元勇者と宝眼の最期
剣から伝わる確かな手ごたえ。
ディアスが肉を断ったと確信した。
「勝っ、た………?」
ヘレナは倒れたまま起き上がる気配はない。
ディアスは防御ステータス無視で斬る上に、治癒を困難にする。
まだ息はあるみたいだけど、このままほっとけば五分もしないうちに間違いなく出血死だ。
けど、まだ油断するのはダメだ。ヘレナが使った魔法の総数やヘレナから感じる魔力量から考えて、まだ最上位治癒魔法を一回使うくらいの魔力は残っている。
ディアスで斬った所はせいぜい止血程度の効果しかなさないとはいえ、まだ戦えるかもしれない。
そう思った時、ヘレナが魔法を発動したのを感じた。
やっぱりまだ戦う気………。
瞬間、ボクの目に光が戻った。
いや、目だけじゃない。耳も聞こえる。
目の前でヘレナが、血を吐きながらボクに手を向けていた。
どういうことだ?
まさか。
いや、ありえない。でも、それしか考えられない。ボクは治癒魔法が使えないんだから、それしかない。
「な、なんで………ボクに治癒魔法を?」
ヘレナがボクを治癒したんだ。
最後の魔力で、自分の生存の道を捨てて。
「ふ、ふふふ………何故、かしらね」
うつぶせになって倒れているヘレナに、ボクは近づく。
視覚も聴覚も問題なく機能している。これは間違いなく《最上位治癒》の魔法。
もうヘレナには、最下位の治癒魔法を唱える力すら残っていない。
「どういうつもりなの?ボクは敵だよ?アナタが女神を狂信していないことくらいは気づいていたけど、自分を斬った人を治すなんて、正気の沙汰とは思えない」
「そう、でしょうね。でもいいの。どうせ私はこれ以上生きていても意味がない。なら、この私をハンデ付きで斬るなんて離れ業を見せてくれた貴方に敬意を表して、治してあげるというのも一興だと思わない?」
思わない。
その言葉を、ボクはグッと飲み込んだ。
本当に意図が分からない。
いくら女神ミザリーに関心がなかったとはいえ、ボクという裏切者を、自分よりも優先する意味が。
「治してあげたことに恩を感じてくれるなら………そうね、一つだけ、お願いを聞いてくれないかしら」
「お願い?」
それは、自分の生きる道を捨ててまで叶えたい願いなんだろうか。
「ルヴェルズを………私を何十年もしばりつけたあのクソ野郎を、ぶっ殺してくれないかしら」
「え?」
今なんて?
いや、ヘレナがこんな乱暴なこと言うのにも驚いたけど、人類最強にして法皇であるあの男を、殺してって言った?
………まさか。
そういうこと、なの?
「あ、アナタ………もしかして、ルヴェルズに………」
「さあ、どうかしらね。どの道あの男があなたたちの最終目標なのだから、断る理由はないでしょう?」
もし仮に。
ルヴェルズが、洗脳や催眠、魅了の類の神器を持っていたとしたら。
そして、ヘレナがそれによって苦しめられていたんだとしたら。
ヘレナが人間側についていて理由も、ボクに対して謝罪した件も、すべての辻褄が合う。
「じゃあ、さっさととどめを刺してくれないかしら?そろそろしゃべるのもきつくなってきたし」
ヘレナは仰向けになって、大の字に寝っ転がった。
ボクは動けない。
ボクが人生で唯一認めた人間、その彼女すら、人類の被害者だった。
人類の被害者。ボクやリーン………いや、すべての魔族と同じ存在だ。
彼女をここで殺すのは、果たして正しいことなんだろうか。
「まさか躊躇っているの?私を殺すことを」
「だ、だって………」
「そんなこと思う必要ないわ。私は数えきれないくらいに魔族たちを殺したし、貴方の親友だって傷つけた。ルヴェルズの命令通りにね。だから、これはただの断罪よ。貴方は魔王の右腕として、同胞の仇を討つ。簡単な話だと思わない?」
「で、でも、アナタの言ってることが正しいんだとしたら!」
ボクと同じ。
人類に絶望した人間。
あの男さえいなければ、きっと彼女は、魔王様の力として………!
「どうせ私は助からないわ。正直、痛くてたまらないのよ。内臓もすっぱりいかれてるから、呼吸も苦しいし心臓もほとんど動いてないわ。早く終わらせて頂戴。………私を少しでも思いやってくれるなら、そうして」
「………!」
「言い方を、変えましょう。私は………貴方に殺してほしいの。かつて私が守り切れなかった、私が基礎を教えた貴方に。だからお願い」
その言葉で、ボクは決心した。
「………わかった」
ディアスを引き抜き、ヘレナの首に押し当てる。
「大丈夫、痛くしないよ。これ以上苦しめずに死ねる。今まで何万人も斬って培った剣技だ、間違いはない」
「それはありがたいわね」
ヘレナは目を瞑り、最後の瞬間を待つ形になる。
「最後に、一つだけ」
「なに?」
「………生きていてくれて嬉しかったわ」
「………っ」
ボクは剣を首から離し、一瞬で斬れる位置まで持っていく。
「ボクからも、一つだけ」
「あら、なにかしら」
「ボクに基礎を教えてくれたこと、感謝してるよ。ありがとう、ヘレナさん」
「………どういたしまして」
その瞬間、僅かにヘレナの表情が和らいだ気がした。
そしてボクは、過去最大の速度で、剣を振った。
※※※
「………行かなきゃ」
ヘレナの亡骸を少しだけ眺め、ボクは背を向ける。
ボクが幼少を過ごした最悪の地下室を後にして、階段を駆け上がる。
「いたぞ、あそこだっ!」
「『戦神将』ヨミ!裏切り者が、粛清をっ………」
うるさい人間たちを、治った体を活用して斬っていく。
何十人、何百人と斬って、先へ進む。
ルヴェルズがいるのは最上階。まだまだ先は長い。
ヘレナとの戦いで時間をかけすぎた。最悪、人間は皆殺しにしなくとも構わない。どうせ今日で神都は滅ぶんだから、遅かれ早かれの問題だ。
それよりも、さっきから上の方で凄い音と振動が起こっている。間違いない、リーンだ。
リーン一人じゃルヴェルズには勝てない。協力して倒さなきゃ。
ヘレナさんの人生を奪い、ボクの人生を無茶苦茶にして、無数の魔族たちを殺して、多くの人々を不幸にした男。
ルヴェルズ・ヒューマンロード。絶対に許さない。
ヘレナさん、アナタの最後の望み、聞いてあげるよ。
すぐに地獄に送ってあげるから、そっちでボコボコにするといい。
「早く行かないと………待っててね、リーン!」
ボクは一気に階段を駆け上る。
最愛の子を助けるために。
そして、恩人の最後の願いを叶えるために。