吸血姫と宝眼
ベストタイミングでヨミが来てくれたおかげで、私はフラン様とフルーレティア様の加勢に行くことができそうだ。
今向かってるけど、もしかしたらもう終わってるかな?
あのお二人ならありうる。
「あ、フルーレティア様の結界発見。さて、乗り込む、か………?」
《異界結界》の魔力を辿って来たけど、しくじった。
入り方がわからん。
とりあえず中の様子を伺って………
―――パリンッ。
ん?今何か聞こえたような。
吸血姫の聴覚がないとわからないような小さな音だったけど。
私が考えていると、唐突に随分大きな音がした。
振り向くと、どうやら《異界結界》が解除されたらしい。
フルーレティア様とフラン様が、若干の手傷を負ってはいるけど、どうにかゲイルとヘレナを倒したみたい………
「やっば!なにあいつ、どうやったの!?とにかく、急いで追いかけなきゃ!」
「あの女を逃がすと、後が厄介だわ!早く行きましょう!」
?様子がおかしい。
周りを観察してみると、結界が消えた所には、三つの影があった。
二つは、言うまでもなくフラン様とフルーレティア様。もう一つは、倒れ伏しているゲイル。もう息はなさそう。
あれ?
ヘレナが、いない?
「フラン様!フルーレティア様!」
「あ、リーン、ちょうどよかったわ!手伝ってよ、あのヘレナとかいう女が逃げた!」
「え、一体どうやって!?フルーレティア様の結界で覆っていた筈では!?」
「そ、それがあの女、噂の『宝眼』で私の結界の弱点か何かを見つけたみたいで………ゲイルが私たちを足止めしている間に、小さな穴をあけて出て行ってしまったのよ!」
マジか。ヘレナの力の話は聞いてたけど、そんなこともできるのか。
ヘレナが『宝眼』と呼ばれる所以。
あらゆるものを見通すと言われる、人間離れした右目。
どこまでのことができるのかは知らないけれど、私の神器『天眼アルス』と同等以上の性能を持っている可能性は高い。
「そりゃやばい。今すぐ追わなくちゃ」
「そうそう、あたしが速度上昇の付与魔法をかければ………んあ?フィリス?」
言葉の途中でフラン様は話を切り、虚空を向いてしまった。
見ると、フルーレティア様も同じ状態みたいだ。
「うん、うん………えあ!?」
「なんですってええ!?」
どうやら、魔王様から念話が来たらしい。
しかも、緊急事態っぽい。
「リーン!ティアナとルーズが担当してる地域に、ものすごい数の人間たちが集まってきて、魔王軍劣勢だって!あたしたちそっちの加勢に行かなくちゃ!」
「ル、ルーズちゃんがピンチ!一大事だわ、早く行って安心させてあげなくちゃ!」
マジかよ!!
それは行ってもらわなきゃならない。
問題は、そうすると私一人でヘレナを相手しなきゃならないってことだ。
けど、そっちも大した問題じゃない。なぜなら、あと数分で日没だから。
そして都合のいいことに、今夜は満月。素の状態でも善戦くらいはできる程度の実力のヘレナ相手なら、私一人でもなんとかなる。
「こっちは私に任せて、行ってください。あ、でも、その前にヘレナのところまで転移してもらえますか?もう私の感知範囲外に出ちゃってるみたいで」
「オッケー、それくらいなら。じゃあ、武運を祟る!」
「祈りなさい。祟ってどうすんのよ」
「《転移》!」
転移したのは、上空。
かなりの長距離転移で、しかも座標の微妙な調整が難しい上空に転移させてくれるとは、流石はフラン様。
下を見ると、かなりの速度で走っているヘレナの姿があった。
走っているのは、ヘレナは今、転移魔法が使えないからだね。
フラン様が最後にヘレナに放った拘束系の魔法のおかげで、ヘレナは座標を操作するタイプの魔法やマジックアイテムが使えなくなっているらしい。
なんにせよチャンス。
「はあっ………………はあっ………………」
「はい、逃げるのはそこまで」
「!?リーンっ………!」
自分の転移魔法で目の前に降り立って、ヘレナに立ちふさがる。
ヘレナは、一瞬驚いたような顔をして、すぐに覚悟を決めたような顔になった。
「ここにあなたが現れたということは、あなたが勇者様を相手する必要がなくなったということ。ヨミが来たのね?」
「そういうこと。あの子が来た以上、勇者は死ぬ。間違いなくね」
「信頼、してるのね。彼女のことを」
「そりゃ勿論。十年近く苦楽を共にした相棒だからね」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、ヘレナの表情が和らいだような気がした。
けどそれは、私でも本当に見たのかどうか怪しいほどの時間で、すぐにヘレナは厳しい表情を戻した。
「じゃあ、もう言葉はいらないでしょう。始めましょうか」
「そうだね。………でも残念。あんたに勝ち目はない。ちょうど日没だわ」
「月の加護か。今夜は………そう、満月みたいね。あなたほどの吸血鬼なら、強化の倍率も相当でしょう。確かに勝ち目はなさそうね。
………私もここで終わりか。何人もの仲間を犠牲にして強くなったっていうのに、最後は種族の差で負ける………なんとなく流されて、魔族を無数に殺して生きてきた私には、ふさわしい最期かもしれないわね」
さっきの覚悟を決めた顔つきから一変して、ヘレナは苦笑と諦観が入り混じったような顔をした。
「じゃあ、早いところ始めましょう。出来る限り抵抗はさせてもらうわよ」
「だろうね。ま、天災に会ったと思って諦めてよ」
話はそこまでだった。
一瞬で間合いを詰めてきたヘレナを、私は正面から迎え撃った。
※※※
九分と少し。満月の夜で、本気の私の攻撃を、何とヘレナはそれだけの時間耐えた。
けど、それももう終わり。今の彼女は、ボロボロになって蹲る、ただの敗者だった。
実際、ヘレナは恐ろしく強かった。
ステータスこそ平均7万と少し程度だったけど、ヨミと同じく、プレイヤースキルで私との差を埋めてきた。
戦闘スタイルは私に似た、魔法と体術を同時に使ってくるタイプ。けど完成度が凄まじくて、同じステータスで戦ったとしたら、私は負けていた。
満月の夜の、絶対的なステータス差があったからこその勝利だった。
「………私の、負けね。殺しなさいな」
「その前に、一ついい?」
「何かしら」
「………なんであんたさ。『すべてが見通せる』なんて嘘ついてるの?」
そう、この結果はおかしい。
もしヘレナが、本当に占術の最たる力と呼ばれる『宝眼』を持ってるなら、今のこんな最悪の状況を招くことはないはず。
ゲイルは死に、戦闘中に勇者の生体反応が消えたことも確認している。
「あんたのその右目。ただ単に、魔力の流れが見えるってだけでしょ。
だからフルーレティア様の結界も脆い部分を解析して介入して一部破壊できたんだろうし、流れを見ることによって、私たちがどんな魔法を使うかとか、次はどういう動きをするかとか、そういうこともわかる。
十分すごい力だと思うけど。なんであんな大げさな嘘ついたのよ」
「………流石ね、リーン・ブラッドロード。そこまで看破してくるなんて」
そう言ったヘレナは、仰向けの体制になって、自虐的な笑いを浮かべた。
「言ったでしょう?私は今まで、ずっと流されて生きてきた。ミザリー教の教えに心から共感したことなんてなかったし、なんであそこまでみんなが狂信するのかも分からなかった。けど流されて、そういうものなんだって、自分に言い聞かせた。
たまたま才能があったから、特殊な目を持って生まれたから、聖十二使徒に選ばれた。そこでルヴェルズ様に、『宝眼』の名を与えられ、右目はすべてを見通す力ということにしろと言われた。それが人類の安心に繋がるからって。それならと、私は承諾した」
ヘレナの半生が、淡々と紡がれてゆく。
思えば………ヨミ以外の人間の言葉に、まともに耳を傾けるなんてのは、この世界に生まれてから初めてだな。
「魔族を下等種と蔑む意味が分からなかったけど、私は愚かな人間という種がそれでも好きだったから、人間たちが言うように、あなたたちと戦うことを選んだ。
そして、上の命令とはいえ、あの恐ろしい計画。『勇者兵器化計画』にも、力を貸してしまったわ。せめてもの抵抗は、本当に彼女をちゃんと鍛えてあげることくらい。それにしたって、彼女にとっては地獄だったでしょうけどね。
ああ、ごめんなさい。言わなくていいようなことまで話しちゃったわね。忘れてちょうだい」
ヘレナは、最後にすべて話せてすっきりしたとでも言いたげに、清々した顔をしていた。
「さあ、早く殺しなさい。まだ多少は動けるけど、どうあがいたってあなたには勝てそうにないもの。降参よ。できるだけ痛くしないでくれるとありがたいわ」
聞きたい話は終わった。
もうこの女に用はない。
だから私は、拳を振り上げた。
「………あの子が。私たちが追い詰めてしまったせいで、すべてを諦めたような目をしていたあの子が、居場所を見つけていたこと。人には言えないけど、私、嬉しかったのよ」
ありがとう。あの子を救ってくれて。
ヘレナがそう言った瞬間。
私は、二十倍に強化されたその拳を、振り下ろした。
※※※
「どういう………つもり、かしら」
私の拳が、ヘレナを破壊することはなかった。
そのすぐ横を通過し、地面に突き刺さった。
「勘違いしないで。別に、あんたに同情したとか、許したとか、そういうわけじゃないから」
「じゃあ、なんで………」
「ヨミが、あんたを殺したがってた。それだけ」
断じて、こいつの言葉に心が動かされたわけじゃない。
私の心を動かしたのは、ヨミの言葉だ。
『ボクを虐待するのが目的って感じだった他の聖十二使徒と違って、ヘレナは本気でボクを鍛えようとしてたっていうか。ぶっちゃけ、自我を取り戻したボクが最初から感覚的にある程度戦えてたのって、半分以上ヘレナの教えありきなんだよね』
『もしヘレナが壊される立場で、ボクが勇者として人間を守る立場になっていたとしても、今の状況ってあんまり変わってなかったんだろうなーってさ』
長年連れ添った私だからわかる。
ヨミは、ヘレナを殺したがっている。
自分と彼女を重ねているからこそ、過去の自分と完全に決別するために。
そして、ヘレナが無念のうちに死なないように。
「ヨミはさ。自分でも気づいてないだろうけど、あんたに感謝してたよ。関わってきた人間の中で、一番まともだったからだとは思うけど。だからこそ、他人にあんたを殺してほしくないって思ってる。人類の絶滅を至上の目的としてる魔王軍だからこそ、せめて自分の手で殺したいって考えてるんだと思う」
「………………!」
「だから。激しく気に入らないけど………この場ではあんたのこと、見逃す。別に罠でも何でもない。そもそも、ヨミを使った罠を仕掛けたくないしね」
超絶癪だったけど、最低限の治癒魔法をかけてやった。
これでこいつの負傷でも逃げ切れるはず。
「………感謝は、しないわよ」
「当たり前。あんたはこれから、ヨミ以外の魔王軍と戦うことを考えるな。ヨミと戦って、あの子の人間との関わりを、完全に断つための道具として死ね。それが、あんたにできる、あの子への唯一で僅かな償いだ。………わかったらさっさと行け」
※※※
ヘレナは行った。
私は、四魔神将にあるまじき行動をした。
ヨミ個人のために、相手の最高戦力級を生かしてしまったんだから。
「魔王様に怒られる………だけで済むといいんだけど」
下手したら降格かもね。
けどぶっちゃけ、後悔はしてない。
多分、私があの場でヘレナを殺しちゃってたら、ヨミに少なからず影響が出ていたと思う。
ヘレナは、ヨミと人間の間に残った、最後の糸。
それを私が断ち切るのは筋違いだ。ヨミが糸を切ってこそ、意味がある。
「とりあえず、帰るか………」
魔王様になんて説明しよう。
正直に言うべきか、濁すべきか………。
この後あるであろうお説教に今からうんざりしながら、私は転移魔法を唱えた。
そしてこの数か月後。
ついに始まる。
私たち魔族と、人間の………存亡をかけた、最終決戦が。
第六章『転生勇者編』、お楽しみいただけましたでしょうか。
最後の勇者も死に、第三位まで失った人間。これからどうなるのか。
さて………いよいよ次回から、最終章『絶滅編』がスタートします。
いよいよクライマックスが目前。最後までお付き合いください。