1話 二郎に取り憑かれた英雄
――ギャオオオオオン!!!
陽の光の届かない暗い森に、魔獣の断末魔が響き渡る。
紫色の血の海にたたずむのは、巨剣を携えた精悍な剣士――ではなく、樽のような体型の大男。
「よっしゃ。一丁上がりだな。ミリア、さっさと血抜きして家に運ぶぞー」
剣士・ダンがそう言うと、傍に控えていた少女が口をへの字に曲げる。
一見、十歳ぐらいの子供に見えるこの少女――ミリアは、今や絶滅寸前のドラゴン族。黄金に輝く長い髪と、大きな緑色の瞳のなかの縦長の瞳孔、そして背中の小さな羽と尻尾がその証拠である。
「うう……ダン、これをまた全部チャーシューにするのか……?」
「当たり前だろ。そのためにこの脂身と紫身の配分がちょうどチャーシューにぴったりな魔獣を倒しにこの<叫びの森>までやってきたんだから」
「もうやだ……みりあは他のものが食べたい……」
「つべこべ言わず! とっととやる!」
ミリアは白いワンピースの裾をにぎにぎしてぐずっていたが、観念してダンとともに魔獣の血抜きを開始する。
「はぁ、今からよだれが出るぜ。待ってろよ、俺のニンニクアブラマシマシラーメン!」
ダンはたぷたぷの腹を揺らしながら嬉々として雄たけびをあげた。
「ハフッハフッ、ズズッ……くうう、この一口が脳みそを痺れさせるぜぇー!」
首都のはずれにある小さな木組みの家にて。
臭み消しのネギとともに三時間煮込んだ魔獣のチャーシューをのせた二郎系ラーメンをすすり、額に汗を浮かべ、至福の極みといった表情でうなるダン。
一方、テーブルの向かい側に座るミリアはどんよりと沈んだ表情だ。
「もう半年ずっと毎食二郎ラーメン……みりあはもう限界じゃ……他のものが食べたい……」
「何言ってんだ。二郎は最高の贅沢だろうが」
「こんなのは虐待だ! みりあは断固抗議する!」
「だからお前のはニンニクアブラヌキヤサイマシ麺少なめにしてやってるだろー?」
ミリアの前にある丼には茹でたキャベツともやしがこんもり乗っている。魔獣のチャーシューは一切れ程度だ。
「ダン、おまえ……何キロ太った?」
「んあ? 体重計載ってないからわからんけど、三十キロくらいかなぁ」
「かなぁ、じゃない! 三十キロなんて、みりあ一匹分だぞ! 大問題じゃ!」
話の途中でも麺をすすることをやめない、でっぷり太ったダンを見て、ミリアが大きな瞳にうるうると涙をためる。
「みりあの知ってるダンは精悍な剣士だった。それなのに二郎系ラーメンを食べだしてからおかしくなった! 昔は北の魔王を倒すためにミッションをこなしたりダンジョン攻略したりしてたのに、今じゃチャーシューの材料にぴったりな魔獣しか倒さないしずっと家でラーメンつくってる! ダンはラーメンの呪いにとりつかれたんじゃ!」
「呪い……確かにそうかもしれねぇな……」
ダンは回想する。
あれは半年前、森で魔獣に襲われそうになっている女性を助けたときのこと。
「あ、ありがとうございます……」
魔獣を一撃で倒したダンを見上げ、涙ながらに感謝を口にしたその女性は妖艶な美女で――とんでもなくおっぱいがデカかった。
頭からつまさきまでを黒いマントで覆っているのに、なぜか胸だけは無防備にも小さな胸当てで隠すだけで、惜しみなく晒している。しかもそのおっぱいが、メロンどころかパイナップルぐらいデカい。ぶりんぶりんである。
「わたくしはアザレアと申します。このお礼をさせてください」
「いや、礼など結構。人助けも剣士の務めだ」
その頃は痩せていたダンは、キリッとした表情を作ってそう言ったが、実際は「お礼ってなんだろ。一晩お好きになさってくださいってか? やべぇーつーかおっぱいバカでけぇー」などと心の中では鼻血とよだれを垂らしていた。
「いいえ、それではこちらの気がすみません。お礼は……わたくしの家でいたします」
アザレアがぽっと頬を染めて言う。
――キタコレ!!!!!
ダンは心の中で拳を天高く突き上げ、アザレアについていった。
そこで待ち受けていたのはめくるめく一夜のアバンチュール――ではなく。
「これがわたくしのお礼、二郎ラーメンでございます」
一杯のニンニクアブラマシマシラーメン。
――これがダンの運命を狂わせることになった。
「もう今じゃこのラーメンのことしか考えられねぇ。なにせちょっとニンニクの比率を変えるだけ、アブラの量を変えるだけ、麺のカタさを変えるだけで全然違う味に変化する。全然飽きない。このダンジョン、一生攻略できる気がしねぇ。まるで魔法――神秘だ、神秘」
「みりあはもう限界じゃ! このままじゃ死んでしまう!」
「何言ってんだ、ドラゴン族がそう簡単に死ぬわけねぇだろ」
ミリアとの出会いは三年前のこと。
あるミッションの途中で瀕死の親ドラゴンと出会い、色々あってダンがミリアの面倒をみることになった。
こう見えて500歳だが、長寿のドラゴンにとってはまだまだ子供。普段は人間の姿をとっていて、十歳程度の少女の見た目である。
二十歳のダンにとってはかわいい妹――いや、娘のような存在だ。
「フーッ、今日の二郎もウんマかったなぁ。だけどまだまだ改良の余地がありそうだぞ。明日は……」
ぶつぶつ一人でなにやら喋っているダン。
あの日アザレアがレシピを教えてくれた二郎ラーメン。遠い遠い異国にある「二郎」という店の名物らしいのだが、いかんせんこの国にはそもそもラーメンという食べ物自体存在しない。
なのでダンはスープ作りから麺打ちまですべて自分で行っている。教えられたレシピと自分の舌だけを信じ、ひたすら究極の一杯への道を邁進しているのだ。
「ああ、最近二郎を食べた後はなんだか眠くなるんだよな……ミリア……俺ちょっと寝るからどんぶり片づけといてくれぇ……」
「みりあはやらん! どんぶりについたアブラが洗っても洗っても落ちない! だいっきらいじゃ!」
尻尾をぶんぶん振って怒るミリア。
「なんじゃこの腹は! たぶたぶしてやる!」
「おい、やめろよぉ……むにゃむにゃ……」
ベッドに仰向けに寝転がったダンの横に座り、でっぷり膨れ上がった腹をたぷたぷするミリア。
それを尻目に、二郎で血糖値爆上がりのダンは気絶するように夢の世界に堕ちていった。