ブラックバカラその4
スマホの表示が20時を過ぎた。
白ワインを開けてしまったので、車を出すわけにはいかない。
俺と美咲は、もうすっかり暗くなった道を歩きながら、話をした。
「伯父の3回忌以外は、特に何をする予定もなかったから、部屋の掃除と服の整理ぐらい? クリーニングに出しに行ったり。大したことはしないまま、気付いたら連休も終わってた。」
ほぼ等間隔に設置されている街灯の光は、美咲の横顔の陰影を強調しているように見えた。
2人で霊園に行った日の、何か思いつめたような表情が思い出される。
どこまで触れていいのか分からない。
拒絶されたわけではないが、距離感を間違えれば、終わってしまう。そのことは分かっていた。
「お亡くなりになったのは連休中だったんですか?」
この話題があまり適切ではない、ということは分かっているのに、それが美咲を知る糸口のような気がして、つい口にしてしまう。
「命日は5月24日。法事って、人が集まりやすい時、休みが取りやすい時に行うんだよ。命日を過ぎるのは駄目らしいけどね。」
美咲は小さく溜息をついた。
「バラがね、アキ兄ちゃんが育てたバラが、あのサンルームのあちこちで咲いていてね、花の咲いた枝という枝を切ったの。お棺に入れるために。あれだけ切ったから、弱って枯れるんじゃないかって期待したんだけど……。」
美咲の歩みが遅くなる。
「アキ兄ちゃん、本当は、自分でバラを処分するつもりだったの。残せば玉子さんが困るだろうから。……でも、時間は残されていなかった。」
普段は通ることのない住宅街の道は、やけに静かで、呟くような美咲の声がはっきり聞こえた。
「かなり粘ったの。もう通常の痛み止めも効かなくなって……。それなのに、ぼ~っとなるのが嫌だって。結局、痛みで、かなりつらかったはずなのにね。そのくせ玉子さんには悟らせないようにしてたんだ。」
俺は、美咲の話をただ黙って聞くしかなかった。
「もう誤魔化しきれないってなった時、呼び出されてね、『代わりにバラを処分してくれ。』って言われたの。だから、こっちもね、モルヒネを使うことを約束させたの。」
前に聞いた時は、確かちょっと違う話だった。『玉子を頼む。』と言われたと言っていた。
「それ、玉子さん、ひょっとして町田先輩も知らないんじゃないですか?」
何かが引っかかっていた。そう、何かだ。
「……知らないよ。あぁ、私、駄目かもしれないな。」
美咲は、妙におどけたような口ぶりで言った。
「向いてないのかも。」
俯いた表情は暗かった。
「こんな話、しちゃいけないんだよ。」
あともう少しで『ハイツエグランテリア』の建物の影が見えてくるはず。俺は、美咲を独りにするのが怖くなった。
「ごめんね。こんな話、宮野君にすべきじゃなかった。誰にも話すべきじゃないんだけど、一緒にお墓に行ってもらったからかな? ごめん。」
美咲は声を振り絞るようにして謝ってきた。
「話くらい聞きますよ。それこそ一緒にお墓まで行ったんですから。」
美咲は頭を左右に振った。
「駄目なの。そういう決まりだから。守秘義務ってやつ。まだ私は学生だけど、やっぱり駄目なの。」
美咲は、これから先、ずっと、そういう重いものを抱えていくのだろうか?
「じゃあ、話さなくていいです。話さなくていいから、一緒にいてください。」
俺は、どうしようもなくなって、美咲の腕を掴んだ。このまま、消えてしまいそうな気がして怖かった。
俺たちは、そこまで歩いてきた道をまた戻った。部屋に着くまで、一言も言葉を交わすことができなかった。




