吸血姫と返事
多分、一番求められていた話。
目が覚めると、ベッドの上で寝ていた。
時刻は既に夜。何時間眠っていたんだろうか。
かなり頭が朦朧としている。どうやら目覚めるのにかなりの時間を費やしたようだ。
マトモな思考が難しい状態をどうにか持ち直し、イスズ様との会話を思い出す。
二十年か。
人間を滅ぼしつくすまで、あと推定二十年かかる。
当然と言えば当然、人間は魔族に比べて圧倒的に多いし、それは首魁だったモニアを殺し、メルクリウス聖神国が滅びた今でも変わらない。
敗北を確信した人類は逃亡を選択する国も出てくるだろうし、そうして隠れて過ごされるようになったら、探し出すのは面倒だ。
人間を殺すのはいい。しかしその後に待ち受ける書き仕事や後処理なんかを考えると、それだけで何もかも忘れて今すぐ白雪姫よろしく、長き眠りにつきたくなる。
そしてすべてを終えたヨミがキスで起こしてくれるのだ。なんという名案。
しかし現実は残酷であり、きっと私のことを魔王軍は逃がしてくれないだろう。
地の果てまでヨミと共に駆け落ちしたとしても、あっさりとっ捕まって書類の前に引きずられるのだ。
妄想による現実逃避と頭が覚醒したことによる現実追撃を食らった私は、とりあえずベッドから降りる。
辺りを見渡すと、私と同じようなベッドがいくつか並んでいて、そこではヨミと魔王様は勿論、サクラ君やグレイさんも横たわっていた。
「あら、リーン。目を覚ましたの?」
「え?あっ、フルーレティア様!」
イスズ様の言う通り、蘇生は成功していたらしい。
本当に良かった。
「もう、動いて大丈夫なんですか?」
「ええ、なんとかね。あなた、丸二日も寝込んできたのよ?今はモニアを倒した日から二日後の夜よ」
やっぱり当日ではなかったか。
まああれほどの疲れがあったし、当然か。
「目が覚めたのは私が最初ですか?」
「最後まで残った三人の中では最初ね。ヨミもフィリスもまだ起きないわ。サクラとグレイ君は一度目覚めたけど、絶対安静をフランに言いつけられて大人しくしているわよ」
「そうですか。でも、一人も死ななかったんですね」
「ええ、奇跡的にね。………ただ、グレイ君の傷が想像以上に深いのよ。絶対干渉特性のバアルでぐちゃぐちゃに斬られたせいで、回復魔法も効きにくくてね。命に別状はないんだけど………このまま戦闘を続けるのは難しいかもって、フランが」
「………!そう、ですか」
グレイさんは狂化したモニアと、少しの間とはいえたった一人で戦っていた。
命に別条がなかっただけ奇跡だと思う。
ただ、あの『武神将』グレイさんがもう動けないかもしれないというのは、ヨミに身体強化魔法を教えたあの人がもう戦えないかもしれないというのは、どうしようもなく私の心を痛めつけた。
だけど、落ち込んでもいられない。まだまだ、私たちには四魔神将としてやるべきことがある。
「フルーレティア様、みんなをお願いします。ちょっと夜風に当たってきますので」
「ええ、いってらっしゃい」
魔王城のてっぺん近くの屋根に登った私は、持ってきた血をすすりながら、これからのことを考えた。
「グレイさんには復帰してほしいけど、無理はしてほしくないし。モニアを倒した以上、引退したフラン様とフルーレティア様の手を借りるのもはばかられる………いや、フラン様は足が治ったから復帰するのかな?なんにせよ、ここから主力になるのは『神級シリーズ』に到達した私とヨミになるはず。あー、気が滅入る………」
一匹いれば三十匹はいると思えと言われていた、前世の世界で口にするのも憚られるあの邪悪を思い出した。
本当に目障りだ。私が最も復讐したかった連中は全員死んだ。他はもう私が義務感とついでで殺してきた雑兵しかいない。
そんなあの黒い悪魔みたいにうじゃうじゃいる人間をつぶし続けるのを二十年。きっつい。
「はあ………」
「前にも言ったけど、ため息つくと幸せが逃げるよ?」
「んな迷信誰に聞いたの」
「リーンだけど」
「あっ、そうだ私が教えたんだった。ごめんヨミ。………ってヨミ!?」
いつの間にかヨミが隣にいた。
寝起きで疲れもあったとはいえ、私の気配察知をかいくぐるとは恐るべし。
「いつからいたの?」
「グレイさんには復帰してほしい云々の辺りから」
「一番初めからじゃないの」
「リーンのすぐ後に目が覚めてさ。追いかけたんだ」
独り言が聞かれていたとは、こんな恥ずかしいことはない。
「だいぶ進んだね」
「え?」
「ボクたちの夢。あと二十年くらいで叶うってさ」
「ああ、そうだね。まあ二十年って明確な数字が出ただけいいか」
吸血姫の寿命は千年。けど私は邪神の加護で不老の存在だ。ヨミも然り。
これからの長い人生に比べれば、二十年なんてすぐだ。
「今日はさ、月が綺麗だね」
「そだね。満月じゃないけど、大きく見えるし」
私は急なヨミのその問いかけに普通に返す。
今の言葉、前世だったら別の意味にとられかねないな。
あれ?そういえば何年か前に、ヨミにあの話をした気がする。
ヨミの方を思わず向くと、ちょっと不満げな顔で私を見ている。可愛い。
いやそうじゃなくて。
「えっと、ヨミ。もしかして今の、狙ってた?」
「………………」
ぶすっとした顔で、ヨミはこくりと頷いた。
しかし、いきなり何故。
ヨミにはすでに告白されているし、今更「あなたを愛しています」と言われなくても分かって………
そして私は、頭が完全に覚醒したことによってヨミに告白の返事をするという至上命題を思い出した。
ヤバい。どうしよう。かなり先の将来のことを考えすぎてて、こんなに近い将来の話をほんのわずかな間とはいえ忘れるとは、一生の不覚。
いや落ち込んでいる場合じゃない。問題はどう返すかだ。
答え?「YES」に決まってる。ここで付き合わないなど何の罰ゲームだ。
ただ問題は。
「え、あ、あ、あの………ヨミ」
「………なに?」
「いや、あの、えっと、ですね。あー、その………」
非常に恥ずかしいという点。
あんなド直球な告白をされた挙句、告白の返事を先延ばしにしたせいか、普通に返すだけでも非常に困難を極める。
心臓が破裂しそうなくらいにバクバクしていて、考えをまとめることが出来ない。
「あっ、え………」
「………ヘタレ」
グサッと言葉が突き刺さった。
そうだよ、ヘタレだよ。何年も思い続けた幼馴染に告白できず、それどころかつい最近私への恋心を自覚したらしいその幼馴染に告白を先取りされたヘタレですよ私は!
「うう………」
「はあ………仕方ないなあ」
「え?え!?ちょっ、なに!?」
私たちは今、急な坂になっている不安定な屋根の上にいる。
勿論、私たちのステータスをもってすれば、踏ん張ることなど小石を拾うくらい簡単だ。
だけど、まさかこんな屋根の上で、覆いかぶされるとは思わないじゃないか。
「あ、あの、ヨミ?」
体を押さえつけられてて、逃げられない。
振りほどこうと思えば、月の加護が発動している私の方が力は強いんだから簡単だ。
けど、どうしてもほどけない。体がそれを拒否する。
目の前に浮かぶ、どうしようもなく可愛くてかっこいい彼女の姿を、もっと目に焼き付けたいと思ってしまう。
「き、聞こえてる?何をして………」
「リーン」
「は、はい」
「ボクはリーンが好き」
「はうっ」
「他の人と話しているとイラっとする。お風呂上りに下着で出てこられると誘ってんのかなって思う。寝顔を見ると性的な意味でゾクッてするし、あとは………」
「待って待って、いきなり何のカミングアウト!?」
真顔で何てこと語りだしてんのこの子は!?
「いや、なんでボクに告白の返事をするって簡単なことできないのかなって思ったら、なんだかちょっとムカッてきて。だからちょっといじめてあげようかなって」
「お、おおう………」
どうやらこの娘、Sらしい。
そしてそんな子に身動き取れなくされてちょっと悪くないなって思ってる私はMなのかもしれない。
「返事を待つつもりだったけど、こんなヘタレだとは思わなかった。だからもういいよ、返事しなくて」
「………え?」
もしかして、今。
ふられ、た?
「返事しなくていいから」
「あ、あ…………う………」
言葉が出ない。
そんなの嫌………
「嫌だったら抵抗して」
「へ?」
と、思ってたのに。
何故私の目の前に、ヨミの顔がどんどん近づいてくるのか。
なぜだろう。
結構な速度でヨミの顔が私の顔に近づいてきている。
あと二秒ほどで私の顔とヨミの顔がくっつくだろう。
それはつまり何を表すか。
これは、顔を近づけていると言うより、口を近づけているといった表現が正しいのではないだろうか。
だとしたら、彼女の唇はどこに向かっているのか。
私の頬?いや、そんな遠くない。
まっすぐ私の口付近に近づいてきている。
と、いうことはだ。
それはつまり、キスという行為では。
「へ、あ?ん???」
「ほら、嫌なら抵抗すれば?拘束は解いてるし、なんなら転移したっていい。五秒あげるよ」
なるほど、たしかに私のファーストキスを守る術はいくらでもある。
いくつも逃げ道があるんだ、当然と言えば当然。
だけど私は、そのちょっと怒ったような、それでいて顔を紅潮させているその新鮮なヨミに見惚れて、逃げることなんてできなかった。
少ししてようやく状況を整理し、暴走に近いヨミを制止しようとする。
「ヨ、ヨミ、落ち着いっ」
「ハイ時間切れ」
「て………むっ」
『落ち着いて話をしよう』と言いかけたところで、私の唇をヨミの唇がふさいだ。
ヨミの綺麗な目以外は見えなくて、それすら必死になるうちに目を瞑ってしまって見えなくなる。
目を瞑ると口の感覚に体が支配されて、反射的にヨミの体をつかんでしまう。
何度か口をついばまれて、その後に長い唇の押し付けが始まった。
あ、これダメな奴だ。
ヨミへの愛が止まらない。可愛すぎて、愛おしすぎて、それ以外のことはどうでもよくなる。
ダメだ。好きすぎる。
数分の後に唇が離され、その頃には互いに息を整えなきゃ話が出来なかった。
「抵抗、しないんだね。じゃあ」
「好き………」
「え?」
「好き………ヨミ、好き………私も好き………。告白の返事、遅れてごめんなさい。私もヨミのこと大好き。昔からずっと好きだった。心の底から大好き。可愛すぎて、閉じ込めちゃいたいくらい好き………」
「え、う、うん。あ、ありがとう………」
後から思えば、私はこの時、一種のトランス状態になっていたんだろう。
理性のタガが外れて、私のすべてがヨミを求めていた。
「………ふ、ふふっ。じゃあリーンは、ボクの告白を受けるんだね」
「も、勿論。大好きなの。ずっとそばにいたいの。もっと、もっと私のこと見て?私だけ愛して?ねえお願い」
そして、私はヤンデレ一歩手前のようなことを言い始めた。
私の理性は『何やってんだこのアホ』と大絶叫しているのに、体が勝手に動く。
「じゃあ、もう恋人だね」
「う、うん。………嬉しい」
「じゃ、もう一回しよ」
「え?」
そして再び唇を奪われた。
嬉しくてたまらないという思いを表したようなヨミの舌が、私の口の中を蹂躙してくる。
「ふ、あ………」
「大好き………リーン、なんでこんなに可愛いの………?もう、ボクのものだから………」
ああ、神様。邪神様。
どうか、私とこの肉食獣のお付き合いが。
末永く、かけがえのないものになりますように。
この作品も残すところあと三話。二人の恋も無事成就した今、どんどん終わりを感じてきています。
最後までどうかお付き合いください。