森長可の帰還
天正十年(一五八二年)六月二十四日、森長可と森家家臣団が精も根も尽き果てた状態で金山城への帰還を果たした。
信濃国の新領地を全て放棄しての帰還である。
信濃国の川中島周辺の殆どの地侍が離反し森長可達を討とうとする中、甘言で長可達を誘い込み捕えようとする者達からも逃れ、帰路に立ち塞がる一揆勢との不戦交渉と、様々な苦難を乗り越えての道程であったという。
白湯と炊き出しを配り兵達を労う慌ただしさの中で、森長可と森せんの二人は再会の抱擁を交わしたが、まだ甘い時に浸っている暇は無い。
すぐに本丸御殿にて人を払い、二人だけの密談を行った。
まずは森長可の留守の間の領内の現状と、肥田家に対する仕置きについて森せんは語ったが、何より夫長可の求めたのは明智光秀謀反による一連の事件の経緯についてである。
京の都は織田信孝、安土城には北畠重意が織田信雄を名乗って入り、明智の拠点は丹波の黒井城と京の北の周山城のみが未だ健在。
上杉攻めを取り止め、北陸から南下してきた柴田勝家の軍勢は、総大将織田信孝により明智討伐終了の宣言が出されたとの報を受けると、越前北ノ庄城へと反転した事を伝えた。
明智の拠点は未だ残るものの、明智討伐の終了宣言が既になされている以上、今から兵を率いて京へ上る事は出来ない。
織田信長公を敬愛していた夫長可は、弔い合戦の戦に参加出来なかった事をとても悔しがったが、山崎の地で森せんが戦った事を語ると、それを我が事の様に耳を傾むけてくれた。
森せんはその語りの中で、味方の兵を逃がすため奮迅の働きを繰り広げて力尽きた明智武者、安田国継について話し、天野源右衛門と名を変えた彼を夫長可に対面させたのである。
夫長可は明智者として彼を糾弾することは無く、よくぞ我が妻の声に応えてくれたと好意的に彼を迎え、それどころか彼の手を取りながら「俺にも三人の弟達の最期を語って聞かせてくれ」と涙ながらに頼んだのである。
そして翌朝、城内でようやく一息ついた家臣達の前に立ち、森長可は織田信長公亡き織田家の状況、そしてその混乱を突き森家を狙う不届き者共から森家を守った妻せんと、彼女が率いた『飛蝶』の女達について触れ、今回の功を以て『飛蝶』を森家の末席に加えると皆に告げたのである。
* *
六月二十八日、織田家の跡目相続の決定が、織田領内の全てに伝えられた。
この決定は後に『清洲会議』と呼ばれる二十七日に尾張国清洲城内にて行われた評定での決定の事であり、言を持って参加出来たのは筆頭家老の柴田勝家以外は羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興といった明智討伐に功績のあった重臣のみであった。
織田家の跡目は織田信忠様の嫡男の三法師様が継がれ安土城を相続、補佐役として掘秀政が安土城に隣接する佐和山城を与えられその後見となる。
織田信孝は岐阜城へ入り美濃国主としての地位を、そして織田信雄は伊勢の現領地に加えて新たに尾張国を得た。
柴田勝家は近江国長浜城を領し、丹羽長秀は若狭の領地安堵、羽柴秀吉は丹波国と河内国を加増、池田恒興は摂津二郡を新たに加増された。
しかしこの会議では信濃の領地を失した森長可の他、東国の新領に赴いていた諸将に対する賞罰は下されなかったが、森家には岐阜城へと人質を差し出すようにとの通達が織田信孝より発せられたのである。
この事は、亡き森蘭丸が相続すべきと定められた金山城に森長可が居座るのを良しとしない米田城の肥田忠政、苗木城の遠山友忠、小里城の小里光明、妻木城の妻木頼忠らが織田信孝と織田信雄の二人に森長可排斥の働きかけを行った結果である事はすぐに知れた。
この情報を森家にもたらしたのは織田信雄である。
これは織田信雄側に立つと森せんが発した使者に対する返礼ともとれた。
まだ幼い三法師様に背かぬよう、安土城へと人質を出せというならばまだ分かる。しかし織田信孝にそうせねばならぬ理由など森家には無い。
当然の如く森長可はこの事に激高した。
側に控えていた森せんは夫長可に静かに言う。
「長可様、全ての準備はすでに整えてあります。兵三千、すぐにでも動かせます。あとは長可様のお好きなように」
「うむ、まずは米田城の肥田忠政を攻める。後の事を頼むぞ」
「承りました。城のことは全て、このせんにお任せ下さい」
七月二日、森長可は手勢三千の内の五百のみを率いて米田城の肥田忠政を攻め、米田城と肥田領を手に入れた。
先の森せんの攻撃により既に力尽きていた肥田家は、戦うこと無く米田城を放棄して逃走、木曽川を渡り北の加治田城の斉藤利尭に庇護を求めたのである。
* *
米田城攻撃から金山城に帰還した後も、次の戦に備えて森家の家臣達の軍議は白熱している。
軍議の席に森せんが参加する事は無い。
夫長可を前に立て、後方でそれを支える役目に徹し、将として動くのはそれが必要とされる時だけである。
ようやく軍議を終えた夫長可が、深夜にも関わらず筆を手に未だ働く森せんの横に座り、少し困り顔で労いの言葉を掛けてくる。
「各務元正も言うておったが、摂津国から城に戻ってよりずっと働き詰めだというではないか。戦の事はもう我らに任せ、お前には休んでいて欲しい」
「私と『飛蝶』の女達がこれ以上功を上げては家臣達にも疎まれます故、戦の事は既に長可様にお任せしております」
「ではその書の山は一体何だ?」
「私が押し進めている領内の村の再建と元肥田領の収支についてです。
長可様にも家臣の皆様にも今は目の前の戦に集中して頂かねばなりません。そうなると、こういう事に人手が足りなくなるのです」
「そうであったか、私はお前ほど気が回らぬ。すぐに各務元正を内政に回そう」
「長可様、そこがいけませぬ。
上杉攻めに参加出来ず金山城へと戻されたこと、各務元正は随分と根に持っていますよ。米田城攻めでは喜々としておりましたが、まだ足りぬでしょう」
「全く、せんには敵わぬな。各務には戦で働いて貰う事にするよ」
「私はこの城で私の戦をさせて頂きます。あとはご存分に」
「それが今のせんの戦なのだな」
「長可様、何か嬉しそうで御座いますね」
「当然だ。我が愛しき妻を刃に晒すより、よほどましではないか」
言い終えて、自分の言葉に赤面して「わあ」と慌てる夫長可に、森せんは皮肉を込めて言葉を返した。
「会話の端に混ぜてその様なことを言われても、うれしくありませぬ」
「そうか、すまぬ」
「その言葉は閨でいっぱい言って下さると、嬉しいです」
恥ずかしさに顔を赤らめた森せん。
夫長可の逞しい腕に抱きしめられながら、彼女は静かに目を閉じた。
* *
七月三日より森長可の加治田城攻めに始まる森家の進軍は、牛ヶ鼻の砦の奪取と加治田の城下町を焼き払う等の成果を上げ斉藤利尭との戦を引き分けに収めると、その矛先を変え今城、下麻生城、野原城、伽高城を攻略。
更には根元城の若尾元昌、土岐高山城の平井光村、妻木城の妻木頼忠を帰順させた事で一応の終息を迎え、これにより森家は東美濃で一大勢力を築くに至るのである。




