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桜霞その2

午後からのゼミの見学が終わって、スマホを確認すると18:05だった。

質問などしたり、逆に教授から、感想を聞かれたりしているうちに結構時間が経っていた。

今日は、バイトの予定もなかったので問題はないが、明日は注意が必要だ。


俺は、構内を歩きながら、光華の話を思い出していた。

ドイツ近現代史ゼミのことではなく、玉子さんが元気がない、ということの方だ。

『ハイツエグランテリア』を経由しても、自分の部屋までの距離がそう遠くなるわけではない。

まぁ、ここ数日暖かな日が続いた影響で、かなり開花が進んだ桜を見るついでということで、いつもの帰り道と違う道を選ぶことにした。

大学から『ハイツエグランテリア』までの道の途中に、ちょっとした桜並木があるのだ。

桜は七分咲きといったところだった。桜の木々の向こうに児童公園の敷地があるのだが、児童とは名ばかりで、高齢者のゲートボール場と化していた。


『ハイツエグランテリア』に面した通りを歩いていると、突然、数人の子供たちが飛び出してきた。その後に、少し遅れて3歳くらいの女の子が、置いてきぼりを食らったのか、泣きそうになって出てきた。

女の子は、それでも、先に行ってしまった子供たちの後を追って、歩いていた。迷っている様子はないので、近所に住んでいるのだろう。

と、心配そうな顔をこちらの方へ向けた玉子さんと目が合う。


「こんにちは。というか、もう、こんばんは、に近いですね。」

「ええ。こんばんは。」

「今、出てきた子供たち、ご近所さんですか?」

「そうなんだけど……。困ったことに、ここを“遊び場”にしちゃってるの。」

「遊び場?」

「かくれんぼとか、あと、階段で遊んだりとかも。」


玉子さんの話では、近所の子供たちの遊び場であった児童公園が高齢者によって占拠されてしまっており、行き場がなくなった子供たちが、集合住宅の敷地内に入り込んで遊ぶようになったという。

子供たちの親が、高齢者に詰め寄ったこともあったらしいが、『早い者勝ち。こっちは早朝から来ているんだから。』と、相手にされなかったらしい。


「駐車スペースに入り込まれたら危険だし、その都度、注意はしてるんだけど……。」

「親御さんは、注意しないんですかね?」

「共働きで、お忙しいお宅もあるから……。謝りに来られた親御さんもいたけれど。」


俺の子供時代も、近所に遊ぶ場所は、ほとんどなかった。

『今どきの子供はテレビゲームばかりしている。』などと言われたが、実際、遊べる場所は友人の部屋で、できることと言ったらゲームなのだ。

携帯ゲームを買ってもらったら、すぐにも、外遊びは止めるだろうが、その前に事故でも起きたら大変だ。

玉子さんの心配事は、たぶん、そのことなのだろう。


「明後日は引っ越しもあるから、近付かないようにして欲しいのよね。」


201号室を借りていた学生が卒業と同時に引っ越したため、空きになっていたが、明後日に新しい入居者が引っ越してくるという。


「大変ですね。」

「あんまり、よそのお宅の子供さんに強く言うのもね……。困った、困った。」

「町田先輩、心配してましたよ。玉子さんが元気ないって。」

「あぁ。駄目だなぁ。また心配させちゃってる。」


玉子さんは、困ったように、それでも何とか笑ってみせた。


「ひょっとして、様子を見に来てくれたの?」

「いえ、こっちの道を通ると、桜が楽しめるんですよ。この時期。」

「桜、もうだいぶ開いてきてるものね。」

「週末には満開でしょうね。」


玉子さんは、少し離れた場所にある、あまり人に知られていない桜の情報を教えてくれた。

俺は、礼を言って、その場を離れたのだった。




引っ越しは、大きなトラブルもなく終わったらしい。

光華が、わざわざ伝えに来たのは、ゼミの勧誘が主な目的だからだ。


「近所の子供も来なくなったんですか?」

「事故はやっぱり嫌だってことで、地域の回覧板と幼稚園と校区の学校に掲載と注意をお願いしてたんだ。『不法侵入』で法的処置も考えています、の文言付きで。」

「法的処置の言葉が効いたってことですか?」

「どうも、大きい子たちは、自転車でさらに遠くの公園まで行くようになったみたい。自転車に乗れない子は取り残されちゃったみたいだけど。小さい子だけでは、敷地内に入ってこないみたい。何か可哀想なんだけど……。」


そうは言っても、事故が起きたら困るのは、皆同じ。

近所の児童公園が、本来の目的に合った場所になってくれるのが望ましいのだろうが、高齢者相手は面倒な事も多い。それは、バイトで経験済みだ。


「ところで、ゼミのことなんだけど。」

「すみません、あの、もう履修届提出しちゃったんで……。」

「えぇ? 三笠教授のゼミ?」

「いえ、赤城教授のゼミの方です。」


結局、最終的には、勘に頼ったのだ。

今やEUとかになっている地域だ。国別の歴史というのが、どことなくしっくりこなかった。

広く欧州を文化交流史的な観点で見られたら、面白そうな気がする。

それに加えて、話してみて、なんとなく、赤城教授とはうまくいきそうな感じがした。


「まぁ、それらしい事言ってたもんね。しょうがないか。」

「そういう事です。」

「あぁ、宮野君がうちのゼミに入ってくれたら便利だったのに……。」


……便利。まぁ、そういう事だろうとは思ってました。俺は、苦笑いするしかなかった。

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