第5話 女神さまの魔法授業
桐生光佑と鬼子姫は羽虫の鳴き声が響き渡る森の中をゆっくりと歩いている。
村を救ってくれたお礼として金貨を差し出されたが鬼子姫は断り、代わりに他の転生者の情報を求めた。
今はその情報の中にあった森の中で悪さをしている転生者を目指して二人で向かっている所だった。
出発の時間が遅かったこともあってか既に日も落ちかけ、緑々しい森林を赤く染めている。
「……すっかり遅くなっちゃいましたね」
「だって鬼子姫さまがトイレ休憩ばっか挟むからさー そんなにトイレ行きたいならもう一泊すればよかったのに」
「トイレトイレ言わないで下さい! 光佑さんの国の人は空気を読むのが長所じゃないのですか!」
「それは人によるというか。それでお腹の調子は良くなったの? これ村の人からもらった胃腸薬」
「うぅ優しさが沁みます……。昨日よりかは多少良くなりました。もう絶対魔物の生食はしませんっ」
「それならいいけど宿着く前にお腹痛くなったらその辺の草むらとかで──」
「し・ま・せ・ん・か・らッ!!」
鬼子姫はプリプリと怒って先に言ってしまい、光佑は苦笑した。
人一人を殺したと思えないほどに彼女の表情は豊かだ。
光佑はずっとこれからのことを考えていた。
このまま鬼子姫との旅を続けていけばまた自分と同じ転生者と戦うことになるだろう。
そうなったらこの前みたいに光佑は戦えるのか。
きっと無理だろうと思う。
誰かを殺すための戦いなんて普通に生きてきた自分には無理だと。
そもそも鬼子姫という神が本当に正しい行いをしてるとはどうにも信じられない。
(二人旅もここまでかな……)
光佑がどう別れるか考えていると鬼子姫は夕食にしようと手頃な岩場に腰掛けた。
たしかにすっかり日が暮れ、空腹のせいか腹がぐーぐーと鳴っている。
「食料を買っておいて正解でしたね。女神お手製スープでも作りましょうか」
どさどさと野菜や食料を取り出して草茎で織ったシートの上に並べる。
それらを光佑はナイフで手頃な大きさに切っていく。
「ああこれじゃ火がいるか。ちょっと手頃な石でも探してくるよ」
「その必要はありませんよ」
「えっマッチでも持ってるとか?」
「もうっ現代っ子はダメですね。ここがどういう世界かその目でご覧になってください」
鬼子姫が指をパチンと鳴らす。
すると瞬く間にボワっと火が上がった。
火の気も何もないところに現れた魔法による炎は光佑のいた世界ではありえないものだ。
せっかく異世界に来たのだから魔法の一つくらいは使ってみたいと彼は羨ましがった。
「……すごいな。俺も使えたりするのかな」
「うーん。今の光佑さんは魔力値が低いので上級魔法は難しいでしょうが、基本魔法くらいなら覚えられるでしょう」
「ほんと! あっでもこんなことしてる暇ないか」
光佑は転生者を殺すためだけに鬼子姫に召喚されている。
彼女ほどの魔法でさえ通じるかもわからないのに自分が魔法を覚えたところで役に立つ訳がない。
だから光佑は鬼子姫にそんな無駄なことをしてる時間はないと怒られると思った。
しかし返答は「構いません! 是非やってみましょう」と即答だった。
「そういわれるとは思わなかったよ。てっきり怒られるのかと」
「だって光佑さんは魔法のある世界って初めてでしょう? わくわくしませんかこういうの──」
まるで同じ趣味を持った仲間を見つけた時のようにニコニコと鬼子姫は喜んでる。
そんな表情を見ていたら光佑は自然に魔法の訓練を受け入れていた。
ちなみに期待していた女神特製スープは野菜を煮込みすぎてドロドロのぐずぐずという代物だった。
鬼子姫はあまり料理が上手くないのかもしれない。
機会があれば今度は自分が料理を振る舞おうと決意した光佑をよそに魔法の授業が始まる。
「そうですね、光佑さんにはその前に少し魔法のことについてお話ししましょうか」
そういって鬼子姫は中指と人差し指を重ね、「パラメータオープン!」と唱える。
すると空間に半透明の石板のようなものが現れ、文字が次々と浮き出た。
石板の上部には鬼子姫という名前が書かれ、上からステータス、スキル名、魔法名とびっしりと書かれている。
「これはワタシさまの性能を女神の力で可視化したものです」
「へえ、女神さまって体重五十六キロかあ、意外と重いんだな」
「ちょっと待って! そんな数値ないはずです! ……ありませんよね?」
慌てて自身のパラメータを確認する鬼子姫。
「まったくもう……それはワタシさまの習得している魔法の数です。話を戻しますが少し前までこの世界でいう魔法とは魔力をエネルギーの塊としてそのまま相手にぶつけるくらいのものでした 」
「それってどのくらいの威力の?」
「ええと、一般的な人が行使した場合、成人男性のパンチ一発分くらいの威力はあるかと思います。基本的には女性の方が魔力が強い傾向にあるので護身用としての価値くらいはあったと記憶していますね」
たしかに肉体で代用できる程度のものならば、武具を使った方が有効で護身用程度の扱いになるのも納得だろうと光佑は思う。
「しかし魔力の扱いに特化した転生者が出現したことで魔法の扱いは大きく変わりました。その転生者は魔力を火や風などに代替する法則を次々と編み出し、体系化させていきました。それから世界の人々は自身の才能にあった魔法を選択し、習得することが可能になったのです」
「それはいいことなのかな」
「どうでしょう? そのおかげでワタシさまはこうして戦えていますが個人が力を持つとそれだけ出来ることは増えますからね。功罪相半ばするといったところでしょうか」
それ自体は光佑の世界と一緒だ。仮に自分の世界で魔法が使えるようになったとしてそれで世の中が良くなるかと言われたら半々だろう。
生活を便利にすることは出来ても魔法による犯罪は無くすことは出来ないはずだと彼は思った。
鬼子姫は自身のパラメータの魔法名が記載されている欄をとんとんと指さした。
ずらっと五十六個もの魔法名が記載されていて、その全てが漢字二から四文字にカタカナで英名のような読み仮名が振られている。
「これがワタシさまの使える魔法の一覧です。光佑さんにもいくつか使えるものもあるでしょう」
「魔法を使うにはどうしたらいいの? なんか呪文とかあるでしょ」
「別にながーい呪文ですとか前口上は必要ありません、その魔法を発動できる才と力があればその呪文の名前を呟くだけで発動できます」
「でも法則なら最低でも呪文とか必要なんじゃないの? 技名だけでいいって」
「それはこの魔法を生み出した転生者がそう書き換えたからでしょうね」
「書き換えたって何を?」
いくら規格外のスキルを持っていたって流石に術者その者を遠くから補助できるとは光佑には思えない。
「世界の摂理をです。木から林檎が落ちるように言葉一つで魔法は放つことができるようこの転生者は調整したんでしょうね」
「は…………」
スケールがあまりにも大きすぎて光佑は言葉が出なかった。そんなことまで転生者の力は可能なのかと光佑は思う。
「そうですね……光佑さんには『球火』の魔法なんかいいんじゃないでしょうか」
「なんかあんまりかっこよくないなあ。個人的にはこの『神火御柱』みたいな強そうなのがいいかなあ」
「その魔法は相当魔法の練習をして、魔力値をあげないと使えませんよ。言い忘れてましたが漢字二文字の魔法が初級魔法、三文字が中級、四文字が上級だと覚えておいてください。とにかく初級呪文じゃないと光佑さんは魔法を撃てませんからね」
「なんかこれを作った人結構大雑把なんだね」
「それワタシさまも思いました。この世界の人には馴染みない文字なんでこれでも神秘性は保たれるんでしょうけど……」
光佑は鬼子姫の言う通りに『球火』の魔法を使うことにした。
右手を掲げ、女神に危険がない範囲まで距離をとる。
これは光佑が二十数年生きて初めて行う魔法の行使。
夢に見たゲームの登場人物さながらの行為に胸が高揚した。
呪文の代わりとしての魔法名をゆっくりと噛み締めるように紡ぐ。
「球火!」
ポンと光佑の手のひらから出たのはハンドボールほどの大きさの白黄色の火の玉。
それはふよふよとシャボン玉のように漂ったあと、木の幹に当たった。
弾けるように閃光が溢れ、二人の視力を奪う。
しばらくたって視力が回復したあと、魔法の痕跡を見たが魔法が直撃したにもかかわらずその樹木は燃えることもなく、傷もついていなかった。
あまりの威力のなさに鬼子姫は言葉を失った。
「…………」
「まー最初はこんなものですよ! ここから鍛えて威力やコントロールを上げていくのが基本なんですから」
「おおおお!!!! で、でたあああ!! 鬼子姫さまいまのみたみた!? いや~なんていうか初めて異世界来てよかったと思ったよ!」
「……杞憂だったようですね。そうでした、貴方は優しい人だから」
「なんかいった?」
「いいえ、あなたを選んでよかったと思いまして。さあ休憩もここまでに先を急ぎましょうか。もう少しで村に着くと思いますので」