桜霞その3
赤城ゼミに参加することを光華に話した翌日、女の子が1人、行方不明になるという騒ぎが起きた。
あの時、置いてきぼりになった女の子だった。
「大きい子たちが自転車で遠くに行くようになって寂しかったみたい。途中まで追いかけてくところ、近所の人たちも見てたらしいし。」
スマホで呼び出され、捜索を手伝うことになった俺に、玉子さんは申し訳なさそうに説明した。
「玉子さんのせいじゃないです。遊び場と勘違いさせたままで、事故が起こっていたら、そちらの方が問題ですよ。」
「でもね。なんとなく、こうなる事は、予測できていたのよ。独りだけ置いていかれるって、怖いの。まして3歳の女の子なんだもの。」
「タマちゃん、大丈夫。絶対、見つかるって。」
近所の大人たち、警察官に加えて、大学近くの地域柄、俺のように協力を依頼されたと思しき学生たちもいた。
一時、子供たちの“遊び場”となっていたことから『ハイツエグランテリア』の敷地内も捜索対象になった。
玉子さんは、警察官と一緒に、駐車スペースや、生垣、階段から、賃貸部分の通路まで確認した。
「ここには、いないようですね。しかし、馴染みの場所ということで、こちらの方へ自力で戻ってくる可能性もありますので、大家さんはここで待機していただけませんか?」
玉子さんは、表情も硬く、ただ、黙って頷いた。
連絡はスマホで取り合うことにして、俺も捜索に加わった。
「凛ちゃ~ん。」
「おぉ~い、凛ちゃん、どこだぁ~。」
あちこちから、女の子の名を呼ぶ声が上がっているのが聞こえた。
もう、あたりは、かなり暗い。住宅街には、所々を照らす街灯もほぼ等間隔で設置されてはいるが、3歳の子供に、明るく見えるとは思えない。
俺と、もう1人、202号室を借りているという経済学部の学生は、大学へ向かう道を辿りながら、女の子の名を呼び続けた。
「見つからないね。」
「こっちの方じゃないのかも。」
「児童公園のところはどうかな?」
「あそこ、最近じゃゲートボール場だからな。それに、近所の人が既に見に行ってると思うけど。」
それでも、公園近くまで来ると、先に捜索に来ていた大人たちの声が聞こえた。
「だめだ。ベンチの下も、遊具の陰にもいない。」
夜の公園に、虚しい声が響いた。
と、夜の闇に浮かび上がる白い連なりが目に入った。桜並木だ。
「夜でも、桜って、よく見えるもんですね。」
隣の学生に向かって呟くと、その影が突然止まった。
「どうかしたのか?」
「あれっ。さ、桜の木の根元に何かいるっ!」
その声に反応した大人の1人が、桜の木の方へ駆け寄った。
「凛ちゃん?」
急に、懐中電灯を向けられて驚いたのか、女の子は、わぁわぁと泣き出したのだった。
見つかった女の子は、怪我もなく、両親にすぐに引き渡された。
「すみません。」
「ご迷惑をおかけしました。」
両親は、集まった皆に頭を下げてまわっていた。
父親に背負われた女の子は、最初ぐずっていたようだが、終いには寝てしまっていた。
週末、近所や大学構内、少し離れた川沿いの土手といったところの桜は満開となり、それを目当てに集まった人々で、どこも賑わっていた。
そして、火曜日の雨で、あっけなく散ってしまった。
俺や一緒に捜索した経済学部生以外にも、近所に下宿している学生たちが捜索に協力したということで、大学にも感謝が届いたらしい。
自転車に乗れる子供たちが、かなり遠いところの公園まで出かけていたことも判明し、さらに、マスコミが取り上げたことで、近くの児童公園は子供たちに開放されたのだった。
「どうも、強硬派は一部の高齢者だけだったみたい。自分たちが“児童”公園を占領しているのを、内心、恥ずかしく思っていたり、止めたがっていた人たちは、事件を理由に来なくなっちゃったんだって。」
集まる人数が少なくなった上に、家族からも反対され、マスコミからの情報で事情を知った見ず知らずの人間からも非難がましい目で見られるようになったことで、早朝から“場所取り”をしていた人物が、諦めたという話だ。
4月もまだスタートしたばかりと思っていたら、既に3分の1は過ぎてしまった。
そして、サンルームのバラたちは、いよいよ緑が増し、蕾がはっきり分かるようになってきたのだった。
凛:フロリバンダ、2007年日本作出。花色はピンクで中央部が白色。




