ザ ダークレディその1
大むかしには黒きは「美」とせられざりき、
よし然らざりきとするも、「美」とは稱ばれざりしなり。
然るに今は黒きは「美」の相續者たるべきものにして、
劣り腹の美てふ汚名をもて誹られ侮らる。
『ソネット集』シェイクスピア 作 坪内逍遥 訳 より
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大学の先輩である町田光華からメールが届いたのは、学食で遅めの昼食を取っていた時だった。
“相談したいことがあるので、今日か明日のあいている時間を教えて。”という内容で、こっちが暇であると見越している様子。
いや、まぁ、たまたま、予定は無かったのだが。
俺は、今日の夕方ならば問題ないと返信し、食器を所定の場所に片付けた。
あまり、間を置かずして、光華からのメールが来る。
そして、夕方の4時、大学近くのコンビニの前で落ち合う約束となった。
少し早めにコンビニに着いていた俺は、店内でコーヒーを買い、駐車場の端で飲みながら光華を待っていた。
酸味があまり無く、香りも軽めだが、苦みは割とはっきりしていて、好みの味だった。
「あっ、宮野君、待った?」
こっちの姿が見えたようで、光華が小走りになって近付いてきた。
オフホワイトのTシャツにブラウンのVネックのボックススウェットを重ね、ジーンズに足元はコンバース。少し大きめのグレーのショルダーバッグを肩にかけていた。
「ちょっと早く着いただけです。コーヒー飲んでましたし。」
「そっか。じゃ、歩きながら話すね。」
光華は、そのまま、歩き出した。
「私がタマちゃんちの賃貸の1室を借りてることは、この前、話したよね。で、あと4室あるんだけど、そのうちの2階の1室を借りてる女性が、どうもストーカー被害に遭ってるみたいなんだ。」
光華によると、その女性、堀田ワカナは3年前から『ハイツエグランテリア』に入居しているという。市内の会社勤めで、30代前半。
「モデル体型っていうの? 細くて手脚が長くてさ、いっつもモノトーン、というか黒い服を着てるの。」
少し色黒ではあるが、同性である光華から見ても美人の域に入るらしい。
「先月ぐらいからワカナさんの郵便受けに、脅迫めいた手紙が来るようになったみたい。」
異変に気付いたのは、光華の伯母で家主でもある“タマちゃん”こと星野玉子さん。ワカナが郵便受けの前で暗い表情のままぼっとしているのを何回か見かけ、さらには、ワカナが手紙を破いているところに出くわしたのだという。
「タマちゃんが、ワカナさんに何か困っていないか聞いたんだけど、『誤解されてるみたいだが、大丈夫。』とだけで、詳しいことは話してくれなかったんだって。」
「本人が、そう言ってるんだったら、他人には介入できないんじゃないですか?」
「そうなんだよね。でも、昨夜、そのワカナさんが帰宅してきたところに、中年の男が現れて、『お前の正体は分かっているんだぞ。』とか叫んだの。直ぐに、いなくなったけど。さすがに、マズいんじゃないかって……。」
ワカナは、真っ青になって立ち尽くしていたが、光華や玉子さんが警察に知らせようと言うと、首を振って拒否した。
「その程度じゃ、警察も相手にはしてくれないからって。でも、これ以上エスカレートするようなら、やっぱり怖いのよ。」
件の中年男が今後も現れるようなら、玉子さんの方で警察に連絡するつもりのようだが、そもそもワカナが事情をほとんど話してくれないため、どう動いてよいのか分からないらしい。
「とりあえず、そいつが来たら、こっちにも男がいるって見せた方がいいんじゃないかって思ってさ。女しかいないって見られたら、ナメられるっていうか……。」
「俺はカカシか何かですか? 言っときますが、腕に覚えはありませんよ。」
「うん。そこは期待してない。」
あっさりと光華が言う。もう、道の向こうに『ハイツエグランテリア』の建物の一部が見えてきた。
「とりあえず、タマちゃんちの方へ行くね。」
ザ ダークレディ:イングリッシュローズ、1991年イギリス作出。深いローズピンクからダーククリムゾン色の大輪のロゼット咲き。
ワカナ:ハイブリッドティーローズ、2006年日本作出。花色はナチュラルホワイトで、縁に爽やかなライムグリーンが入る。