豆腐じゃ脳内麻薬が出ねぇ
次の日、朝からサーリァがダンの家に食材を持ってやってきた。
「ど、どうされたのですか!? お二人とも!」
サーリァが驚いた声を出したのは、ダンとミリアが取っ組み合いの喧嘩をしていたからである。
「こいつが! 俺の二郎スープとチャーシューを捨てやがったんだ!」
「ダンが夜中にこそこそ二郎を食べるからじゃろう! せっかくのダイエットが水の泡じゃ!」
190センチのデブと十歳の見た目の少女なのに互角に戦えているのは、ダンが手加減しているからか、それともミリアがドラゴンだからか。
「あら、ダン様。それはミリア様が正しいですわよ。夜中にカロリーをとるなんていちばんの禁忌ですわ。就寝の六時間前には食事を終える、これはダイエットの常識です」
ニコニコしながらダンにとってはとんでもなく非道なことを告げてきたサーリァは、二日目にして勝手知ったるというふうに台所へと消えていく。
そして出てきたのは……野菜ジュースとサラダとゆで卵三つ。
「えっ、こ、これだけ……?」
「はい。では、命に感謝をしていただきましょうか」
絶句するダンをよそに、サーリァは目をつむり、神に祈りを捧げ始める。
そして夕方――また家にやってきたサーリァが作ってくれたのは、豆腐グラタン。
「げっ、限界だ!」
三食目にして早くもダンは音を上げた。
「二郎を、俺に二郎を摂取させてくれぇ!!!」
気でも狂ったかのようにテーブルに頭を打ち付け、絶叫するダン。顎についた肉がぶるんぶるんと波打っている。
「ど、どうしましょうミリア様。ダン様がおかしくなってしまわれました」
「慌てるなサーリァ。麻薬中毒者が発作を起こしたら落ち着いて対応すべしと本に書いてあったぞ」
「ええっ、ダン様は中毒者なのですか!?」
「そうじゃ……麻薬よりももっと恐ろしいもののな……」
驚愕の新事実に真っ青になるサーリァ。もしや激太りは麻薬のせい……? 英雄剣士様がそんなことになっていたなんて……と、床に転がってのたうちまわるダンを見て涙ぐむ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
二郎禁断症状で過呼吸を起こしそうになっているダンが、床を這いずってベッドまで行く。
「も、もう駄目だ……あれを使うしかねぇ……」
そう言って、ダンが枕の下から取り出したのは一枚のタオル。
だが、真っ白いそれは端の方が一部分だけ薄茶色に変化している。
それを鼻に強く押しあて、思い切り吸い込むダン。
「ああー……二郎……逢いたかった……逢いたかったぜぇぇ……」
だんだんと震えがおさまり、恍惚とした表情を浮かべるダン。
それを二人は異様なものを見る目で見つめる。
「あ、あれはまさか二郎スープを浸みこませたタオル!? どおりでスープを捨てたはずなのに部屋がくさいと思ったんじゃ!」
「ああ、なんてお姿……英雄剣士様が見る影もない……」
口元を覆ったサーリァの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「わたくしの力が足りないばかりにこんなことに……! わたくし、恥ずかしいです。修行し直してまいります…!」
そう言ってサーリァは家を出て行った。
その夜、ダンは熱を出した。
今まで風邪一つ引いたことがないのに、ちょっと二郎を取り上げただけでこうである。確かに二郎は完全食と言われるほど滋養強壮にいいが、ダンの依存ぶりはひどすぎる。
ベッドに寝て、熱にうなされうんうん唸るダン。ミリアがしょんぼりと眉を下げてそれを見守る。
「ダン……死ぬのか?」
「ミリアぁ……後生だから二郎を……」
「だめだ、ダンの身体はもう限界じゃ。隠してあった健康診断の結果を見たんじゃ」
「くそ、用心してキッチンの棚の奥にしまってたのに……」
健康診断の結果の用紙は捨てようとも思ったのだが、一応自分への戒めとしてとっておくことにしたのだ。まぁ、次の日からも普通に二郎ラーメンを食べていたので全然戒められてはいなかったが。
ミリアがベッドの端に小さな手を置いて、その上に顔をのせてダンを見つめる。
「ダンが死んだらみりあも死ぬ」
その緑色の大きな瞳にはいっぱいに涙がたまっている。
「馬鹿野郎、ドラゴン族はすんごい寿命が長いんだろ。自殺は痛いぞぉ~。薬使うのも苦しいし……もうクッキーも食べられなくなる」
「みりあは自殺するんじゃない。寂しくて死んでしまうのじゃ」
「……お前はほんとにさみしんぼだなぁ」
ミリアは一度親ドラゴンを亡くしている。ダンはミリアの親代わりで、たったひとりの仲間なのだ。
二郎ラーメンの魅力にとりつかれ、身体を壊しそうになっても反省できなかったダンだが、ミリアのことを思ってようやく決心がついた。
――ダイエットしよう。死なない程度に。
「ほら、ミリアこっちこい。ドラゴン族には人間の風邪はうつんねぇからな」
ダンが布団をあげると、ミリアはぴょんと跳ねてその中にもぐりこんでくる。だが、何を思ったか一度布団から出ていき、本棚から一冊取り出してたたたっと走って戻ってきた。
「ダン、これ読んで」
「本? おまえなぁ、病人に甘えるんじゃねぇよ。……ああ、これか。お前この話好きだよなぁ」
ミリアが差し出したのはそれは古代語で書かれた本。とある勇者の冒険譚らしいが、作者は不明である。そもそも古代語なんて現在の人類で読み書きできるものはほとんどいない。
だが、ダンはミリアと暮らすうちにいつのまにか古代語をマスターしていた。
「えーと、はるか一万年の昔、森の奥の神殿にある秘石を求め、冒険者たちは旅だった――」
そうして夜は更けていった。
次の日。
朝飯を作りに来たサーリァにダンがある提案をした。
「考えたんだが――あんたの作ってくれるメシは確かにヘルシーだが、ちぃと女向けすぎる。男は筋肉があってナンボ。ただ痩せただけじゃ力が出ないと思うんだ」
「わ、わたくし、その観点を持っていませんでしたわ……」
「だから、筋肉料理を習いに行くぞ。――街一番のマッチョのところに」
そうして、三人はマッチョメンの元へ向かうことになった。