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烈華 ~乱世を駆けた鬼姫~  作者: つむぎ舞
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輿入れの日

 時は戦国時代。

 天正八年(一五八○年)の九月。

 長い輿入れの行列が、尾張国内を緩やかに進んでいた。

 この行列は、摂津国花隈城を出立した池田家の一行であり、この五月に完成したばかりの近江国安土城の城下町を通り過ぎ、まず美濃国へと入った。

 岐阜城下を抜けて木曽川を渡り、尾張国犬山城下を過ぎた所でその行列は、並々ならぬ様子の一団にその歩みを止められたのである。


 輿入れの行列を止めたのは、姫の到着を待ち侘びて居城から迎えに出ていた森家の家人達。

 聞けばこの者達、この行列をずっと探し求めていたというではないか。

「織田信長公、織田信忠様、すでに森家金山城の屋敷にて姫の到着をお待ちに御座います」

 籠に向けそう語る森家の家人言に割って入ったのは、武装した姿のなつとゆうを名乗る二人の女従者である。

「姫様の輿入れの日を待つとは、奇妙な事を言う」

「そうでは無いのです。我が主、森長可もりながよしが今日この日を祝言の日と定め、織田家の方々にその旨をお知らせしてしまったので御座います」

「何と、姫様の到着も待たずにその様に話を進めてしまうとは、一体どうなっておるのじゃ」

 この女従者二人の言い分はもっともであった。

 まず姫の輿入れを待ち、身内での挨拶を済ませ、その後吉日を選び婚儀を交わすのが一般的な流れである。この森家の行動は、あまりにも早計であると言えた。


 祝いの席に訪れたはずの金山城の婚儀の席に花嫁の姿が無いのである。

 織田信長公も織田信忠様も、これには驚きを隠せないでいたという。

 これをこのまま放置すれば森家のみならず、この一件を預かり知らぬ池田家にも婚儀の不手際を攻める沙汰が下るは確実。

「姫様に罰が及ぶやも知れぬ。何とも腹立たしい」

 憤るなつとゆうの二人。


「お前達、この者達を責めても仕方あるまい」

 そう言いながら籠の中からひょいと飛び出したのは、何とも小柄で可愛らしい短髪の少女であった。

「香に満ちた籠の中と違い、何とも良き稲穂の香りがしますね」

 彼女は一面に広がる実り豊かな田園風景を眺めながら、両手を広げて胸一杯に空気を吸い込むと、満足そうな表情でそれを一気に吐き出した。


「安土と岐阜の城下を通る際に挨拶の者を城に出したのですが、信長様も信忠様も不在であったのはそういう理由からなのですね」

 目の前で地に伏したままの森家の家人の姿に、その少女は改めて一つ小さな溜息をつくと、その者達に尋ねてみせる。

「我が夫となるお方は何と気の短い殿方であろうか。森家中には長可様のその行動を抑える者は一人もおらなかたのですか?」


「我ら皆、嬉しさで浮かれておる我が殿にもっと喜んで頂こうと、殿の言うままに動いてしまいました。しかし今日ここに至ってその愚かさに気付かされ、肝を冷やしておる次第で御座います」

「そうですか、家臣達には慕われている…という事ですね」

 そう小さく呟き、彼女は側に控えるなつとゆうに命じた。


「ここで着替えます。すぐに戦装束の支度をなさい」

 あれよという間にその少女は胴丸に鉢金を身につけた軽装に身を包むと、用意された乗馬に一人跨がり、森家の家人達に向けて微笑んで見せた。

「安心なさい。信長様と信忠様の到着より時は過ぎていますが、私が今日の日暮れまでに金山城に辿り着けば何とか面目は保てるでしょう」


 彼女は顔を上げ、乗馬を左右に足踏みさせながら輿入れの行列の前後に目を向け、供の者達に大声で叫んで聞かせた。

「お家の一大事である。これよりは戦と思い定め、金山城まで一気に駆けます。皆、遅れるでない」

「はい姫様」

 供の全員がその声に一斉に応えてみせる。

(父の恒興つねおきが決めた縁談。大人しく妻の務めを果たす窮屈な嫁入りになるかもと思うて半ば諦めてはいたが、森長可、何か面白そうな殿方ではないか)

 かけ声と共に駆け出す乗馬の上で、その少女はなぜか愉快そうに笑っていた。

 池田せん。十三歳の秋の事であった。


          *          *


 天正八年(一五八○年)、荒木村重の反乱を鎮圧後、摂津国を任された池田恒興いけだつねおきは、領内鎮撫もままならぬ内に西国平定の為の物資備蓄を主君織田信長より命じられ、巨大な兵站庫の建設と織田領内各所から次々に送られてくる物資の搬入に追われていた。

 この時荒れたままの領内鎮撫を一人買って出たのが彼の娘であった。


 恒興も娘の申し出を嬉しく思い、特に何が出来るものでもあるまいと放置して自分の仕事に没頭していたのであるが、気付けばこの娘、世話人の女達だけで無く、男手不足の領内から独身者や未亡人達をも集めて武具を与え、約二百名の女だけの武装集団を作り上げてしまっていたのである。


 娘のこの姫武者ぶりに頭を抱えた池田恒興は、婚姻を理由に事態の収拾を図ろうと画策し、急ぎ彼女の婿候補を探し求めた。

 古くから織田家に仕える本国衆と称される池田家の家格に釣り合い、更にはこの武辺で気丈な娘に興味を引きそうな男となると、そうそういるものでもない。

 思案の末、恒興が娘婿として白羽の矢を立てたのが、東美濃の森長可である。

 彼は父の森可成もりよしなりと長兄の可隆よしたかが近江で戦死した後、美濃国金山城五万石を受け継いだにも関わらず、未だ二十歳で独り身であったからだが、当然それには理由がある。


 森長可はその並々ならぬ武勇だけでなく、他家の家臣をその槍で突き殺したり暴言を吐くなど、その目に余る素行の乱暴ぶりが織田家中でも有名であり、戦場での命令違反や軍規違反は数知れず。

 にも関わらず、織田信長公からは「森長可であれば仕方あるまい」として口頭や書面での叱責以上の処分は一切受けていないのである。


 織田信長には凡庸な家臣よりも突き抜けた男に特に目をかける一面があった。

 そんな訳で、森長可が武蔵守の官位を得てからは『鬼武蔵』と皆彼の事を呼び、「鬼武蔵には逆らうな」が東美濃金山城近隣の城主達の口癖となったのである。

 それは決して彼を褒め称えての事ではない。

 そう、森長可のその評価と悪名は森家の縁談話にも少なからず悪影響を与えていたのである。


 そして森家と池田家、織田家中での家格の面でも互いの利害の面でも一致し、この婚儀はすぐに纏まったのである。


          *          *


 森家に嫁が来る。

 森家と池田家の縁談が纏まって数ヶ月、姫の輿入れの大まかな日取りは決まったものの、その喜びに舞い上がり、その日を待ちきれなかった男がここにいる。

 美濃国金山城城主、森長可もりながよしである。


 彼は姫の到着を待たず、早々に祝言の日を決めてしまい、主君織田信長公と直接の上司である織田信忠様や織田家の重臣達、そして自領近隣に祝いの席への招待状を発したのである。

 この時期、織田家の殆どの重臣達は日ノ本各地で戦の最中であり、更に森家を鼻白む近隣の領主達はその日何かと理由をつけて姿を現さなかったのであるが、織田信長公と織田信忠様の二人だけは祝いの席に現れたのである。


 この二人が森家と池田家の祝いの席に現れたのには、それぞれに理由がある。

 まず織田信長の方であるが、彼の乳母は池田恒興の母であり、幼少時に兄弟同然に育った池田恒興の娘ならば我が娘とばかりに、そして織田信忠の方は父信長より織田家の家督を継ぎ織田家の当主になった事に加え、武田家との戦を担う総大将の責も担っている。

 森家は織田家家臣であるだけで無く、信忠直属の配下であり、武田攻めに於ける重要な役割を担う人材でもあったからだ。


 池田家の姫の未到着に加えて、織田信長公と織田信忠様の到着。

 事の重大さに慌てふためいたのが森家の家臣達である。

 近隣領主や重臣の方々であれば事の次第を説明した上で、頭を下げれば何とかこの事態を収める事は出来る。

 しかしこのお二方にお帰り頂くのは余りにも非礼、否、非礼どころか信長公の怒りを少しでも買えば殿は切腹、お家は取り潰しという事態にもなりかねない。

 

 先月、古参の重臣である佐久間信盛さくまのぶもりが織田家を改易され、それに意見した林秀貞はやしひでさだ他数人の者が処分を受けたばかりであり、それを思い出せば次は我が身と肝が冷える。

 森家にとって幸運であったのは、兄の祝いを共にとの配慮から、織田信長公が供として安土城に小姓として務めている森蘭丸もりらんまる森力丸もりりきまる森坊丸もりぼうまるの三人を伴って来てくれた事であった。

 この三人に事の次第を伝えて織田信長公への取りなしを頼み、今のところ彼等三人の饗応で信長公の機嫌は上々である。

「森長可であれば仕方あるまい」

 祝いの席の不首尾に不満げな信忠様に対し、信長公には例の如くそう申して頂けたのであるが、これが何時まで続くかは分からぬと三兄弟は言う。

 そんな時、信忠様出立に遅れて輿入れの行列の挨拶の者が岐阜城を訪ね来た事を不審に思い、岐阜城よりの発せられた早馬が、金山城に池田せん一行の様子を伝え来たのである。


 輿入れの行列が近くまで来ている。

 藁にもすがる思いで、急ぎ出迎えの者達が城を発ったという次第であった。

 


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