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江戸消失  作者: 輝井永澄
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第4話 箱根関の巫女(2)

 芳乃は右の手に鈴を持ち、両腕を開いて静かに立つ。人々はその周囲を遠巻きにし、固唾を飲んだ。先ほどまでの喧噪が嘘のように、芳乃を中心とした空間に突然、静けさが舞い降りたようだった。



 ――リン



 鈴の音が鳴る。それと共に、芳乃がゆっくりとその場で回る。身体の軸が一切ブレないその綺麗な動きに、新之助は思わずほう、と声を漏らした。武芸であれば相当な域の達者だといえる。水の上で舞ったとしても、波紋すら立たず、風さえもこの舞いは避けて通るのではないか――そう思わせるほどに、その舞いは静かだった。そして合間に挟まれる鈴の音が、静かな舞いに雷鳴の如きいろどりを添える。


 舞いは徐々に激しくなっていった。その腕が、首が、左右に激しく律動する。足が大地を蹴り、巫女服の裾が流れる水のようにたなびく。それでいて、飽くまでもその周囲は空気が凪いだように静かだった。まるで、世界にわずかなさざ波さえも起こすことを拒むような、そんな孤独な舞い。



(ああして「未来を見る」というわけか)



 虚ろになる芳乃の目を見ながら、新之助は思う――この手の神懸りな託宣など信じてはいない。それでもその舞いには、確かに惹き付けられるものがあった。


 大仰な装いと神懸った雰囲気で人の注目を集め、その裏で別の仕掛けを講じるというのは、しのびがよくやる術だと聞く。幻術に長けたものは、自分自身もそれを心の底から信じ込むことにより、それを一個の真実として世に顕現させるというが――


 舞いは益々激しくなった。芳乃の手足はもはや、人のものとも思えない角度となり、別個の生き物の如くうねり躍動する。目の奥で瞳孔が開き、この世界のさらに奥の光を求めて彷徨う。それが幻術などとは違うことを、新之助は確信した。少なくとも、誰かを騙したり幻惑するためのものではない。なぜならそれは周囲への発露を拒み続け、飽くまでも自らの内へと向かい続けていたからだ。



 ――リン



 鈴の音が涼やかに鳴り、空気を晴れやかに染めた。その音と共に舞いは途絶え、芳乃はその場でうずくまるようにして動きを止めていた。


 芳乃がその顔を上げる。蒼くなった肌に玉のような汗が光り、先ほどまでは乱れているようにも見えなかった呼吸が、今は激しく乱れていた。



「……そびえる雲を背に、高く燃え上がる炎が見えました……」



 芳乃は絞り出すような声を出す。



「炎は木を土と成し、石を鉄と成します。大地は炎によってその姿を変え、人は炎に魅入られて狂い踊る。焼かれながら義を叫び、踊り続け……そして焼け落ちた大地の混沌の中から、王が立ち上がる……」



(王……?)



 新之助は訝しんだ。日本ひのもとで王といえば天皇のことだが――?


 芳乃の言葉は続く。



「王が立ったとき、雲は晴れ太陽が姿を現します。焼けた大地から草が芽吹き、民はその先へ歩んでゆくのでしょう」



 芳乃のはそこで口を閉ざた。周囲に集まった人々がざわめき始める。



「炎ってのはなんなんだ? いくさが起こるってことかい?」


「結局江戸はどうなるってんだ。焼け落ちるってのか」


「へぇ、好都合じゃねぇか。今の幕府がなくなって新たな時代が来るってことなら、俺らの暮らしも少しぁよくなるだろうさ」


「なに言ってんだ、戦なんかになったら殺されるか、田畑が荒らされて飢え死ぬか、どっちかだぜ」


「巫女だかなんだか知らねぇが、そんな与太話が宛てになるもんかぃ。馬鹿馬鹿しい」



 口々に言う声の中で、芳乃は立ち上がって汗を拭った。元の少女の姿に突然戻ったかのようだ。その前で農夫たちが手を合わせる。彼らのその姿は敬虔だったが、不安に眼を泳がせるのは隠しきれない。


 芳乃は静かに礼をして、お糸たちの元へと戻った。その姿があまりにも自然だったので、人々はもはや、芳乃がいたことを忘れたかのように三々五々と騒いでいた。



「あの女……不吉なことを申しおって……!」



 ただでさえ三白眼の彦右衛門が、その目をさらに怒らせ進み出ようとするのを、新之助は止めた。



「待て彦右衛門。巫女の託宣など真に受けんでよい」


「新之助様! しかし、幕府を害するような物言いを放っておくわけには……」


「今の私たちはただの浪人だ。なにもできはすまい」



 彦右衛門は言葉に詰まり、黙り込んだ。新之助はふと、自分の放った言葉に引っ掛かりを覚える。今は浪人風の姿で世を忍び、旅をしているが――もし、幕府になにごとかあったのなら、それは「世を忍ぶ仮の姿」のままでいられるだろうか。


 だとすれば、自分の立場はあの者たちと変わりはしない――新之助は顔を上げ、巫女の少女を見た。



「……話をしてみたい。私がいく」



 その言葉を聞いた彦右衛門の眉が、途端に歪む。



「新之助様……よもや、あのような下賤の女に、また……」


「そ、そういうことではない!」


「本当ですかな……?」



 ねぶかる彦右衛門の視線を避けるように、新之助は足を踏み出す。まったく、彦右衛門のお節介にも参ったものだ――とはいえ、これは郷里で庶民の女と遊び歩いていたことのある新之助の方が悪い。



「……なんだい、お侍さん?」



 近寄ってきた新之助に向かい、お糸が機先を制するように声をかける。



「ああ、いや……」



 新之助は曖昧に言いつつ、お糸の顔を興味深げに覗き込んだ。



「な、なんだよ……」


「ふうむ、やはり美しいな」


「……へ? う、美しい……?」



 先ほどまで新之助を睨みつけていたお糸の顔が、一瞬動きを止め――次の瞬間には見る見る紅くなる。



「な、なにを言ってやがんのさ! はばかりながら、こちとら宿場あたりじゃ知られたツラよ! 荒くれどもも黙って道を空けるこのお糸さんに向かって、う、うつく……しい、とか……」


かぶいた装いというのは、ただ派手なだけでは粋ではない。小袖の柄も、その着こなしも、こうがいの細工も、ひとつにまとまってそなたの美しさを引き立てる。その出で立ちがあってこそ、先の口上も生きるというもの。いやぁ、感服したよ」



 そう言ってからからと笑う新之助に、お糸はまたその目を白黒とさせる。



「こ、これだから顔のいい男ってのは……」



 小さくそう呟いて、お糸はついに、ぷいと顔を逸らしてしまった。新之助は、芳乃の方に顔を向ける。



「ひとつ、尋ねたいことがあるのだが……」



 芳乃はじっと新之助の顔を見据えたまま、黙っていた。新之助は気にせず話を続ける。



「あの『舞い』の前に、こうなることはわかっていた、と言っただろう? あれはどういう意味なんだね?」



 芳乃が首を傾げる。新之助は言葉を継ぐ。



「わかっていた、というのは、ここで託宣を請われるであろうということか、それとも……」



 ――あの「雲」の出現そのものを、この巫女は予見していたのか。



「……不思議なことを訊くお武家様ですね」



 芳乃は目を丸くして新之助の顔を見ていた。その意外そうな表情を見た新之助は、この謎めいた少女の素の顔を一部、見られた気がして、少し満足を覚えた。


 芳乃は巫女の表情に戻り、口を開く。



「……わたくしたち巫女は、因果の流れに身を任せ、その先を夢見ます」


「夢?」


「ええ……」



 問い返す新之助に、芳乃はふわりと息をついた。



「石を投げれば地に落ちる、湯呑を返せば水は零れる。そうした因果の積み重なる果てに、未来の世がある。わたくしたちはあのように舞うことで、起きながらにしてその未来を夢見ます。今、この時から積み重なった因果の果てを」


「因果の果て……」



 ならば、あの「雲」もその帰結だというのか? そう問おうとした新之助を制するように、芳乃が言う。



「……因果の外に在るものは見えません。地を這う人の身に、鳥の未来は見えないのです」


「ならば……」



 新之助は食い下がった。



()()()()()、あれが見えたのかな?」



 芳乃はまた、新之助の顔をじっと見た。新之助もその深い目を見返した。二人の周りで、お糸と佐吉、そして彦右衛門が固唾を飲んでいた。



「……わたくしは鳥ではありませんから」



 芳乃はそう言って軽く頭を下げ、踵を返した。お糸が芳乃と新之助を見比べながら、その後を追った。



「……いかがでしたかな?」


「興味深いなぁ」



 声をかける彦右衛門に、新之助は答えた。巫女の託宣というのは初めて見たが、あのようなものなのか――神懸りにしろイカサマにしろ、なるほど、人々が信じるわけだと納得する。そして、多くの人々がそれを信じるのなら、もはやそれは事実となり、世に影響を及ぼすだろう。



「それにしても、炎で焼け落ちて『王』が現れるなどと……!」



 彦右衛門はまだ憤っていた。新之助は笑って、江戸の方角の空を見た。



「確かめねばならんだろうなぁ」



 なにが起きているのか、この目で――江戸へ行って、確かめるのだ。どちらにしろ、新之助の未来はその方角にしかないはずであった。

予言の言葉難しいな……

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