ゼフィリーヌドルーアンその2
「お疲れ様です。株式会社アプリコットムーンの堀田から荷物を預かってきました。」
『ハイツエグランテリア』203号室の住人、堀田ワカナの勤める会社、アプリコットムーンは香料を扱う会社だ。元々は、長年にわたって仏壇用の線香を製造・販売していた会社だったらしいが、業務拡大として香水・アロマテラピー関連といった分野に手を伸ばし、さらには、それらを用いたイベントやキャンペーン、企業間コラボなんかも行っている。
大学と男性向けの香水の共同開発もしていた。
今度は、山開きに関連して、“森林浴”をテーマにしたイベントを行うらしい。俺は、そのイベント用資材の搬入を依頼されている。今回の依頼は、正式なものだ。
一度、ワカナに個人的に頼まれて、理学部に会社からの資料を届けたことがある。それは、ワカナが会社に無断で行った行為だったため、問題になったのだ。
しかし、ワカナの上司、大社さんが、上手く処理してくれたおかげで、さほどダメージにはならずにすんだ。その上、俺は、大社さんに顔を覚えられてしまい、結果、学生バイトとして会社からの依頼が舞い込むようになった。
「あぁ、連絡貰ってるよ。えっと、森林浴イベントの、だよね。こっちで担当をしている江場です。」
「江場さん。良かった。あ、学生アルバイトの宮野です。荷物はどちらに置かせてもらったらいいですか? あと、駐車場をお借りさせていただけると伺ったのですが。」
「荷物はね、一旦、倉庫にしまうから……。あ、台車持ってくるよ。それと、車の練習するんだよね。聞いてるよ。空いてるところで、適当にやって。トイレは食堂のやつ使ってもらっていいから。」
俺は、後部ドアを開け、ラゲッジフロアから荷物を降ろす準備をした。江場が押してきた台車に、崩れないように荷物を載せていく。
「ん、じゃ。受け取りのサインね。みやげ物屋さんに、今日中に商品を運んでくる運送トラックが後で来ることになってるから、そん時は注意してね。」
江場は、荷物の載った台車を押しながら、こちらに言い、そして奥へと行ってしまった。
「あの、先にトイレ行ってくる。」
美咲は、慌てて食堂へ入っていった。俺は、暫くぶりの運転に緊張している美咲の様子が、なんか微笑ましく感じた。
揶揄ったら、また膨れるかな?
空を見上げる。いい天気だ。思いっきり伸びをしてみる。
待っている間、周辺の風景に目をやる。緑が鮮やかだ。どこからか、野鳥の声がする。
「お、お待たせしました。」
戻ってきた美咲が、俺の背後から声をかけてきた。
緊張感が伝わってくる。
「何なんですか? 俺、別に車校の教官じゃないですよ。」
「え、でも、隣に乗ってくれるんでしょ? よろしくお願い致します。」
ものすごく、真面目な顔だ。
「緊張しすぎると、やらかしますよ。まぁ、まずは、エンジンをかけるところからですかね。」
「その前に、点検するんじゃなかったですか?」
本当に、真面目だ。
「えっとですね。本来は点検するんですけど、ここまで走らせちゃった後で、エンジンルーム熱くなってるんで、今日は省略です。」
「あっ、そうか。教習用の教科書持ってきたんだけど。点検は、“運転前”にするんだったものね。」
そう言って、持っている鞄の中から、その教科書と若葉マークと運転免許証を取り出してみせた。
「そうだった。若葉マーク。俺、忘れてた。さっすがですね。」
やっぱり、医学部生は違う。準備万端じゃないか? 俺は、ついさっきまでの余裕が半減するのを自覚した。
美咲は、ボンネットの端っこに若葉マークを貼り付けた。
俺は、キーを美咲に渡す。そして教習用の教科書を受け取り、ドアを開けて助手席に乗り込んだ。
美咲も、運転席側のドアを開け乗り込む。そしてシートの調節をした。
「ハンドルの位置は大丈夫ですか?」
「え? ハンドル?」
「ハンドルの下のレバーでロック解除して、ハンドルの位置を調節するんですよ。えっと、そう、それです。」
美咲は、ハンドルの位置を調節し、ドアミラーとルームミラーも確認した。
ちゃんと、予習してきているらしい。
「えっと、深呼吸します!」
美咲は、シートベルトを締めて、エンジンをかける前にそう宣言し、オーバーなくらい大きく深呼吸をしたのだった。
エバ:ハイブリッドムスクローズ、1933年独国作出。花色は赤で中央部が白色。




