死闘 前編
多数の銃声を耳にして、砦の南端の櫓で眠りこけていた裏一は飛び起きた。
すでに周囲は明るい。夜が明けていた。
銃声が響いているのは海沿いの村の方、「あの女ども、今度は村を攻めたのか?」と声に出したが、そうではなかった、
この砦の北と東の二方向からも、こちらに向かって来る敵の姿が遠目に見える。
伝令の雑賀者が裏一の元に駆け込んで来て、村の北側土塁にて敵勢約三百と交戦中と告げる。女達では無いどこかの軍が村を攻めたのだ。
こちらが村に配している兵の数は鉄砲組四十に刀槍組が六十の百人。
裏一は砦から村に援兵を送る事はせず、「何とか持たせろ」と言い放った。
旗印も掲げずに大量の竹束を前面に押し出しながらこの砦に進軍してくる女達の軍が見える。
その数は北側が五十、東側から百五十の二百人程度。
数の上では砦を守る我らの方が多いが、鉄砲の有効射程まで近づけてから撃ち始めては、鉄砲への備えを整え来た敵に押し切られる可能性がある。
「東の鉄砲組百人は各個に撃ち始めて敵の足を止めろ。とにかくこの砦に奴等を近づけるな。残りの鉄砲組は全部北に並べ、まず数の少ない北の五十の女共を潰す」
砦の西側の空堀に潜む鉄砲組六十と砦の中と東側から六十を出して、計百二十人の鉄砲組が砦の北側に参列の横隊で並ぶ。
最前列が射手、後ろの二列が装填手を担う。
砦の北と東から次々に鉄砲から噴き出す黒煙が上がり始める。
砦東側の空堀の中には鉄砲組百人の後ろに刀槍組百人が控え、砦内の第一の柵の中に二十人の刀槍組がいる。この二隊は動かせない。
自分の立つ櫓の周囲にいる刀槍組二十人だけが遊撃隊だ。
裏一が兵の指揮などと柄にも無い事をやっているのは、この砦に今は雑賀孫一がいないからである。
「あれは、何をしている?」
北の女達五十人が途中で停止し、陣幕を二張り横に広げたのである。
陣幕を支える両側の支柱に竹束に守られた数名が見えるが、残りの者達は陣幕の後ろに隠れた。
目隠しのつもりだろうが、そんなものに効果があるとは思えなかった。何より侍という奴は家の紋に誇りを持つ者だろう?
だが、目の前の女達は、備前蝶の家紋の大きく描かれた陣幕を撃ってこいとばかりに鉄砲に晒し、少しづつこちらに進んでくる。
* *
北から雑賀衆の砦に迫るのは、なつの率いる五十四人の『飛蝶』であった。
用意した竹束は全部で三百個。
五十個を堀家の軍に渡し、二百個を東から攻める軍が持つために、なつの率いる組には五十個しか割り当てる事が出来なかった。
竹束が有効なのはあくまで二十五間(約五十メートル)程度までで、それ以内に近づけば弾が竹束を貫通してくる事も多くなる。
しかも雑賀衆の鉄砲の数は多く運用法も独特で、何丁もの鉄砲を連続発射してくる。
大量の弾を浴びれば竹束もすぐに崩れるし、最後の詰めでは竹束を二重に重ねて接近せねばならないが、それにはとても数が足りない。
潰走した池田家の軍が残した陣幕を見て鉄砲組の一人が「進軍の目隠しに使ってはどうか」と声に出した。
そもそも敵が見えなければ鉄砲は当てられない。陣幕の裏に隠れてしまえば狙われにくくなると。
最初は笑い話かと思ったが、なつはその言を採用したのである。
しかしただ陣幕の後ろにいるだけでは、大量に撃ち込まれる弾に撃たれる。だから彼女達は陣幕の裏で竹束を背負いながら地面を這って進んでいる。
地面を這う人間は狙いにくい。
これも鉄砲組から出た意見だった。
彼女達に侍の誇り、家の誇りなどは無い。
顔を着物を泥まみれにして土を舐めながら進む事も苦では無い。とにかく何でもやる。戦に勝つためには何でもだ。
陣幕の支柱それぞれには鉄砲組一名が付き援護するが、姿が見えている分銃撃が集中するのは目に見えている。
おそらくそう長くは持たない。
支柱を持つ仲間が耐えられなくなるまでに、二十五間までは近づきたい。
鉄砲組の者の言った通り、雑賀衆の放つ鉄砲は、陣幕の布の中程を突き抜けてなつ達の頭上を通り過ぎていく。
背負った竹束に当たりパチンと弾ける音がすると、そこに誰かいると思うのか、弾がその辺りに集中して撃ち込まれて通り過ぎていく。
前方からは鳴り止まぬ鉄砲の音、風を切り通り過ぎていく弾の音までがはっきりと聞こえる。
支柱を持つ女達から交換の竹束を求める声、側の女が背負った竹束を抱えて走り寄る。
運悪く頭を撃ち抜かれてその場に蹲ったまま動かなくなる者も何人かいる。彼女達を置き去りにして、ただひたすらに前に進む。
「まだか」
二十五間で合図する鉄砲組の女の声を待ちながら、布一枚向こうの姿の見えぬ敵を目指してなつは進み続けた。
偶然ではあったが、二つ広げた陣幕の内の一つの支柱が大量の銃撃を浴び崩れた。陣幕の半分が倒れてそのの内側があらわになった。
ここまでだと、なつは決断した。
「陣幕下ろせ、竹束を前に掲げて一気に突撃。止まれば死だ」
二十五間にはまだ少し遠い。竹束を胸前に掲げて一気に走り出す。
竹束に守られていない足を撃ち抜かれて転がる女、近づく程に威力を増す鉄砲で軋む竹束、貫通した弾を何発も体に受け吹き飛ぶ女。
次々に倒れていく味方をものともせずに『飛蝶』の女達は走り続ける。
十も数えれば刃は目の前の敵に届く、それがなつにはとても長く感じた。
それもここまで、あと一つ。
ボロボロの竹束を雑賀衆の銃列へと放り込み、そのまま長刀を振りかぶる。雑賀者達の恐怖に目を見開いた表情までが分かる。
構わずなつは長刀を力任せに振るった。
腕が飛び体が裂け、血しぶきが吹き上がる。
割れる雑賀衆の銃列、巻き上がる黒煙の中に『飛蝶』の女達が次々に飛び込んでいく。
何人かの味方の女達の姿が目に入るが、斬り込めた人数をなど数えている暇は無い。目についた者を斬り倒す。突き殺す。
ただ叫び声を上げて、なつはひたすらに殺戮を繰り返した。
* *
「竹束を重ねろ。鉄砲に抜かれるな」
死んだゆうの代わりに東から砦に攻め込む『飛蝶』百人の指揮を執っているのはかわだ。
豊富にある竹束を大量に並べて進む分、なつの組よりその歩みは遅い。
その後方では、大将のせん姫様と天野源右衛門様が三十三人の女達を率いて遊軍として残り、自分達の戦いを静かに見つめている。
雑賀衆はこちらの用意を見抜き、かなりの遠間から鉄砲を撃ちかけてくる。
狙って当たるものでは無いが、一度に三十丁近い数の鉄砲が次々に放たれるのだ。流れ弾に当たるを避ける為に、こちらも竹束を早くから前面に出して進むしかなかった。
ようやく二十五間、ここからが正念場だ。
かわは『飛蝶』の女達に竹束を二重に重ねて、それを皆で前に押し出しながら進めと命じる。
走り出し十も数えれば敵には届く。
だがそうしないのは、目の前の雑賀衆が籠もる空堀の前面には竹を重ねて組んだ柵が設けられているからだ。
柵に辿り着けても、少し下がって銃撃されればこちらだけが一方的にやられる。
それに目の前の鉄砲組の他にも刀槍組がいる。
だからこちらの人死にをどれだけ減らして斬り込めるかが大事だった。
このまま竹束で列を組んだまま、あの砦まで押し込む。
自分の策は破られるかもしれない。そんな不安はあった。
この竹束列の弱点は、一点に向けて集中射撃を受ける事、それで次々にこちらの防御は崩される。
しかし未だそうなっていないのは、敵に鉄砲組を的確に指揮する者がいないからだ。
確かに鉄砲は次々と絶え間なく放たれている。でもそれは射手それぞれが勝手に狙いをつけて撃っているのに過ぎない。
それを見抜いてかわは「いける」と確信した。
『飛蝶』の女達にも迷いは無い。
竹束を通じて体に伝わるいくつもの鉄砲の弾の衝撃や弾ける音、鉄砲の怖さは皆知っており、一人でこの場にいたら誰しもが泣き出し逃げ出すだろう。
それでも進むのは『飛蝶』だからだ。
各々が一人でいる時はただ一人の女でも、皆が集まった今は『飛蝶』だ。
男達でも根を上げる血反吐を吐くような厳しい調練に耐え、それを共に乗り越えてきた。
その頼もしき仲間達が側にいる今、私達は何者をも恐れぬ最強の集団になる。
「換えの竹束遅れるな、列を崩されればそれで終わる。耐え続けろ」
何度か竹束の列が崩されそうになり、かわの自身が揺らぐ。
それでも信じるしかない。
かわは歯を食いしばりながら皆に檄を飛ばした。
「進め、進め、進め」
竹束と竹束の合間から、雑賀衆の恐怖に引きつる表情までが見て取れる。
最後の数間、皆が声を上げて一斉に竹束を前に押し込む。空堀の前面の竹柵に激突する乾いた音が聞こえる。
銃撃が止み、代わりに柵の向こうから突き出される雑賀衆の槍の列。こちらも長刀を負けじと押し込み応戦する。
雑賀衆の鉄砲組が空堀から出て、後ろの土塁に登り始める。柵に阻まれて動けぬ我らを高みから銃撃する腹づもりだ。
「鉄砲組、放て」
少し後方で竹束を盾にして鉄砲を構えた『飛蝶』鉄砲組の四人が土塁上で身を晒している雑賀者に向けて発砲を始める。
空堀に身を隠した敵と撃ち合ってもこちらが不利だったが、今なら盾がある分こちらが有利に撃ち合える。それが四丁の鉄砲でもだ。
「川砂を放れ、すぐに梯子出せ」
かわの二つの号令に合せて二列目以降の女達数人が袋を解き、握った川砂を雑賀衆に向けて何度か投げつける。
同時に竹で組んだ梯子が五つ空堀の前の竹柵に斜めに掛けられ、そこを女達が駆けていく。
川砂を浴びせて目潰しに使うというのは、至近で鉄砲を無力化するための案だったが、投げた砂は土塁の敵までは上手く届いていない。
失敗だったが、目の前の敵の刀槍組には明らかなほど有効で、目潰しを受けて空堀の中でその多くが狂乱している。
最初に梯子で飛び込んだ五人の刃は土塁の敵にまで届いていない。未だ空堀の中で戦っている。
土塁上の雑賀衆の鉄砲が銃撃を始めた。
斜め上から撃ち下ろされる銃弾の雨、後ろの方で女達が次々に崩れ落ちる。今日一番の被害が出た。
こちらの鉄砲組も応射し、雑賀衆の鉄砲組を撃ち倒してはいる。
かわも自身の持つ鉄砲で既に四人は土塁上の敵を倒している。だが、向こうの数が圧倒的に多い。一発撃てば五発は撃ち返されてしばらく身動き出来なくなる。
目潰しを受けて叫び声を上げている雑賀衆刀槍組を無視して、乗り込んでいった女達の何人かが土塁の中程で射手に装填済みの鉄砲を受け渡している者達の足を狙って長刀を振るう。
悲鳴を上げて男達が何人も空堀の中へと落ちていき、それで敵の銃撃の間隔は一気に遅くなった。
『飛蝶』の女達も銃撃を受けて即死する者ばかりではない。
怪我を負っても動ける者は次々に梯子の上を駆けていき、十人を超えて空堀の中へと女達が侵入すると、その場は乱戦状態になった。
土塁の上にいた雑賀者ももう射撃どころではなくなり、鉄砲を鈍器にして振り回して戦っている有様である。
かわがこの百人を指揮するのは『飛蝶』が敵砦に斬り込みを終えるまで、それ以降は鉄砲組を率いて北側のなつ隊が砦内へと進むのを援護せよと天野源右衛門より命じられている。
「鉄砲組、北へ」
そう言って振り返ったかわにボロボロの竹束の影から顔を覗かせたのは、鉄砲組の護衛についている護衛の長刀の女が一人だけ、鉄砲組の女四人は既に全員が撃ち倒されていた。
かわは護衛の女を促し、二人だけで砦の北側に向けて走り出した。




