岸和田転進
森せん率いる『飛蝶』の二百十一人と池田家五百の軍が岸和田城の北にある泉北の港を目指したのは、戦略的な何かを見抜いたからではなく、そこの雑賀衆の兵力が一番少なかったからという単純な理由からだった。
三月十九日に淀城を発した『飛蝶』であったが、兵糧の手配で淀城から出て来ない池田家の軍を待たねばならず、まずそこで二日間を浪費した。
羽柴家は池田家に貸しを作ることには寛容な様で、兵糧の準備の無い池田家の軍への兵糧供出には快く承諾したが、それを運ぶ人足の手配に手間取ったのである。
合流してからの行軍の間、城島意次は上機嫌で羽柴家を褒め称えていたが、元々羽柴家の持っている兵糧の大半は、池田家が羽柴家に取り上げられた摂津の兵站庫に備蓄してあったもの。
それを有り難がるのも可笑しな話だが、この新参の将はその事も知らぬのだろうと、森せんは彼の言を無視し続けた。
この間にも伴惟安の手の者より、河内国から和泉国にかけての戦場の様子が続々と森せんの元へと伝えられた。
岸和田城の後詰めにこのまま向かうべきか?
和泉国との国境で一日野営し城島意次を交えて森せんは、天野源右衛門と共に今後の方針を決める事にした。
「中村一氏殿は、雑賀衆にまんまとしてやられましたな」
報告された羽柴軍と雑賀衆の布陣を絵図に落としながら、天野源右衛門が言う。
「源右衛門、説明して下さい」
「雑賀衆としては岸和田城で羽柴軍と対峙しても羽柴秀吉の後方を脅かすには至らぬと考え、わざと岸和田城を無視して北上して見せ、岸和田城の軍を釣りだしにかかったのだと思います。
中村一氏殿はその策に乗せられ、結果として大阪まで攻め上られたばかりか、自軍も南北に挟まれ身動きが取れぬ有様に。
中村一氏殿が岸和田城から動かねば、糧道が確保出来ぬ状態で雑賀衆は北上出来ぬので、結局岸和田城付近まで戻らねばならなくなったはずです」
「雑賀衆は海上から兵糧を運べるのでは無いか?」
「紀州国雑賀から大阪までは船で運ぶにしても距離がありすぎます。海上を完全に押さえていない以上、運ぶにしてももっと短距離でなければ難しいでしょう」
「これまでの言を含め、私達が岸和田城への後詰めを行うのに、実際どこの軍と当たるべきかを決めたいと思います」
森せんは城島意次の方をチラリと見たが、絵図を見つめたまま特に何か言う様子が無いので、そのまま天野源右衛門に続けよと申した。
「岸和田城を囲むのは根来衆三千、これに当たれば千石堀城の一千と泉北の五百に包囲される危険性があります。数の上で劣勢、さらに包囲を受けては為す術もありませぬ」
「では中村一氏殿の軍の方に向かうのは?」
「雑賀衆の本隊七千に当たるは論外として南の二千でしょうか。
しかしこれも数の上では倍以上で厳しいでしょう。私はこのまま中村一氏殿の軍に加わるのが一番無難と考えます」
「それには承服しかねる」
城島意次が声を上げた。
「我らは後詰めを命じられておるのに、ただ羽柴軍の元に小勢で参じて加わるだけでは面目が立たぬ。
確かに我らが小勢というのは理解出来おる。だがせめて、形の上だけでも敵と一槍合せた後でなければ合流はしかねる」
「ふむ。城島殿の言にも一理あると思います」
森せんもそれには同意した。
雑賀衆の布陣や数を見るに、七百あまりの軍勢だけで後詰めに行けという方がおかしいのである。
後詰めするなら淀城に集っていた全軍で向かうべきだったのだ。
「では泉北の港付近に居座る五百に当たるとしましょう。その後、中村一氏殿の軍に合流するという事で」
方針は決した。
そうして『飛蝶』と池田家の約七百名の軍が、泉北の港を守るように布陣する雑賀孫一の軍五百と相対したのは、三月二十三日の夕刻の事であった。
* *
池田家の出した物見が発見され、すでにこちらの存在は敵に気付かれている様で、村からは敵襲を知らせる狼煙も上がっている。
小高い丘から遠目に見る森せんの目には、海沿いに開けた大きな村と海上には雑賀水軍の船が十数隻が慌ただしく行き来している。
手の者の新たな報告では、村にある港には大量の兵糧が積み上げられ、船でそれを北へと運んでいるらしい。
村の東側に位置する土を盛った砦の様な物は、つい先日までは無かったという。
「これは当たりを引きましたな」
そう天野源右衛門が言う。
「この地の五百と当たる事で、中村一氏殿の軍の南を押さえる二千の糧道を断てれば儲けもの程度に考えておりましたが、どうやら雑賀衆はあの港から大阪の本隊に兵糧を送っている様子」
「つまりここは、戦局を大きく動かせる戦場という事ですね」
「はい、ですが…」
天野源右衛門は目の前にある不格好な砦の様な物が不気味だという。
幅五十間(約百メートル)はあろうあの長方形の砦は周囲に空堀を巡らせ、その掘った土を盛り上げて高台にしてある所までは理解出来るという。
通常はその高台を砦として柵を巡らせ空堀を防御に使うのだが、あの砦の盛り土の上には何も無く、南側の端っこに小さな櫓が一つ置いてあるだけである。
しかも空堀の外側に竹を組んだ柵が巡らせてあるのだが、その意味が分からぬと言う。
突然、池田家の軍勢が声を上げて動き出す。
「城島殿!」
「敵の備えは未だ不十分に見える。ここは我らが先に一槍付けて参る。森家の方々はそこで見物しておられよ」
森せんの呼びかけに城島意次はそう答えると、こちらの事などもう気にもせず、彼は勢いよく敵の砦に向けて進んでいく。
「源右衛門、敵の要衝の備えが不十分という事があるのでしょうか?」
「確かに、城島殿の行動は早計とも取れます。ですが狼煙の合図で多方面から援兵が来てしまえば戦どころでは無くなります」
「そういうものですか」
ならばと森せんは『飛蝶』の女達に向き直り、声を上げた。
「池田家の軍の戦い如何では我らも討って出ます。まずは皆で敵である雑賀衆がどの様な者達かを見ておく様に」
『飛蝶』の女達が横一線に広がり、進み行く池田家の軍勢の姿を見送る。
「横柄でいけ好かない連中だったけど、励めよ」
なつが大声でそう叫ぶと女達も彼等を応援する黄色い声を上げた。
軍列の後方でこちらに手を振る男達の姿が見えた。




