第3話 最初のヤカⅡ
鬼子姫は桐生光佑と別れたあと、首謀者である転生者を探しに村の中心へと来ていた。
転生者を探すのにそう苦労はかからなかった。
村を壊滅させるまでの強い敵意。
その様を見届けられる場所にいるのは自明だったからだ。
転生者はこの村長の家の屋根の上で村人が逃げ惑う様を眺めていた。
年は高校生くらい。服装は青みがかった鎧を着用している。
その瞳は憎悪に濡れていて、村人たちへの容赦はない。
「高みの見物ですか。随分といい身分ですね」
浮遊魔法で転生者の目の前へと降り立った鬼子姫は敵意の言葉を投げかけた。
「なんだお前は?」
「異世界の人間がこの世界の者たちに危害を加えるのを止めるためにやってきた、いわば警察みたいなものですよ」
「この村の連中はな転生者であるこの雅人さまを余所者と邪険に扱ったんだよ。こうなってもしょうがねえと思わねえかな」
「それでこの村を滅ぼそうと? あなたの世界では大量殺人って重罪ですよね」
「命の価値は等価じゃない。それくらいはわかんだろ」
太々しい男の発言に鬼子姫の瞳が刃のようにギラリと鋭くなる。
「──そうですね。そして貴方の命がこの村の者よりも高いとは限らない」
「ああ、お前俺と似たような匂いを感じるぜ。そうか……お前が転生者殺しの」
二人の間で交わされる視線は殺意となって双方に突き刺さった。
「魔獣使い阿久津雅人。その生命、あるべき場所に還りなさい!」
「ハハハっ、……できるもんならやってみやがれ!」
阿久津の号令とともに周辺の森に生息する鳥の群れが鬼子姫に敵意をもって襲いかかる。
「固定魔法」
魔法によって動きを封じられた鳥達は鬼子姫に爪を突き立てる前にばたばたと地に落ちていく。
そして中指と人差し指を合わせ、阿久津に向けた。
「炎弾!」
鬼子姫の指から発射された無数の炎の弾丸が阿久津へと降り注ぎ、破裂音とともに黒煙に包まれた。
炎魔法の一つである『炎弾』は威力よりも取り回しの良さに重きを置いている魔法だが彼女のものは一発一発が鉄をも砕く威力を誇る。
しかし黒煙が晴れ、鬼子姫は唇を噛んだ。阿久津はまったくの無傷だったからだ。
答え合わせをするかのように鎧の胸の部分に目玉が浮かび上がり、女神を睨みつける。
(まさか、この鎧も魔物なの!)
「無駄だ。こいつは並の魔法じゃ傷すらつかねえんだ」
この世界に訪れる転生者の多くは何十年も研鑽を積んだ冒険者や王都直属の騎士団を赤子扱いにできるほどのチートスキルを手に入れている。
阿久津雅人も例外ではなく『魔心掌握』というスキルを持っていた。
一般の魔獣使いは魔物を一体使役することが限界であるが阿久津という男はいくらでも魔物を使役できる上に、魔物の上限すらない。
その気になれば大地を揺らし、一息で街を消すことができるドラゴンでさえも操ることができるだろう。
鬼子姫の肌が空気を裂く気配を感じとる。
空にふわふわと浮いている彼女めがけ、何らかの生命体が迫っていた。
取り乱すこともなく、先ほどと同じ炎弾の呪文を唱え、接近してくる物体に掃射する。
しかし超高速で空を駆ける物体を捉えることは至難である。
繰り出した火の球は当たることはなく空に溶けていき、それは鬼子姫の右腕を掠め、阿久津の隣に降り立った。
その魔物を見て目を見張った。
マグマのごとき輝きを放つ赤羽に黒水晶のように深く沈んだ色をしている瞳。
──魔物の名前は怪鳥ヴァドス。
ヴァドスは体内に熱機関を内包しており、そこからの生成エネルギーを利用して、超加速を可能とする魔物である。
さながらジェット機といった様子で獲物を捉える際には瞬間的に音速を超える速度を持つという。
鬼子姫が魔法でヴァドスを多少なりともずらしていなかった場合、その強靱な鉤爪によって頭をもぎ取られていたことだろう。
(魔王が滅びた今ここまで強力な魔物、そうはいないはずだけど……)
「あの生意気な女を食ってやれ」
阿久津の指示によってヴァドスは標的を鬼子姫に見据えた。
彼女は距離をとりながら、炎弾の魔法を唱える。
怪鳥はそれを自身の羽を撃ち出して叩き落す。
空中を縦横無尽に駆け巡りながら攻撃し合うドッグファイトは次第に熾烈さを増していく。
「陽炎輪!」
鬼子姫の身体から発した無数の炎の鎖がヴァドスを包むもその速度を前に簡単に振りぬかれる。
「俺の魔物に勝てるわけねえんだ」
「それは……どうですかね」
鬼子姫はがむしゃらにヴァドスから逃げ回っているわけではなく、一つの考えがあった。
その考えに阿久津が気付いた頃には女神は彼の背後でヴァドスを迎え撃つ形となっていた。
「俺を盾にしようと無駄だ。コイツは絶対に俺を傷つけないように命令してある」
最高速度にまで迫っていたヴァドスは阿久津を傷つけないようにローリング。
その後、側面から鬼子姫に向けて急加速した。
無防備な彼女の首元に怪鳥の湾曲した鋭い爪が迫る。
しかし鬼子姫は口元に笑みを浮かべていた。
そして次の瞬間、怪鳥の体内は空気を入れすぎた風船のようにボンと破裂した。
「な、何だとッ……!」
「多くの……魔物使いの弱点は使役する魔物の限界を知らないということです。スキルで言うことを聞かせてるだけですからね」
怪鳥ヴァドスはエネルギーを生成する際に体内が膨張するために通常は臀部にある排熱機関によって熱を放出している。
だが生物である以上それにも限界があり、鬼子姫の炎魔法で高温状態を保ったまま阿久津の命令通り急加速を繰り返した結果破裂してしまったのだ。
しかし彼女自身も至近距離で衝撃を受けたために身体の節々から煙が上がっている。
『回復魔法』によって見た目は治癒できているように見えるが内部へのダメージは依然残ったままだ。
「お前。イカれてるな」
「それはどうも」
ここまでやって阿久津にはかすり傷程度のダメージすら与えられていない。
(やっぱり、転生者を倒すには卓越した個の力が必要……)
「あーうっとおしい女だ。とっておきを出してやるか」
「とっておき……?」
阿久津が指をパチンと鳴らす。
まず最初に地面が揺れた。
それから地面を割いて闇のように黒い泥が湧き出でると建物も何もかもを呑み込んでいく。
辺りの建物を根こそぎ平らげた後、それは鬼子姫に破滅を与えるかのごとく現れた。
それは汚泥をぶちまけたかのように真っ黒な巨人だった。
ぎょろりと赤色に光る一つ目が開くとそれが合図のように全身から細長い針のような触手がうねうねと周囲を伺うように蠢めいた。
鬼子姫がぴりぴりと感じてる悪寒を何倍にも膨がらせる。
巨人から出でる肉の腐ったような匂いが辺りに充満し、思わず鼻を手で覆う。
「一体……この生物はなんなのですか」
この生命体が何なのかは分からないが阿久津の能力から魔物であることは確かなようだ。
神様である鬼子姫が把握していない魔物というのはつまるところ──。
「こいつは特別製だ。この世界とは異なる世界の魔神でね、転移してきたところを操って僕とした」
「この世界の生物ですらないものを使役できるなんて。ほんと、チートもいいとこですね」
未知数の魔物を前に鬼子姫は吐き捨てるように悪態をつくことしか出来なかったが、その態度を見て阿久津はおもちゃ遊びつくしたと思っていたゲームにまだ隠しルートが存在したかのような喜びの表情を浮かべた。
「ククっ……余裕そうだな。お前の後ろを見てもその態度が持つかな」
後ろに気配を感じて鬼子姫が振り向くとそこには魔物の血に塗れた剣や斧を持った村人たちがかけよって来るのが見えた。
「なんだこの魔物は!」
「こいつが俺たちの村を!」
「俺の魔物たちを使ってな。ここに来るように誘導させてみたんだ」
村人たちは怒りに身を任せ、魔神に攻撃しようとしている。
それは鬼子姫には自殺行為に見えた。
「来ては駄目っ!」
しかし鬼子姫の声は届くことはなく、魔神の全身から伸びた触手が一瞬にして村人たちを貫いた。
村人たちは自身に起こったことを理解する間も無くバラバラにされ、地面に散らばる。
「っ……! このっ!」
それを見た鬼子姫は激昂して魔法を放つ。
撃ち出した雷の槍は触手を焼いて、魔神を射程圏内に捉える。
だが雷の魔法は魔神に届くことはなく、その場から跡形もなくかき消えた。
(そんな! もう魔力が……)
「残念。あんだけ魔法をうってりゃ流石にガス欠だよなあ」
阿久津は鼻で笑い、魔神に鬼子姫を捕まえろと指示を出した。
抵抗できるはずもなく彼女の四肢は触手によって拘束され、空中で身動きのできない体制にさせられた。
「く、うう……」
身体に跡が残るほどにきつく締め上げられて鬼子姫は苦悶の声をあげる。
阿久津はそれを見て満足そうにすると自分の目の前まで彼女を引き寄せた。
「お前、なかなかいい顔をしていたし、洗脳用の魔物を使って奴隷として飼うのもいいかもな」
阿久津の言葉に返すこともなく鬼子姫は俯いていた。
それを観念したと捉えたのか男は高笑いする。
ようやく笑い声が収まった時、やっと阿久津はその音に気づいた。
ぐちゃりぐちゃり──。
それは肉をすり潰したような不快な音だった。
思わず阿久津は鬼子姫の髪を引っ張り無理矢理顔を見張る。
彼女は一心不乱に触手を食べていた。
口元から赤い魔物の体液が垂れ、服を汚していることも気にせず、噛み千切り、呑み込んだ。
「……まずい。けど流石にとっておきなだけありますね。こんな触手にすら高純度の魔力が宿ってる」
「な……! お前、正気か!」
どこの世界から来たのかも分からない未知の生物を躊躇いもなく食すなど普通はありえない。
常人では衛生面を考える前に嫌悪感で吐き出してしまうことになるだろう。
しかし鬼子姫は触手を糧とした。
ヤカを倒すための手段として絶対の覚悟を持って。
阿久津が気づいたときには、既に鬼子姫は起死回生の一撃を放っていた。
女神の持ちうる中でも有数の必殺となる呪文を。
「全天滅光!」
鬼子姫の手のひらから必滅の粒子がすべてを焼き尽くすように躍り出る。
そして天からの裁きとも思うべき光は魔神の半身をも消し飛ばした。
咄嗟に退いた阿久津も無傷ではなく、焼かれた左の顔面を手で押さえている。
呻きながら男は叫ぶ。
「やれッ! その女を八つ裂きにしろ!」
阿久津の号令で巨人が鬼子姫にゆっくりと近づく。
彼女の魔法で失ったはずの半身は何事もなかったかのように既に再生していた。
「もう復活したというの……!」
そして人の身体など容易く両断するほどの切れ味を誇る無数の触手が鬼子姫に襲い掛かる。
動きを見切って避けるがあまりにも手数が違いすぎた。
(駄目──! 捌ききれない!!)
一瞬の隙をついて触手が首を撥ねようと迫り──。
「どうやら、間に合ったみたいだ」
触手は空を切り、鬼子姫は誰かに抱きかかえられているような奇妙な浮遊感に覆われた。
そして彼女が見上げると自身が呼び出した青年、桐生光佑がそこにいた。