わたしの頼もしい後輩
さくさくふわふわのパンをいくつか買い込み、またいくつかはいただいて、いい香りのする紙袋を持ちつつ、バックのドアを開けた。
「お疲れさまです!あがります」
「お疲れさま、灯ちゃん」
「お疲れさま」
「はい!またー!」
ヒノデパン屋は4時には閉めてしまうので、そろそろ皆その作業に入っている。店内でパンの陳列を直す幸くんが目に入り、思わず声を掛けた。
「幸くん」
「あがりか。お疲れさま」
「うん。今日、ほんとありがとね」
あんな男のことでお手を煩わせたのが今さらながらに恥ずかしくなって、ちょっと赤くなってしまった。
「……気にすんな」
幸くんは、わたしの気恥ずかしさに釣られて赤くなってしまった。申し訳ない。
「本当、ごめんね。ありがとう!じゃあ、また」
ドアを開けたならカランコロン、とベルが鳴り、そして、
「……灯さーん、見ましたよ」
「わっ、迎えに来てくれたの?」
大学時代の後輩である志田美重子が、にやにやと笑っていたのであった。
「直接カフェに行こうかと思ってたんですけど。いやあ、灯さんも隅におけないなあ」
「は?」
「彼、あのパン屋さんの息子さん?」
「ああ、幸くん?そうだけど」
「ふうん……イケメンですね」
「そうなんだよね」
「灯さんのタイプでしょ」
「まあ、そうかな……?」
確かに、幸くんみたいな頼りがいのあるワイルドなイケメンは、わたしの好みではあるかもしれない。
前は全く周りにいなかったイケメン達が、この世界線では知り合いになっている。これは、神様からのちょっとしたご褒美なのか。それとも、真紘がイケメンだから間接的に類友で呼ばれているのか。どちらでもいいが、目の保養にはなるのでありがたい。
「見てますよ」
「え?」
誰が?
振り返ってみたが、特に誰もいなかった。怖いからやめて。
「もー違う!あっち!パン屋!」
「えっ、また一真が?」
「違ーう!もう!パン屋のむ……え、一真さん?また来たの?」
美重子の可愛らしい眉間に、ぐっと皺が寄った。
取り敢えず約束のカフェまではすぐなので、そこで腰を落ち着かせる。それぞれオーダーしたところで、今日あったことをそのままに話した。
「そもそも浮気しといて、何で毎回職場に来るかな」
「それなんですけど」
「また何か仕入れたの」
「一真さん、振られたらしいですよ」
「えっ、あの浮気相手の子?」
「そうです。カナコちゃんです」
カナコちゃんていうのか、知らなかった。
美重子は大学を出てからアパレルでVMDをしている。元々流行に敏感で、故に情報通だった。それはもちろん、私生活でも存分に活かされている。わたしの知らなかった浮気相手まで掴んでいるとは、大したものだと感心した。
「カナコちゃん、21歳なんですけど」
「すごい知ってるし。え、21歳?またずいぶんと……」
「若いですよね。まあ、いいんですけど、一真さんのお店のバイトの子なんです」
「ああ……」
なるほど、職場で浮気をしていたとは。
一真は飲食店の厨房で働いていて、それはこの街にある。仕込みは11時からだから、わたしの職場に来るのはだいたい10時頃。それはいいとしてもだ。
「別れてすぐ付き合ったんだよね?」
「カナコちゃんとですか?そうですね」
「じゃあ、何でずっとうちのお店来てたんだろ。パンがお気に召したとか……」
「いやー、未練があったんじゃないですか」
「え、わたしに?浮気してたのに?」
「……ですよねえ」
「うーん、でもなあ」とか何とか、オーダーしたケーキを頬張りながら、首を傾げては納得いかない様子の美重子。
「思うんですけど」
「うん」
「一真さんて、手にある内は良さがわからないタイプなんでは」
「まあ、胡座は掻いてたと思うけど」
「失って、灯さんの良さに気づいちゃったんですよ」
「わたしの良さなんて、楽観的なとこくらいしかないよ」
「あと、お人好しです」
「お人好し……」
似たようなことを流れで神様に言われたような。そもそも、お人好しとはいいところなのか。
「とにかく、一真さんは何か危なそうなので気をつけてください」
「今のところ、特に何も」
「気をつけてください」
「あ、はい」
「でもー」
急に雰囲気を変えて、うへへと美重子が笑う。せっかく可愛いのに、その顔はもったいないぞ。
「灯さんには、真紘くんがいるし」
何故また真紘が。
「真紘にはもっと、こう、すこぶる美人が似合うよ」
「えー、宗田薫子みたいなってこと?じゃあ、灯さんには、さっきのパン屋の息子さんてこと?」
「違うし、全部近場じゃない」
「あら、恋は近場で始まるんですよ」
いつの間にかケーキを完食していた美重子が不敵に言い放つ。少しだけ、なるほどと思う自分がいた。
真紘の近場か……全く交友関係を知らないな。絶望。神様、彼を救う道筋がほんと、全く見えません。
「昔っから灯さんは真紘くんだいすきですけど、なんかこう、ライクなんですよねー。ラブじゃないんですよねー」
ぶつくさ言いつつ、今度はパフェをオーダーしていた。昔から彼女は大食漢だが、その細い体のどこに入るのかはずっと謎である。
それはそうと、ライクか。わたしからしたなら前は全く知らない人だった真紘をちゃんとライクまで持っていけたのは、すごいことだと思っているんだけどな。
死んでしまうはずだったわたしがこの世界線で生まれ変われたのはある意味真紘のおかげだし、感謝みたいな気持ちもあるのかもしれない。たぶん。
「しかしなあ……ラブって何だろう」
「何ですか急に」
「美重子が言ったんでしょ。ねえ、ラブってどんな感じ?」
何人かと付き合ったことは前も含めてあるけれど、真剣な恋愛だったかといわれると、そうではなかったような気がする。つまりわたしは、ラブがよくわからない。
「えー甘くて苦い?」
「カフェオレ?」
「違うか」
「わかんないんだってば」
そもそも、これは真剣な恋!とか考えて恋愛したりするもの?そんなこと考えたことあったかな。
「あ、でも、三成との恋愛はラブかな、たぶん!」
「そっか。何よりだね」
美重子が幸せなら、まあいいか。