝から日が暮れるまで一心不乱に一人尺杖を振り続ける池田せんの姿、そしてその技を少しでも盗もうと遠巻きにそれを見学する僧兵達の姿は、しばらくの間華厳寺の風物詩となったのである。


 十一月になると寺側の待遇も変り、僧が使う宿舎ではなく別に住居を用意された。弟輝政が華厳寺に多額の寄進をした事が原因だった。


 羽柴秀吉と織田、徳川連合軍との戦が終わり、資金に余裕が出来たこと。それに加えて羽柴家から池田家に多額の金が送られてきたという。

 弟輝政はその事を大層喜んでいたが、織田政権下で織田家本国衆と呼ばれかつては羽柴秀吉よりも格上であった池田家が、羽柴家の一部将として取り込まれていく姿に、池田せんは少し寂しさを感じた。


 この機に池田せんは『飛蝶』の供養塔を寺内に建てる事を依頼し、なつ、ゆう、かわの三人と名も知らぬ女達の事をそこに刻んだ。


          *          *


 年の瀬、ふらりと天野源右衛門が華厳寺の池田せんの元を訪れて来た。

 尾張国金山城へと戻った彼は、新当主森長重に岸和田城後詰めに赴いた際の泉北での戦のあらましをそ報告し、更にはその席で森長可と池田せんの二人しか知らぬ元明智家家臣である事を打ち明けたという。


 明智は森蘭丸、森力丸、森坊丸の三兄弟を討った仇敵。

 森長重とその母えいの怒りは凄まじかったが、森長重を補佐する各務元正かがみもとまさ林為忠はやしためただのとりなしもあり、織田、徳川連合軍との戦が終わるまでは森家に在籍する事となり、この十二月にようやく森家を辞したのだという。


 新しく建てられたばかりの『飛蝶』の供養塔の前でしばし佇み、天野源右衛門は一人何かを語っていた。

「源右衛門は、これからどうするのです」

「まずは西へ、我が一族や縁者の者とは山崎の戦以来生き別れとなっています。その安否を確かめたいと思います」

「十分に気を付けなさい。羽柴秀吉は未だ明智狩りの手を弱めていないと聞きます。明智の旧領へと入れば、更に危険度は増すでしょう」

 

「姫様に拾われねば無くしていた命。ですが生き延びた以上、足掻くだけ足掻いてみたいと思います」

「源右衛門、その先は?」

「『飛蝶』の女達ではないですが、私も戦の先を見てみたくなり申した。戦場に身を置き足掻くだけ足掻いて、一区切り付いたと納得出来たなら死のうと思います」


 それも良いと、何となくだが池田せんにもそう思えた。

 しばし昔話に華を咲かせた。


「山門までの見送りは不要」そう言われたので、その場で彼とは別れを告げた。

 槍を担いで歩く天野源右衛門の後ろ姿、池田せんにはその歩みに何か悲壮な決意の様なものが宿って見えた。


 この後、天野源右衛門は主家を転々とし、九州の立花宗茂たちばなむねしげに仕えた際には豊臣秀吉の九州平定にて功を上げ、朝鮮出兵にも従軍している。

 最後は寺沢広高てらさわひろたかに仕えて八千石を有したが、慶長二年(一五九七年)四十二歳で死去した。

 自害であったという。

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