大阪へ
戦場からの森長可の命を受け、森せんの「出陣」の号令が響く。
金山城の城兵五百名と留守居の林通安に見送られ、『飛蝶』の二百十一人は城を後にした。
森せんの出立にも関わらず、城内にいる母えいと城代の森長重の見送りは無かった事を残念に思いながら、森せんは前を向いた。
目指すは大阪城。
表向き紀州雑賀衆からの備えとして城に入るが、此度のことは森家にとっての政治色が強く、羽柴家に森家を強く印象づけるのが主な狙いという事だ。
確かに女だけの『飛蝶』は大阪城内でもとりわけ目立ち注目を浴びるだろう。しかもそれが精兵ともなれば、森家の武威も更に大きく知れるはずである。
それに大阪城の留守を守る羽柴秀吉の妻おねは随分と気さくで砕けた方だとも聞く。女の身である自分であれば、彼女と言葉を交わす機会を得られるかもしれず、他家とは別な切り口から森家を宣伝できるのではないだろうか。
すでに織田家の時代は終わりつつあり、羽柴秀吉がそれに替わる覇者へと上り詰めつつある。
今後、羽柴家と森家とが争わぬ為にも。この機会に何としても繋がりを持つ必要があるのだ。
『黒雲』の上でそう一人気合いを入れる森せんであったが、対照的に『飛蝶』の女達は花の咲き乱れる春の街道の景色を見ながら黄色い声を上げ、行軍というより物見遊山という言葉が似合いそうな程に楽しげである。
『黒雲』の轡を引く天野源右衛門が時折それらを窘める様に咳払いなどして見せてはいたが、いつまでたっても改まらぬので、「叱るべきでは」と言い始めたが、これに『黒雲』のすぐ後ろを歩くなつ、ゆう、かわの三人の組長が反対の意を示した。
自分の周囲で四人があれよこれよと言い合うのを無関心を装いながら森せんは聞き耳を立てていた。
「風流を解せぬ様な殿方では、女人の心は掴めませぬよ」
かわの発した止めの言葉で天野源右衛門が頭を垂れ、女達が勝利を掴んだようであった。
* *
途中、美濃国大垣城から大阪城へと出立した池田家の軍五百名と合流したが、こちらの将が池田家当主池田恒興の娘とは知らぬ様で、あちらの将はこちらが女ばかりと見るや見下した嫌な態度を取るし、池田家の兵達も『飛蝶』の女達を舐め回すように見ては、何やらニヤニヤしている。
城島意次と名乗る図体の大きな池田家の武将の名を森せんは知らない。
おそらく新たに登用した地侍か何かだろう。
そして兵達からも凜とした覇気を全く感じない。
数だけは揃えてみたという事だろうか、それに彼等が引く荷車には兵糧の類いは積まれておらず、陣幕用の布に木材等が入っている。
つまり、全員が腰兵糧程度しか持参しておらず、兵糧についてははなから羽柴家に頼る腹づもりである。
対して『飛蝶』は荷駄人足を雇わずに四台の兵糧を載せた荷車を自分達で引いている。
足りなくなれば羽柴家の世話になるが、森家としてはその辺り、きっちり筋は通しておこうという姿勢である。
行軍中に景色を眺めては黄色い声で騒ぐ『飛蝶』の女達についには腹を立て、城島意次が馬を寄せてきて森せんに皮肉めいた言葉を吐く。
「所詮女は女ですな。遊びにでも出たかの様にはしゃいでおる。とてもこれが戦える軍には見えませぬが、それに…」
馬鹿馬鹿しくて聞くに堪えぬ言葉なので、森せんはぷいと無視していたが、何とも鬱陶しい。
城島殿と声を掛け、その言葉を遮ったのは前を歩く天野源右衛門である。
「城島殿は勘違いをされておられる。
我ら森家中では、女達ですら命のやりとりの最中にあってなお、風流を愛でる程に気持ちに余裕があるのですよ。他の家中とはおよそ鍛え方が違う」
「なっ、轡取り風情が…」
何か言いかける城島意次の声をなつの笑い声が一気に打ち消す。
釣られてゆうとかわの二人も大声で笑い出した。
この三人は天野源右衛門に「お前がそれを言うのか」と笑ったのであるが、それを城島意次が理解するはずも無い。
森せんも城島殿の手前、口を手で押さえて笑いを必死に堪えていたが、それも限界に達して豪快に吹き出してしまった。
城島意次は自分が「つまらぬ事を言う」と笑われたと思い、顔を真っ赤にしながら乗馬を翻し、配下の者共に号令をかけて我先にと早足で進み始めた。
疲れ果て、途中で小休止する池田家の軍を楽しげな声を上げながら荷車を引く『飛蝶』の軍列が涼しい顔で通り過ぎていく。
慌てた池田家の軍がそれを早足で追い抜き、そして再び追い抜かれを繰り返し、そうして競い合うことで、森家と池田家の軍はその日の夜には京の都の南に位置する淀城へと入ったのである。
城内でへたり込む池田家の軍に対して、凜とした姿勢で整列した『飛蝶』の女達の姿、森せんはとても誇らしかった。
* *
翌朝、淀城にて森せんと城島意次の二人は、大阪城に向かうのでは無く南の岸和田城への後詰めを命じられた。
当家の主、森長可の命を受け大阪城へ入るためにここまで来たのだ。
何人がそれを違える命を出したのかと、森せんは当然ながらその理由を目の前の役人に問うた。
「此度大阪城へ入る兵は三千と定められており、すでにその人数には達した。以降到着する者は岸和田城への後詰めに送るようにと言われておる」
「我らの到着が遅れたから大阪城には入れぬという事は理解しましたが、岸和田城への後詰めは当初の約定にはありませぬ。何人がそれを我らに命じたのですか?」
「大阪城留守居役の黒田孝高様にございます」
森家は羽柴家に仕えている訳では無い。
別な依頼をするのであれば、それ相応の態度というものがあるだろうに、悪びれもせず当然の如くそれを言うこの役人には腹が立つ。
「池田家は従いまする」
処世術というやつか、城島意次は羽柴家の権威に服することで池田家を印象づける方を選んだが、森せんはどうにも納得いかない。
このままでは羽柴家との縁を繋ぐどころか、箸にも棒にもかからぬ城将の元へと厄介払いされては堪らないからだ。
「それで岸和田城の城主はどなたでございますか?」
「中村一氏様です」
羽柴秀吉の組下大名の一人、箸にも棒にもという表現は言い過ぎであったと心の中で改め、森せんはしばし一考した。
中村一氏、山崎の戦で森せんが命を救われた将の名であったからである。
「私は個人的に中村一氏殿には返さねばならぬ大きな借りがあります。
此度の岸和田城への後詰めの件、羽柴家の命に従い赴くことはお断り致します。
代わりにこの森せんの独断にて後詰めに参りたいと思いますが、それでよろしでようか」
森家は勝手に岸和田城への後詰めに行くと、そう申したのである。
言われた役人の方は結果は同じとして、森せんの申し出に了承の意を示した。
決まれば行動を起こすのみ。
すぐに森せんは『飛蝶』に出陣を命じた。
出陣の準備の騒ぎの中、丁度その時淀城に入城して来た軍に、先程の役人が大阪城へ入るようにと伝えるのを耳にしたが、森せんはその声を無視する事にした。
「源右衛門、お前はどう見る?」
「羽柴秀吉は森家と池田家の双方とは今以上に友誼を結ぶ腹づもりが無いという事でございましょうな」
「私も同意見です」
何か嫌な予感がする。
淀城を発してすぐに森せんは小休止をとり、周囲の藪に向かって声を掛けた。
「居るのであろう」
森せんの声に反応し、藪の中から伴惟安の手の者が一名姿を現す。
「我らは大阪城へ入るのを羽柴の者に拒否され、岸和田城へと後詰めに赴く事となりました。羽柴秀吉の腹に一物有り。ご注意下さいと長可様に伝えて下さい」
今の自分が長可様の為に出来るのはこのくらいか、後は我らが森家の名に恥じぬ戦をするだけ。
気持ちを切り替え、再度出立の号令を下した。
「源右衛門、雑賀衆とは如何なる者達なのですか?」
「大量の鉄砲を保有しています。私が修める明智流砲術も雑賀衆との戦いから学び、改良されたものだと聞いております」
「ただの一揆勢という訳では無いのですね」
大量の鉄砲を保有する集団との戦は、森せんにとっても『飛蝶』にとっても未知の戦いである。
厳しい戦になるかもしれない。
森せんは馬上から振り返り、後方を楽しげに歩く『飛蝶』の女達をしばらく見つめていた。




