宝眼の過去
これ書き始めた初期から考えてた過去編。
番外編みたいな感じなので、読み飛ばしても大丈夫です。
『宝眼』のヘレナは今から八十二年前、神都の教会で生まれた。
家は神都にあるごくごく普通の家庭だった。神官の父親と元冒険者の母の間に生まれ、何不自由なくとはいかないものの、世間一般から見れば平均的な生活だった。
しかし、彼女自身は普通ではなかった。他人と明らかに違うところが、彼女には二つ存在した。
一つは、右目。彼女は生まれた時から、空間や生物の中の『魔力』の流れを視認できるという、極めて希少な眼球を持っていた。
その流れによって、視界内にいる人の職業、大まかな能力、二秒以内の未来の動作、使用される魔法など、他人にはわからない多くの情報を得ることが出来た。
能力的には神器『天眼アルス』の劣化版と言わざるを得ないが、一個人が持つ力としては十分すぎた。
彼女がこの目の力によって命を拾った経験も、一度や二度ではない。
ヘレナがゼノの職業が変化したことを見破れたのも、この目があってこそである。
二つ目は、前世の記憶を持って生まれたこと。
前世での自分の名前も、顔も覚えていない。ただそこそこ頭はよかったこと、日本という国で生まれ育ったこと、「流されやすい」性格だったこと、成人する前に事故で死んだこと、その他断片的な記憶を有していた。
ヘレナには知る由もないことだが、これは女神ミザリーの実験だった。
「異世界の人間をこちらの世界に引き込んだ場合どうなるか」という実験体として無数の死人の中からたまたま選ばれた、数人の異世界転生者、言わば第一世代の転生者。その一人がヘレナだった。
これが後に女神ミザリーによって「異世界転生者は利用価値がある」と判断され、千条夜菜や城谷翔太、黒田新一ら第二世代の転生者の死と転生に繋がる。
生まれた瞬間からある程度の理性と知識を持っていたヘレナは、すぐにこれが転生だと気づき、必死になって普通の赤ん坊のようにふるまった。
彼女は、目立ちたくなかったのだ。当然と言えば当然、現代において黒田新一によって半ば強制的に招集された第二世代の異世界転生者たちや、復讐のために戦いに身を投じたリーン・ブラッドロードとは違い、彼女には人生の選択肢が多くあったのだ。彼女は戦場に出て戦いたいなどと、微塵も考えていなかった。
前世の記憶があるために「純真な子供」という最も心を染め上げやすい期間が存在しなかったヘレナは、女神ミザリーの教えにもほとんど関心がなかったが、普通の子供としてふるまうために目を輝かせ、女神を信じ込むふりをした。すべては目立たず、平和に暮らすために。
しかし、五歳の時の『能力下ろし』によって、その類い稀なステータスと眼の秘密が明らかになってしまった。
その時はすでに手遅れなほどに女神ミザリーへの狂信が広がっていた時代。ミザリーのために戦い、ミザリーのために死ぬことが最大の誉れと言われていた。
そのため、すぐにヘレナは両親によって教会の兵士育成機関に放り込まれた。
ステータスを見られていたので、才能がないふりをして追い出してもらうということもできなかったヘレナは、仕方なくまじめにやった。
すると瞬く間に彼女は頭角を現し、最年少で教会の騎士に抜擢され、十七歳になったあたりで、教会内に発足した十二人の精鋭に選ばれた。
後に『聖十二使徒』と呼ばれる、ミザリー教の人間としては最大の栄誉も、彼女は内心では疎ましく思っていた。
むしろヘレナは、人間に対して不信感を抱いていたほどだった。
本当に魔族というのは滅ぼすべき存在なのか。かつて神器を生み出した大国のように、共存する道はないのか。日夜それを考え、果てには魔王軍に寝返ろうかと考えた。
しかしそれは叶わなかった。どういう方法を使ってか、ヘレナの内心を知ったルヴェルズによって、勝負を挑まれたからだ。
法皇であるルヴェルズの言葉には逆らえず、彼女はルヴェルズと戦い、手も足も出ずに敗北し、そしてその瞬間から、ヘレナの思考の一部が支配された。
ルヴェルズの持つ五つの神器の一つに『魅了』の効果を持つ神器がある。精神的抵抗力が弱い者を自らの虜にし、傀儡に変えてしまうという恐ろしい神器。
戦闘によって大ダメージを受けていたヘレナにそれを防ぐ術はなく、彼女は多少の自由意志こそ残っていたものの、ルヴェルズの言葉に逆らえなくなってしまった。
ずっと疑問を持ちながらも、魔族に対する罪悪感でいっぱいになりながらも、彼女は戦争で魔王軍相手に戦い続けた。
たった一人で一軍を壊滅させたこともあるし、魔王軍幹部も何人も仕留めた。そしていつしか、彼女は聖十二使徒の第二位までのし上がっていた。
勿論、彼女自身の望みではない。むしろヘレナは、誰か自分を殺してほしいとまで思っていた。そしてその弱い心が、ルヴェルズによる魅了の力を自力で解くことを許さなかった。
ヘレナはリーンに敗れた時、彼女の質問に対して「流されるままに戦い、求められるままに魔王軍を攻撃した」と話した。しかしこれは自分にイラつかせてリーンに殺してもらうための嘘であり、真実は「戦いたくなんてなかったのに戦わされた」というもの。
彼女とて、できることならば人類などとっくに見限りたかったのだ。
人類に絶望し、なのに裏切ることを許されない。さらに望んでもいない女神の加護によって寿命すら引き延ばされ、死ぬまで戦わされる。既にヘレナの心はボロボロだった。
だからこそ、『勇者兵器化計画』立案の際は一時的にとはいえ魅了を突破し、正面から反対することが出来た。
勇者に選ばれた、ただそれだけの少女を今の自分以上に苦しめるなど、あってはならない。
その一心で必死に計画を止めようとしたが、結局力及ばず、少女は捕らえられた。
せめてもの抵抗は、彼女の心を壊す手伝いなどせず、本当に戦いの技術を教え、少女の生存率を上げることくらい。
その努力すら実らず、「サクラ・フォレスターによって勇者が殺された」という報告を聞いた時は、己の無力さに一晩中泣いた。
転機が訪れたのはその九年後。勇者ゼノ救出作戦のために、現地へ向かった時、突如として空から降ってきたその少女を見た時だった。
その銀髪、当時の面影、腰に下げた神器『魔剣ディアス』。まさかとは思ったが、勇者ゼノがリーンに言われたという言葉を聞いて確信した。
――――『戦神将』ヨミは、あの時の勇者の少女だ。
実は勇者時代のヨミには、ヘレナ同様、ルヴェルズの魅了が行われていた。
何かのアクシデントで心が戻ったりした際でも、その存在を縛れるようにという保険だ。
しかしヨミは自らの強い意志と復讐心で無意識のうちに自力で魅了を解いていた。
ヘレナが長年解くことが出来なかったその呪いを、ヨミは解いていた。
それを悟ったヘレナは、ホッとし、少し嫉妬すると同時に、自分の情けなさに失望した。
あんな幼い少女が自らの力で呪いを解いたというのに、私のこの体たらくはなんだ?こんな弱い意志で、私は今まで生きてきたのか?
この瞬間、ヘレナは「自分はこれ以上生きるべきではない」と思った。
しかし、ルヴェルズの魅了の呪いによって『万が一の時は他人を見捨ててでも逃亡しろ』という意思を刷り込まれていたヘレナは、それからも死ぬことが出来なかった。
フルーレティアとフランに追い詰められた時はついにと思ったが、『宝眼』の力で穴をあけられることに気づいてしまったせいで、逃亡という結果になってしまった。
そして、リーンに敗北し、ついにその瞬間、死から自力で逃げる術を失った。
リーンに自分が救えなかった少女を救ってくれたことを感謝し、思い残すこともなくなった。
――――ああ。やっと楽になれる。
そう思って目をつぶった。
しかし、いつまでもリーンの拳が自分に届くことはなく、終ぞリーンはヘレナにとどめを刺さなかった。
『ヨミはさ。あんたに感謝してたよ。だからこそ、あんたは自分の手で殺したいって考えてるんだと思う』
『だから、この場ではあんたのこと見逃す』
『あんたはこれから、ヨミと戦って、あの子の人間との関わりを完全に断つための道具として死ね』
とどめを刺されなかったことに憤慨しかけたが、リーンの言葉に、ヘレナは衝撃を受けることとなった。
ヨミが自分に感謝しているということもそうだが、自分がヨミと人間をつなぐ最後の糸となってしまっている。助けられなかった少女の邪魔をしてしまっている。それが耐え難かった。
だからこそ、ヘレナはその場を離れ、神都に戻り。
数十年解けなかったルヴェルズの呪いを、ついに自らの意思で破壊した。
魔王軍との戦闘をかたくなに拒否し、ヨミと戦うためだけにこの数か月を生きた。
ヘレナは心のどこかで、『戦神将』ヨミを自分の分身のように思っていた。
人類に絶望し、その意思力で呪いを破壊することが出来た世界線の自分、そんな風に感じていた。
だからこそ、彼女の邪魔となっている自分が許せない。彼女に自分を殺してほしい。
けど、自分が首を差し出して、それでも自分をヨミが殺さなかったら。つまり、自分という個人を認めてくれたなら。
感謝と愛をこめて、最後まで相手をしよう。
私が基礎を教えた少女に、私に感謝してくれている子に殺してもらえる。
多くの罪を重ねた自分には、もったいない死だ。
そして今。
ヨミとヘレナは、それぞれの思いを交錯させてぶつかり合った。