米田城急襲
六月十九日、京都にて落命した森蘭丸、森力丸、森坊丸の三人の葬儀を執り行うという触れが領内に掲げられ、寺では不在の母えいの名を使い出された葬儀の準備が慌ただしく行われ始めた。
当然これは、肥田家を油断させる為に森せんが行った一芝居である。
木曽川を挟んで北に位置する加治田城の斉藤利尭、苗木城の遠山友忠も米田城の肥田忠政とは懇意の仲であり、反森家として同調している各務元正の助言はあったが、現時点で彼等が金山城に牙を剥く様子は無い。
信濃国との国境に近い遠山友忠が夫長可の帰還を妨害するために動くかも知れぬが、今の森せんに出来るのは、それを夫長可に伝え注意を促す事ぐらいであった。
四面楚歌の状況であるが、当面の敵は米田城の肥田忠政のみと定め、その一画を早急に崩す。
森せんはそう思い定めて伴惟安の手の者の持ち帰る情報を待った。
六月二十日の早朝、森せんは城内で軍議を開いた。
当初は村を焼いた報復を警戒して兵を配していた肥田家ではあるが、森家が動かぬばかりか一族の葬儀の準備を始めたと知り、招集していた兵を一旦解散したのである。
しかも今日は一族に男子が生まれたとの事で、米田城では慶事の祝いが催されるという。
「はてさて、母上様が城におらぬ事も肥田家の者は知らぬ様ですね。しかも当家の葬儀を簡単に信用してしまうとは、森家も随分と舐められたものです」
森せんの呆れた表情に、場の一同も失笑を隠せないでいる。
「では皆の者、戦を始めましょうか」
「はい、姫様。肥田忠政とやらも多分に漏れず『飛蝶』を女と思うて侮っておる様です。目にもの見せてやりましょう」
「では城下に配した林通安の百名はそのまま北の抑えとして残し、各務元正は八十名を率いて私と『飛蝶』に続きなさい。金山城の守りは天野源右衛門と二十名に任せます」
「奥方様のお連れになられた天野源右衛門殿ですが、如何なる素性の御仁で御座いましょうか?」
重要な城の守りを任せるのである。
各務元正の問いはもっともなことであるが、そのやりとりで揉める時間も惜しく、森せんはそれについては今は答えぬ事にした。
「源右衛門は信頼に値する働きをする者です。彼については殿がお戻りになってから話す事にしますから、今は私を信じて下さい」
「奥方様がそうおっしゃるのならばこの元正、その件は今は何も言わぬことに致します。ですが…」
各務元正はなつとゆうの方を見ながらまだ何か言いたげである。
「奥方様が連れて来られた女達を領内に残し、城兵二百を率いて出てはいけませぬのか?」
この言葉になつとゆうが激高した。
当然である。
各務元正の言葉は『飛蝶』が役に立たぬと言っているのと同じだからだ。
「各務、本格的な戦にはしません。それに私の『飛蝶』を帰城された長可様に認めさせる為にも、彼女達には一つ大きな手柄が必要なのです」
しばし思案して、各務元正が口を開く。
「では、肥田忠政が城に立て籠もった場合は、無理な城攻めはせぬとだけお約束下され」
城攻めと聞き、なつとゆうもなぜ彼が『飛蝶』を渋ったのかが理解出来た様で、口をへの字にしたまま黙ってその場に座った。
『飛蝶』は野戦の仕方も城攻めの方法も知らない。その事に彼女達も思い至ったからだろう。
「その事、各務に従います。それでよろしいですね」
「私めの注進、ご理解下さり有り難う御座います」
「では皆の者、参りましょうか。
『鬼武蔵』は不在でも『美濃の鬼姫』が健在である事を、周囲の者共に知らしめてやりましょう」
* *
出陣の合図と共に駆け出す森せんと『黒雲』、その後に続く軍列が金山城の坂道を下っていく。
それは法螺貝の音も鬨の声も無く、旗印も掲げぬ静かなる出陣であった。
米田城下で隊は二つに分かれ、森せんと『飛蝶』の二百人はそのまま米田城を目指し、各務元正の率いる八十人の歩行の者は、伴惟安の手の者が付けた目印のある肥田家の主立った者の家屋敷を家人を殺害、次々に略奪を開始した。
この城下の騒ぎに米田城は未だ気付いてはいない。
この時既に伴惟安の手の者は米田城内に潜入していた。
朝から祝いの酒が城兵にも振る舞われた事で、城番の兵達も普段の持ち場を離れ、数カ所に固まって休憩し酒盛りの最中で、米田城の各門も来客の出入りの為に全て開け放たれたままである。
真面目に見張りに立つ者もあったが、彼等は伴惟安の手の者によって密かに倒されていったのである。
「武装した者の投降は許さぬ。全て斬り捨てよ」
米田城の門前で、森せんはそれだけを皆に命じて突撃の合図を下した。
抵抗も無いまま、森せんは開け放たれたままの門を次々と駆け抜け、そのまま本丸を目指す。
酒に酔いふらふらと彼女の前に立った不運な城兵は、もれなく彼女の長巻の餌食となっていった。
鬨の声を上げず静かに森せんを追う『飛蝶』の女達も、通り過ぎていく森せんの姿を何事かと目で追う酒盛り中の兵達に襲いかかり、次々に彼等を血祭りに上げていく。
本丸の手前で森せんの到着を待つ伴惟安の手の者に『黒雲』を預け、森せんは『飛蝶』と共に一気に本丸御殿に斬り込んだ。
歌と踊りで賑わっていた祝いの宴席は、森せん達の襲撃によって見る間に地獄絵図の様相を呈した。
館のあちこちで多量の血しぶきが飛ぶ。
森せんも『飛蝶』も容赦なく敵を殺戮していく。
手向かいする者、武装した者は武器を捨てようが容赦なく斬り捨てた。
その場の殆どの男達を討ち取ったのを確認し、森せんは『飛蝶』に攻撃の停止を命じると、動けず怯える城の女達と共にその場にへたり込む男の前に一人立った。
「森長可が妻、森せんに御座います。肥田忠政殿でしょうか?」
森せんに城主肥田忠政との直接の面識は無い。
聞いてはみたが、忠政でなくとも肥田の一族の者が何人か生き残っていればそれでよかった。
特にその男が何も答えぬので、森せんはそのまま言葉を続ける。
「先日、我が領内の一揆の企みを肥田家の方々に未然に防いで頂きました事、まずはお礼を申し上げます。
本日は、肥田家の中に忠政殿に対して謀反を企む不届き者がいるにも関わらず、肥田家中はそれに気付いてもおられぬ。
その為、先日のお礼にとこの森せんが、わざわざこちらに赴きそれらを今成敗致しました。それだけの事で御座います」
一塊になって震える肥田忠政と一族の者達を前にして、森せんは白い歯を見せながら満面の笑みを浮かべてみせた。
何かを言いかける肥田忠政を無視して更に言葉を続ける。
「なんと、本日の我らの働きにお礼も頂けるのですか。肥田家は何とも懐が深い。この森せん、誠に感服致しました」
森せんは一人芝居を終えると、なつとゆうに命じて米田城内での思う存分の略奪を始めさせたのである。
黄色い声を上げながら、『飛蝶』の女達が思い思いの物を手にしては荷車に積み込んでいく。
そして城下での仕置きと略奪を終えた各務元正達と合流した森せんの軍列は、十数頭の軍馬に大量の荷車を引きながら金山城への帰路についたのである。
この森家の所業はすぐに近隣の城主達に知れ渡り、その多くを震え上がらせた。
そして彼等が忘れていた『美濃の鬼姫』の存在を再び思い出させたのである。
この日を境に、米田城城主肥田忠政は病の床に伏してしまった。




