四つの小さなお話:ゾロ目、クロニクル、発見、デブ
2021-10-10
安価・お題で短編小説を書こう!10
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>>226
使用お題→『ゾロ目』『クロニクル』『発見』『デブ』
【四つの小さなお話:ゾロ目、クロニクル、発見、デブ】
これはエッセイではない。エッセイを求める者は無用である。(それとパロっておきながら元ネタのことはよく知らない敬意のなさなので、元ネタのファンも無用である。)
* ゾロ目 *
昔の上司の友達の飼い猫が死んだ。
『昔の上司』というのは、僕の、昔の上司だ。
『友達』というのは、僕の『昔の上司』の『友達』が『飼い猫』だったのではなく、『猫』を飼っている友人夫妻、という意味だ。
『死んだ』と言ってしまったが、本当は、『亡くなった』の方が近い。
猫の年齢は言わないが、大往生だった。
毛が長くて、かわいらしい猫で、優しい性格だったと聞いている。
『聞いている』というのは、僕は、その猫に会ったことがないからだ。
『友人夫妻』との面識はあるが、お二人が僕のことを覚えているかどうかは、正直、分からない。
猫の写真が何枚か、SNSにアップされていた。
『Sad』『Care』『Like』などが、写真の下に並んでいる。
僕も『Care』や『Like』などを押した。
押した人数は、二百を超えていた。
僕は思った。会ったことのない猫だけど、死んでしまって悲しい。
一度会ってみたかった。
それから僕は風呂に入って、お題について考えた。
『>>222』だ。『にゃーにゃーにゃー』だ。
だけど写真の『Like』などの数は、言うまでもなく、『222』なんかよりも多かった。
それに、こんなところで他人の猫の話を使ってしまうのは、良くないような気もした。
結局使ってしまったわけだけど。
うちの猫たちは、まだ大丈夫そうだ。
にゃーにゃーにゃー。
それから僕は、シロちゃんのことを考えた。
シロちゃんは、僕の母が世話をしていた野良猫で、白猫だからシロちゃん。
とても賢い猫だったけど、ある時、病気になった。
死期を悟ったシロちゃんは、僕の前から姿を消した。
『僕の前』というのは、文字通り、僕の見ている目の前で、シロちゃんのための寝床から出ていって、帰ってこなかったのだ。
ちょっと散歩してくるのかな、と思ったのだ。
『思った』というのは、僕がそう思った、ということだ。
シロちゃん。
僕は、後日、と言うか翌日だが、シロちゃんを捜した。
——しろや、しろ
これは……なんの一節だっけ。全然思い出せない。
夏目漱石だったかな? 本当に分からないので、違っていたら申し訳ない。
——しろや、しろ
墓地の中。空き家の床下。小さな竹藪の中。
シロちゃんはいない。
——しろや、しろ
シロちゃんではない猫がいた。
おおい、シロちゃんを見なかったかい。
猫は何も答えない。言うまでもない。
シロちゃんは見付からなかった。
十一月の、明るい、曇りの日だった。
シロちゃん。
どこへ行ってしまったの。
* クロニクル *
『クロニクル』という単語には、四つの文字が含まれている。
『ク』『ロ』『ニ』『ル』の四つだ。
文芸の人たちには分からないと思うが、僕みたいな、計算機の周りをうろちょろしているような人間には、こういうものが、何かの暗号のように見えてしまう。
見た目の分かりやすさも考慮しつつ、次のように定義してみる。
『ロ』は『0』。
『ク』は『1』。
『ニ』は『2』。
『ル』は『3』。
ほら、出来た。これで四進数が表現できる。
数学の嫌いな人は、ここで読むのをやめたくなったことと思う。だが、まあ、ちょっと待ってほしい。
『四進数』の意味は分かるだろうか。
『0』から『3』までの、四つの数字で数を表現することを『四進法』と言う。
その『四進法』で表された数字が『四進数』だ。
たった四つの数字で数を表現することに、なんの意味があるのか。そこは気にしないでもらいたい。
ただ、こういう世界もある、ということだ。
四つの『数字』は、別に『数字』でなくてもいい。他の記号でもいい。
数学の嫌いな人は、『記号』と聞いて、蕁麻疹の出る思いだろう。そこは申し訳ない。
だが、『記号』と言っても、あのよく分からないアルファベットなんかのことではない。
例えば、『零』『壱』『弐』『参』だって記号なのだ。
もちろん、『ロ』『ク』『ニ』『ル』も記号だ。
わざわざ変な記号を使う意味については、考えてはいけない。まあ、単に見た目が面白いというのが、その意味と言うか理由なのだが、とにかく、考えてはいけない。
説明は以上だ。
難しくないでしょう?
さて、記数法(さっき定義したものだ)が出来たので、これを使って、計算機を作ってみようと思う。
作ってみよう、と言っても、想像上のものだ。今から電子工作を始めよう、などということではない。
数学の嫌いな人は、『計算機』のことも嫌いだろう。しかし、だ。計算機は役に立つのだ。数学も計算も苦手だったり嫌いだったりする人に代わって、計算をしてくれる機械なのだ。こんな素晴らしいものは他にない。
それで計算機だが、まずは計算機を操作するための『命令セット』が必要だ。
命令セットのない計算機は、キーパッドのない電卓だ。まったく使い物にならない。
ここでは四つの命令を定義する。
『ロ』は『ADD』、数を足す(add)。
『ク』は『SUB』、数を引く(subtract)。
『ニ』は『CMP』、数を比べる(compare)。
『ル』は『JNZ』、ゼロではない場合に、プログラムの別の場所へ移動する(jump if non-zero)。
急に『プログラム』という言葉が出てきたが、これは、命令を書いて並べた手順書のことだ。
今作ろうとしている『計算機』は、この『プログラム』を勝手に読み取って、そこに書かれている命令の通りに動作するものだ。
続いて、計算機の計算結果を保存しておく場所も必要だ。
これがないと、何を計算しても、むなしいことになる。
ここでは三つ、その場所を定義する。
『R』レジスタ、計算結果を保存する(register)。
『Rc』レジスタ、計算結果、または、数を比べた結果を保存する(register copy/compare)。
『PC』レジスタ、プログラムの中の、次にどの命令を読み取るのかを覚えておく(program counter)。
また、意味の分からない言葉が増えた。
『レジスタ』は、何かを記録しておく何か、という程度の意味だ。書き付け、だと思えばいい。
『R』『Rc』『PC』は、単なる名前であり記号だ。数学の嫌いな人は、ここは深く考えないようにしよう。
『R』レジスタと『Rc』レジスタは、ほぼ同じものだ。同じものが二つある理由は、とにかく必要だから。
『PC』レジスタは、さっき言った『プログラム』の、今は一体どこを見ているんだろう、ということを、計算機が覚えておくためのものだ。これがないと、『プログラム=手順書』だけあっても駄目なのだ。
これらの『レジスタ』の、大きさも決めておく。
突然だが、小皿を六枚、用意してほしい。次に、洗濯バサミを十八個。本当は『算数セット』とかの『おはじき』がいいのだが、贅沢は言わない。
小皿を二枚ずつ、三組に分けて並べる。それから、洗濯バサミを三個ずつ、小皿の前に置く。
これが、今作っている計算機の『レジスタ』であり、同時に、その大きさでもある。
空の皿は『ロ』、すなわち『0』を表す。
洗濯バサミを一個置けば『ク』、二個で『ニ』、三個で『ル』だ。
皿一枚では『ロ』から『ル』までしか数えられないが、皿が二枚あれば、面白いことになる。
『ロロ』、『ロク』、『ロニ』、『ロル』、『クロ』、『クク』、『クニ』…………『ニク』、『ニニ』…………『ルニ』、『ルル』。全部で十六通り。
つまり、『0』から『15』までの数を数えられるのだ。
これを三組、一つのレジスタに皿が各二枚。
だから、この計算機は、最大でも『15』、『ルル』までしか数えられないし、プログラムの手順も『16』個しか並べられない。
レジスタが出来たので、次は、さっき定義した『命令』の動作を決める。
『ロ』=『ADD』は、『R』レジスタに、指定された数を足す。例えば『ロロニ』=『ADD 02』という手順を受けて、『R』レジスタの値が『クニ』=『12』なら、『R』レジスタの値を『ニロ』=『20』に更新する。そして、『Rc』レジスタも同じ値に更新する。
…………。
…………大丈夫だろうか。付いてこれているだろうか。いきなり二桁の足し算が始まったので、数学の嫌いな人などは、頭が沸騰しているのではないだろうか。まあ、もう読んでいないかも知れないが。
『ク』=『SUB』も、同様に、数を引く。
『ニ』=『CMP』は特殊だ。『ク』=『SUB』と同じく数を引くが、『R』レジスタは更新しない。『Rc』レジスタのみ更新する。
『ル』=『JNZ』は、『Rc』レジスタの値が『ロロ』=『00』ではない場合に、『PC』レジスタの値を指定された数に更新する。例えば『ルクル』=『JNZ 13』という手順を受けて、『Rc』レジスタの値が『ルロ』=『30』なら、『PC』レジスタの値を『クル』=『13』に更新する。
『計算機』の仕様は以上だ。これで(想像上の)計算機は完成だ。
記念に名前を付けてみる。『クロニクル/ク』=『10213/1』だ。『壱号機』という意味だ。
ついでに、最初のプログラムも書いておく。
ロロ 00 ロロル ADD 03
ロク 01 クロニ SUB 02
ロニ 02 ニニニ CMP 22
ロル 03 ルロロ JNZ 00
言っておくが、特に実用的なプログラムではない。
『ロル』を足して、『ロニ』を引いて、それを、結果が『ニニ』になるまで繰り返す。
三歩進んで二歩下がる、手作り計算機だ。
なんだ、大したことはできないじゃないか、などと思ってはいけない。
世の中の多くの計算機は、これと同じような理屈で動いているからだ。
こちらが手作りの四進数計算機であるのに対して、あちらは最先端の二進数電子計算機である、というだけのことだ。
始まりはいつもちっぽけなものだ。
それがいつしか、大河となるのだ。
ここから歴史が始まるのだ。
四進数計算機の、偉大なる歴史が。
※読者への宿題:この計算機の仕様には、幾つか抜けている点があります。それはなんでしょうか。また、あなたはその仕様を、どのように定義しますか。
* 発見 *
とある連載を読んでいて、違和感を覚える。
——んん? これおかしくね?
唐突な描写と、強い既視感。そんなわけないよな、とは思いつつ、そこだけが印象に残る。
また後日。同じ連載を読んでいて、再びの違和感。
——んん? これ『お題』使ってね?
僕は、某匿名掲示板の『安価・お題で短編小説を書こう!』というスレ(スレッドの略)の『三代目進行』をやっている。
『某』などと濁す必要はまったくないが、これは挨拶のようなものである。
スレの目的は、スレタイ(スレッドのタイトルのこと)の通りで、安価(レスアンカーを意味する隠語)でお題を募り、そのお題を使って短編小説を書こう、というものだ。
『進行』というのは、要するに『司会進行役』、スレの世話人のこと。
『三代目』というのは、最初にスレを立てた人を『(仮に)ゼロ代目』、最初に進行役を買って出た人を『進行』、その人から役割を引き継いだ人を『二代目進行』として、数えて『三代目』という意味だ。
その頃のスレは、比較的盛況だったように記憶している。
『盛況』とは言っても、オワコンと化しつつある匿名掲示板の、マイナーな板の弱小スレで、その上、最初にスレが立ってから時間も経過していたから、まあとにかく、盛況とは言っても、高が知れている。それでも、今のすごい過疎と比べれば、まだにぎわっている方だった。
そんな弱小スレである。元は底辺スレ(『小説家になろう』の作者で、作品のブックマークが百を超えたことのない人たち専用のスレ)から分かれた企画スレである。
底辺か物好きか暇人か荒らししか、来るはずのないスレである。
そんなところに、である。
ぶっちゃけ大物である。
お前は暇人——ではないことは知っている。
物好きか。
『大物』とは言っても、まあ『小説家になろう』の中での大物である。底辺よりは偉いだろう、という程度の価値しかない。もちろん、人間の『価値』というものは、そんな上下関係で決まるものでもない。
それはさて置き、である。
スレのネタを、スレの中ではなく、スレの外で使われているわけである。
これは剽窃である。
看過するわけには行かない。
ただそうは言っても、である。
持ち出されているのは、ちょっとしたアイディアであったり、お題であったり、何かの属性であったり、罪のないものばかりである。
だからどうした、である。
かと言って、やられっ放し、というのも業腹である。
僕は、件の作品からパクり返すことにした。
これはささやかな自慢だが、僕の作品は大部分、パクリから出来ている。
盗人自慢である。
尊敬するのは、ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ大先生である。
大先生の名作を読んだことのない人間は、人生を損している。
そんな不届き者は、今すぐこのページを閉じて、図書館か書店へ急行すべきである。
なお、先生の著作は少々分量があり、全部買うと貧乏人にはつらいので、お勧めは図書館の方である。
ともかく、まあ、要するに、パロディーである。
パロディーの要諦というのは、あからさまにやることだ。これに尽きる。
こそこそと盗んでいくのは、パロディーではない。ただの泥棒である。
だからパロディーの元ネタは、必然、(その場所では)誰もが知っている作品や、定型などを使うことになる。
元ネタが分からないと、やはり今一つ、面白くないし、パクられた方は、単に不愉快なだけであるからだ。
信義と敬意の問題である。
出典が分かるようにしておきなさいよ、ということであり、かと言って、学術論文じゃないのだから、真面目に説明しても興醒めですよ、ということでもある。
まあ、そういうわけで、僕は件の作品から、ちょこちょことネタをパクってくることにした。
こちらがパクると、あちらもパクり返してくる。これがなかなか楽しい。
一見してそれと分からないような形で、自分の作品に、相手の作品の部品を組み込むわけである。
スレの古参の住人なら、僕の言っていることが分かるだろう。まあ、あんな感じである。
スレの中で、スレの作品を相手にパクリ作文を書きながら、裏でも同じことをやっていたわけである。
月日は流れ、スレは段々と過疎っていった。
『過疎』というのは、作品の投稿が減っていく、ということだ。
『毎週』である。
毎週、お題を募集して、毎週、短編を一つ仕上げるのだ。
なかなか続けられることではない。
みんな自分の生活がある。仕事だったり、家庭だったり、学業だったり、自分の連載だったり、小説を書くこと以外の趣味だったり。
飽きる、ということもあるし、ネタ切れ、ということもある。書きたいものを書き切ってしまった、という場合もある。
そして、書き続けたからといって、先に何があるわけでもない。
名誉も賞賛もない戦場である。
そこにあるのは、書き続けることで少しでも筆力が向上するのではないかという期待、それに、愛国心ならぬ『愛スレ心』のようなものである。(言っておくが、普段の僕は、愛国心のようなものは馬鹿にしている人間だ。)
ある時、僕は、スレの人口が、どうしようもなく減ってしまっていることを確信した。
スレでは一度に複数のお題を募集するのだが、それがまったく集まらないのだ。
人がいないことは、分かっていたことだった。
それでもだましだまし、やってきたのだが。
作者もいない。読者もいない。
三代目進行は、心が折れてしまった。
その少し前からモチベーションが低下していた僕は、作品の投稿ペースを落とした。
そうそう、ちゃんと言ってなかったが、僕は、スレの世話人として君臨しながら(お山の大将である)、同時に、自分の作品も投稿していたわけである。
そんな風に、大将が調子を落とす一方で、変わらず書き続ける人も存在した。
僕は、このスレには途中参加である。その人は、最初からの参加だ。
超ベテランである。
(何しろ匿名掲示板なので、これも仮に)名付けて『ベテラン氏』である。
(スレの調子が)良いときも、悪いときも、(歴代の進行が)病めるときも、健やかなるときも、ずっと書き続けてきたのが、この人である。
——小隊長殿! 今週の作品が仕上がりました!
——うむ、ベテラン軍曹、ご苦労である! 今回の作品はこれこれこうで、こうこうこれであるな!
——はっ! 感想有難うございます!
司令部が壊滅して久しい。大将のくせに小隊長である。
——ムワアアアア——
などと奇声を発するのは、荒らし二等兵だ。こういうのは治安が悪そうに見えるし、本人も態度が悪いので、小隊長としては困っているのだが、出ていけとも言えない。
言ったって聞かないだろうし、いつからいるのかは分からないが、軍歴だけで言えば僕よりも長いであろうからだ。
スレは死屍累々である。まともな兵士は残っておらず、皆、口を開けば文句ばかりである。
使えないやつらだ。
ゲリラ兵や往時の英雄が、思い出したように書きに来ることもある。それも助けにはならない。
別の司令部から引っ張ってきた、うー大将が転がっている。こいつ……生きてるのか?
某之介伍長が作品を置きに来る。一通りの報告が終わると、どこかへ行ってしまう。
軍曹は変わらず、作品を書いている。人並み外れた精神力だが、動揺していないわけがない。
僕は、軍曹たちには内緒で、撤退の準備を始めた。抜け駆けである。
もちろん、彼らを見捨てるつもりはない。同時に、こんな所で討ち死にしたいわけでもなかった。
行き先は『小説家になろう』本国……ではない。一市民としての帰属意識こそ持ち合わせてはいるが、僕は『小説家になろう』を本国だとは思っていない。ただ、一時的に身を寄せるには、便利な場所だ。
僕はハンス・クリスチャン・アンデルセン大先生の翻訳を始めた。セルバンテス先生とアンデルセン先生のお二人こそが、歴史上最も偉大な作家であるというのが僕の考えだ。
まあ、セルバンテス先生とアンデルセン先生しか読んだことがないのだけれど。
僕はアンデルセン先生のパクリ作文が書きたいと思った。しかしながら、他人の翻訳をパクるのは良くないことだ。同時に、僕は他人の翻訳など信用していない。そして、翻訳自体、昔から興味はあった。
詳しいことは割愛するが、僕は、なんとか一作品、仕上げることができた。
さっき転がっていた、うー大将が大喜びで褒めてくれた。ありがたい。
大将の仲間も褒めてくれたが、こっちはちょっと問題があった。
タイミングから考えて、僕の作品に影響されたように、僕には見えたのだが、(僕に言わせれば)ちょっと的外れな内容のエッセイを出してきたのだ。これは頂けない。
それだけなら、まあ、別に、だが、そのエッセイの感想欄を覗いてみると、まあ、的外れな意見だらけである。エッセイ民なんてこんなものだ。僕は呆れ果ててしまった。
彼らのエコーチェンバーには大した影響力なんてないので、別に放っておけば良かったのだが、視界の隅でこれをやられると、正直、とても目障りなものである。
撤退を進めるに当たり、僕はエッセイを一つ、上げる必要性を感じていた。ついでなので、そこに反論を足しておこう、というわけである。僕はノリノリでエッセイを書き上げた。
まさかの総スルーである。
これはひどい。
玉砕どころか大爆死である。
よくよくPVを見てみると、読ませたい人たちには読ませられたのでは? という感覚もあったが、なんにせよ、反応がないのは詰まらないものだ。名無しが一人、相手をしてくれたが、うーん……スルーできなかったのかな? という程度のもので、こちらの論点を理解しているようには思われなかった。
くっそ、馬鹿ばっかりだ。
こっちは玉砕覚悟で大爆死したというのに。
まあ、仕方がない。人生こんなものだ。
スレは相変わらず過疎っている。
援軍は来ない。来るわけがない。こちらから要請するわけにも行かないし、仮に来てもらってもどうしようもない。そもそも要請する先がない。
軍曹の安否も分からない。まあ、あの人なら大丈夫だろう、とは思うが、それでも心配にはなるものだ。
こうなるとすべてが恨めしい。
スレのネタを持ち出す者は、例の大物以外にも何人かいたが、こっちも暇ではないのだ。一人一人の相手などしていられない。結果、一方的に持ち出されるだけである。
フリーライダーのアイディア倉庫ではないのだ。
取るだけ取って返しにも来ないとは。
実に腹立たしい。
そうこうしている間にも、時間は過ぎていく。
スレがどうこうではない。作品を出さない作者は、存在していないのと同じである。
今回は、僕もスレ用の作品を出さなくてはならない。
フリーライダーがどうこうではない。パクられたらパクられたで仕方がない。パクられるのは名誉である。
手伝いに来てくれればとも思うが、こんな無人の戦場に、貸し付けてもいない借金の形として、何人か引っ張ってきても仕方がない。もし来たら、嫌みを一杯言って、追っ払ってやる!
それにしても面白くない。
面白くないときはどうするか。
自分で面白くするしかない。
面白い作品に面白い感想を書けば、少しは面白くなる。
女内密さん二次を読むのも面白いが、こちらは睡眠時間や執筆のための時間が削られてしまうので、しばらくはお預けだ。
大物は調子が良さそうだ。いつも具合悪そうにしているので、これは素晴らしいことだ。僕の自意識過剰でなければ、ネガティブなエッセイを心配している様子だが、僕は元々こういう人間だ。
うー大将は生きているだろうか。作者のマイページから『評価をつけた作品』を開けば、最低限の安否確認ができる。ストーカー機能だ。
生きているかどうかはよく分からなかったが、微妙な作品を評価していた。僕に言わせれば、これは微妙だ。
こんな所で作品の陰口を言うのは感心されないが、けんかを売りにいっても仕方がない。
以前、僕に論破されたやつが、似たようなものを書いていた。こんなのは駄目だ。
僕に言わせれば「それエッセイでやりなよ」だ。
これだから文芸の人たちは駄目だ。作品の力を過信しているのだ。
文学的な表現に仮託するのが文学者の使命だと思っているのだ。
僕は文芸の人ではないので、そんな宗教はくそ食らえだ。
古の賢者たちは、コテどころか、所属する組織の肩書きのまま、実名で殴り合ったという……(大昔のインターネットの話です)。
僕も現場に居合わせたことはないが、昔はそんなことをやっていたのだ。
言いたいことがあるのなら、はっきり言えばいいのだ。
それにしても今回の作品だ。最初の二つはなんとか文字で埋まったが、まだ二つある。
古い自作のセルフパロディーで埋めてもいいが、書き上げられる気がしない。
時間は足りない。作者は相変わらずの遅筆だ。筆の早いやつらが恨めしい。
どうする……どうしたらいい……どうしたら…………————
————…………あっ。
* デブ *
「すぐ太っちゃうんだよねー」
と言う人がいた。実際その人はすぐ太った。そして痩せた。
僕が最近会った、アメリカから来た人は、まあ、正直、太っていた。
僕は、彼は痩せるべきだと思った。どう見ても健康に悪い。
僕自身のことを言うと、僕は全然太らない。内臓脂肪とかになると、ちょっと分からないが、外見では全然太らない。
太りやすい人は、胃が大きいとか、丈夫だとかは、よく聞く。
僕はあまり食べられない方だ。だから太りようがない。
おなか一杯になってしまうのだ。
おなか一杯に。
おなか一杯。
だから。
ここまで文字で一杯になったから。
このお話は。
おしまい。