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烈華 ~乱世を駆けた鬼姫~  作者: つむぎ舞
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祝いの日の立ち会い

 美濃の暴れん坊『鬼武蔵』こと森長可もりながよしといえども、織田信長公の前では借りてきた猫の様におとなしい。

 姫の到着を待つ時を稼ぐ為にと祝いの席に酒が振る舞われる中、森長可は自分がしでかした失態の大きさを今更ながらに痛感しつつも、最後は自分の命一つで責を負おうと割り切ると、もうどうとでもなれとばかりに上座に一人平静を装いながら座り続けたのである。

「池田家せん姫様、ご到着」

 その声を聞き、思わず森長可は席から立ち上がった。


 祝いの席に現れるはずの姫を満面の笑みで出迎えようとしていた皆は、廊下からで無く屋敷の庭先に現れたその姿を見て、皆一様に口をぽかんと開けた。

 軽鎧で武装した小柄の短髪少女が、不機嫌そうな表情でそこに立っていたのである。

「池田恒興が娘せん、ただ今参上致しました。祝いの席に参列された皆様に、席への遅参をまず一言お詫び申し上げます」


 そう深く下げた頭を上げると、彼女は上座で立ち尽くしたままの森長可らしき姿を確認すると、彼をきっと睨みつけながら力強く言い放つ。

「長可様で御座いますね。私は今大変憤っておりまする。あなたの不首尾でどれ程の者が迷惑を被ったか考えておられますか?」

「それは…」

「答えられぬのですか?『鬼武蔵』とも呼ばれし男が何とも情けなし。その性根、この私が叩き直して差し上げます。さあ、ここで私と勝負なさい」


 可愛らしい少女の物言いに、織田信長が愉快そうに笑い声を上げる。

「面白き余興ある。長可、受けて立て」

 織田信長公直々にそう言われて森長可も前に出る。長柄と槍をそれぞれ手に持つ二人の姿を見て、織田信忠が慌てて声を上げた。

「祝いの席に血はいらぬ。本身は納めよ」

 改めて渡された長い棒を互いに手に取り、森長可と池田せんが庭先で向き合う。


 小娘が生意気な事を言う。

 この時、森長可は酒の勢いもあり対峙する相手を舐めてかかった。

 そして棒を右上段に構える彼女の打ち下ろしを弾き飛ばしてやろうと、体の前で真一文字に棒を握り待ち構えた。


 先に動いたのは池田せん。

 せんは棒を振り下ろさず、素早く低く踏み出し森長可の懐に体を滑り込ませると、そのまま棒の下端を用いて彼の腹部を突き、一歩下がると同時に勢いよく棒の上部を長可の首目がけて右上から振り下ろしたのである。

 不意を突かれた長可の棒は小柄な彼女の体を捕まえられずに空を斬り、不本意な二撃をその身に受けた。

 しかし、この立ち会いに一本取るまでという概念は無く、相手が「参った」と言うまで勝負は続けられる。


 打たれて頭に血が上った森長可は、受けに回った池田せんの棒を構わず力任せに二度三度と打ち、ついには彼女を地面に叩き伏せてしまったのである。

 地に膝を付き崩れ落ちた池田せんの姿を見て長可は棒を引き、二人の健闘に賞賛の声を上げる皆の声の中、一人祝いの席の上座へ不満顔で戻っていった。

(不覚は取ったが勝ちは勝ち)

 高まった気持ちを静めようと森長可は、我慢して今まで少量に止めていた酒を手に取り、勢いよく杯を呷った。


「『鬼武蔵』を相手に、天晴れであるな」

 織田信長公の賞賛の言葉は、勝者である森長可に向けてのものではなかった。

 家臣の中には娘の方へと信長公が肩入れしただけと見る者もあったが、その理由は長可本人が一番自覚していた。

 これが戦であれば、自分は死んでいた。

 長柄の石突きで腹を打たれ、振り下ろされた刃に首を落とされていたのである。

 そう、あのせんという娘に、この俺は先程討ち取られていた。



 祝いの席の主役二人は揃いはしたが、未だ池田家の輿入れの行列の者の大半は城に到着していない。

 花嫁衣装も無く、鎧姿のままで森長可の横にちょこんと座る池田せんは、先程の立ち会いでの痣傷も相まって、更に不機嫌な表情をしている。


 勝負の負けを自覚する森長可は、その気恥ずかしさで彼女に言葉も掛けられず、ちらちらと横目で彼女を見ながら様子を覗い続けたが、どうにも機嫌を直す気配もない。

 堪らず長可は側の織田信長公に寄り、何とかして欲しいと小声で助けを求めたのである。

「せん、先程の立ち会いの褒美をやろう。何なりとこの信長に申してみよ」

 織田信長公の突然のこの申し出に、池田せんは急に目を輝かせた。

 さすがは信長様じゃ。

 森長可は彼女の表情が一気に和らぐのを見て、表情は平静を装いながらも心の中では喝采を送りながら、はてさて女子というものは一体何を欲しがるのであろうかと興味も持ったのである。


 池田せんはしばし思案して、そうじゃとばかりに両の手で拳を握る。

「武田には『鬼美濃』と呼ばれる武人が、そして我が夫となる長可様は『鬼武蔵』と呼ばれておりまする。私もそれに倣い『鬼』の名が欲しゅう御座います」

「鬼の名か、では『金山の小鬼』とでも名乗るが良い」

 織田信長公は、小柄なな池田せんの見たままの姿をそう言葉に表したのであるが、これに彼女は何とも不満げである。

「小鬼で御座いますか、とても弱そうです」

 よりにもよってこの娘、それにケチをつけたのである。

「なっ」

 声を上げかけたのは織田信忠様。

 我が父より送られる名誉を気に入らぬ等と申した者など、古今東西聞いたことも無い。

 もう庇えぬぞ。もう知らぬとさすがに彼もこの事には匙を投げてしまった。

 この時森長可はというと、池田せんがまたつむじを曲げそうになるのを横目に見て、首を伸ばしながら信長公に助けを求める視線を必死に送り続けていた。


 皆のそれぞれの思惑を余所に、織田信長公はこのせんの物言いを大層に気に入った様子であった。

「お前は変らぬな。あの時の童が、そのまま大きくなった様だ」

「はい。あの日から信長様のお言葉を胸に、一心に鍛錬して参りました」

 長可が見るに、信長様の方は彼女に少し皮肉交じりに言った言葉の様であったが、それをそのままの意味で受け取り真っ直ぐな瞳を信長公にむけるせん。

 信長公の方が気まずさに彼女から目を逸らし、苦笑いを漏らしている。


 幼少期のせんは、父恒興からの叱責を避けるため隠れて剣の稽古に励んでいたのであるが、ある日、男兄弟の全てを叩き伏せている現場をついに父に見つかってしまったのである。

 その時、たまたま恒興の母の見舞いに屋敷を訪れていた織田信長公に直訴し、せんは信長公直々のお墨付きを得て父を黙らせたという経緯があった。


 そんな二人の醸し出す空気を感じながら、祈るような思いで織田信長公を見つめ続ける森長可。

 しばし思案し、織田信長公が改めて口を開いた。

「ならば鬼姫。『美濃の鬼姫』ならばどうじゃ」

 うんと頷き、池田せんは織田信長公に、そして森長可に向けて白い歯を見せる満面の笑みを浮かべてみせる。

「では信長様、私せんは今日より『美濃の鬼姫』を名乗らせて頂きます。旦那様もそれでよろしゅう御座いますね?」

 ともかく我が妻となる女が嬉しそうに笑うのである。

 森長可がそれに異を唱える理由は無かった。

「どうじゃ長可」

 織田信長公が腹に差した扇子を広げ、彼女を笑顔にしてみせた自身の功績を得意げに笑う。


          *          *


 日が落ち、改めて着替えを終えた花嫁の慎ましく美しい姿に、祝いの席へと集まった面々は一様に息を飲んだ。

 森家の家臣達が次々に披露する砕けた舞に、宴席は今日一番の盛り上がりを見せ、森家は何とか無事に波乱の一日を終えることが出来たのである。


 この婚儀の噂は、ある意味笑い話として城下の民にも伝わり、喜びを以て迎えられたのであるが、そうでない者達も少なからず存在した。

 美濃国金山城にもう一匹の鬼が住み着いた。

 金山城周辺の領主達は、とても心穏やかにはいられなかったのである。



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