【episodeZero】凶報と神の決断
「ほう、ついにフランも人の親ですか………彼女が子を持つなど、人柄を知っている我々からしてみれば違和感しかありませんねえ」
「そうじゃな。妾としても予想外じゃ」
「しかも、自分で自分を妊娠させてしまうとは。彼女はいつでも我々に驚きを与えてくれます」
「ああ、妾もそう思う。じゃが、フランの抜けた穴の大きさはあまりに大きい。そちらの対処もやっていかねばな」
「ええ、そうですねえ。あ、それと一ついいですか?」
「なんじゃ」
「なんでのじゃロリになってるんです?」
「………………………聞くな」
※※※
あれは昨日、フランを見舞いに行った時のこと。
フランの息子、サクラも無事に生まれ、出産で失った体力も徐々に回復してきていたフランだが、出産前後は別人なのではないかと思うほどしおらしかった。
今思えば、妾はその姿に油断していたのかもしれない。
「ねえ、フィリス。子育てってやっぱり、大変だよね」
「まあ、それはもちろんだな。ちゃんと正しく、誠実に育てようと思っても、なかなかうまくいかないものだ」
「でも、不安でさ………。あたしってほら、ガサツだし、頭もよくないし、あるのは魔法だけだし………」
反射的に「自覚あったのか」と言ってしまいそうになるのをぐっとこらえ、
「そんなことはない。お前はいいところがたくさんある、素晴らしい女だ。お前ならきっとできる」
「でも………」
「もし何か困ったら、妾に言え。なんでも力になってやる」
ああ。
なぜ妾は、あの時あんなことを言ってしまったのだろうか。
「………………………本当?本当に、何でもしてくれるの?」
「ああ、もちろんだとも。なんだかんだ、お前は魔王軍の中で妾と最も付き合いが長い親友だ。親友の頼みの十や二十、聞いてやるさ」
「………言質、とったからね?」
「ああ。妾は魔王、行ったことを取り消すような無様な真似はしないさ!」
それを聞いて、フランは今までの不安そうな顔の仮面をかなぐり捨て、世界征服が目前に迫った悪人の親玉のような笑みを浮かべた。
妾が、ベッドの横に並ぶ酒瓶と、奴の手に宿った契約魔法に気づいたのは、その時だった。
※※※
「なるほど。それで魔王様はのじゃロリに。フランもなかなか乙なことをしますねえ」
「言うとる場合か!あのバカエルフ、少し優しくしてやればつけあがりおって、いつか絶対に痛い目見せてくれるわ!」
「大切な親友では?」
あいつ、『心を笑いで癒したいから、口調を年寄りっぽくして』だと!?
笑い上戸なのだから酒飲めば笑えるだろうが!
それをあいつ、妾が妾を罠にはめるために、ずっと笑いをこらえていたとは!
バカの癖に、こういうところだけは知恵を回しやがって!
「しかもあやつ、ずっとサクラを抱いておったから、手が出せなかったんじゃ!息子を盾にするとは、それでも親かあの女!」
「フランらしいといえばそれまでですがねえ。………ふむ、しかし」
「?………なんじゃ」
「………以前、魔王様に『のじゃロリになってください』とお願いしたことがありましたよね。こんな形であの要望が叶うとは。………ですが駄目です、のじゃロリでも人妻だとなんか燃えませんし萌えません。レティが古竜人になる前の姿だったら完璧だったのに………なんだか出オチ感があるんですよね」
「しばくぞ」
それからも妾たちは、人間と戦い続けた。
人間との均衡を保ち、こちらの数が減ればあちらも減らし、増えれば加減する。
人間と魔族、そのバランスを保ち続けた。
そして、フランの引退から約七十年。
あいつの息子のサクラもすっかり大きくなり、今やうちのエースだ。
あいつの才能を色濃く受け継いでいるが、不思議なほどに性格は真逆で、ちょっとしたことでもびくりとする大人しい息子だ。
グレイ、レインと並ぶ魔王軍最強候補の一人に名を連ねているが、その臆病な性格から指揮能力がまるでなく、準幹部止まりになっている。
そして、その日。
魔王軍にとって、運命の日ともいえる日。
妾が魔王になってから、最悪の報告が………その日、された。
※※※
「………失礼いたします、魔王様」
妾がいつも通り、魔王の間で仕事をしていると、いつになく顔色が悪いヴィネルが入ってきた。
「………どうした、ヴィネル。何かあったか」
「………………………はい。お伝えせねばならないことがございます」
この時点で、妾は嫌な予感がしていた。
なにか、大切なものを失ったかのような感覚を、ヴィネルが入ってくる前から覚えていたからだ。
だが、まさか。
「………………………吸血鬼の里が、人間たちの手によって滅ぼされました」
こんな………こんな、妾の今までの行いを、土足で踏みにじられるような報告だとは、思ってもいなかった。
「………………………今、何と言った」
「………魔王様の故郷、吸血鬼の里が、人間たちの襲撃を受け、壊滅しました。襲撃者の中には、かの聖十二使徒の序列六位ノインと、七位のイーディスもいたようで………なすすべなく」
聖十二使徒………あのルヴェルズが第一位を務める、女神ミザリーが加護を与えた十二人の人間の精鋭。
だが、今はそんなことはどうでもよかった。
「せ、生存者は………ミネアはどうした!?」
………暫く逡巡したヴィネルは、少しの時間をかけて顔を上げ………ゆっくりと、顔を横に振った。
「………嘘、じゃろ?なあ、嘘と言っとくれ。じゃあ、妾は………何故、あの場を………」
「………魔王様、お気持ちはお察しいたします。ですが………」
ああ、わかっているさ。
母としての勘で分かってしまうんだ。
ミネアは、もう………この世にはいない。
ヴィネルが言うには、蘇生もできないように、遺体も残っていないという。
つまり、二度とあの子を生き返らせることはできない。
その後、里の被害の状況などを、妾は虚ろな思考の中で聞いていた。
ただ一つ………ミネアを殺したと思われる男。
聖十二使徒序列第六位、『魔哭』のノイン。その名だけは、脳に焼き付けて。
※※※
………目を覚ますと、暗いのに自分と相手だけはくっきりと見える、妙な場所にいた。
ああ………ここか。いつのまにか寝てしまっていたらしい。
あの後、ヴィネルを下がらせ、ミネアを思い出してみっともなく泣きわめき、そのまま………
「それでも、リンカのことを思い出し、自決を考えなかったあなたのその執念。私はあなたのそういうところが好きですよ、魔王」
………イスズ様。
「お久しぶりです、魔王。傷心のところ申し訳ないのですが、話を聞いてもらえますか?」
………なんでしょうか。私も暇じゃないのです。
吸血鬼の里が滅ぼされたからって、我が軍の傘下ではなかった吸血鬼ならば、滅んでいても魔王軍に影響はない。こんなところで立ち止まっている暇は………
「悲しみ。後悔。怒り。喪失感。虚無感。………私、そういうの全部聞こえてしまうんですよね」
………………………。
「魔王。気持ちはわかります。今回の件は………」
「………気持ちはわかる?」
「え………?」
「………あなたに、わかるのかっ!?私の、この気持ちが!!神であるあなたに!!」
心の中の何かが外れた私は、もう、自分を止められないほどに、怒りに飲み込まれていた。
心を読まれている。もう慣れているはずのそのことすら、発狂のトリガーとなってしまうほどに。
なにかに当たっていないと、自分が壊れてしまいそうだった。
「私に渦巻くこの気持ちが、わかるっていうのか!?妻を失い、あなたの命で魔王になり………仲間を危険な戦場に晒し、血を流させ、娘も危険から離すためとはいえ見放した!!リンカと同じほどに愛していた娘を!!………そのミネアを失った気持ちが!!リンカのためにミネアを見捨てたとすら言える、この私の気持ちが………あなたに………いや、この世の誰にも、わかってたまるか!!」
言い切ると、すぐに自分の過ちに気づいた。
相手は神だ。しかも、厳しい条件付きとはいえ、ミネアを産み落としてくれて、リンカの蘇生まで約束してくれた恩人。
そんな御方に、私は恐ろしい不敬を働いてしまった。
「っあ………イスズ様………」
「落ち着きましたか?」
………イスズ様は、いつものように笑っていた。
まるで、私の暴走すら、予期していたとでもいうように。
「………………申し訳、ありませんでした」
「いいえ、あなたの怒りはもっともです。私があなたを魔王としなければ、あなたはここまでの苦しみを感じずに済んだのですから。私を憎んでも仕方がありません」
「に、憎むなど!私は、感謝こそすれ………」
「あ、神の領域では声を極力控えて。マナーです」
………そうだった。つい、大声を出してしまっていた。
………………申し訳ございませんでした。
「かまいませんよ。………さて、落ち着かれたようなので、話を進めさせてもらいますね」
なんなりと、どうぞ。
「まず、今回の件は、謝るのは私です。私がもっと情報を収集し、現在の人間の凶暴性をもっとよく知っていれば、このような事態は起こらなかったかもしれません。………すみませんでした」
い、いえ………そんな。
私が悪いのです。あの時、吸血鬼族を無理やりにでも魔王軍に引きずり込んでおくべきだった。
そうすれば………あの子は………里のみんなは………………全滅せずに済んだんです。
「自分を責めてはいけません。そうするくらいなら、私を恨みなさい。あなたにこんな重荷を背負わせた私を憎みなさい」
そんなこと………………できるはずがありません。
あなたは、私の恩人ですから。
リンカを失い、全てがどうでもよくなった私に、希望を見せてくれたのはあなたなんです。
感謝こそすれど、憎悪など抱けるはずがない。
「………………そうですか。ではその憎悪………………人間に向けるというのはどうでしょう」
………………え?
それは、里を襲った人間達………………もっと言えば、それを命じた国を亡ぼすという意味ですか?
「………………魔王。私はね………疲れたんですよ」
疲れた………?
「女神ミザリーをこの世界から追放し、私の統治の元、人間を含めた全種族の統一。これが私の目標でした。………ですが、もうやめました。この世界の人間という、悪意の塊のような存在を、どう我が統治に組み込むか。そんなことを考え続け………疲れたんです。もういいです。あんな欠陥種族、私の世界に必要ありません。あちらがその気なら、こちらだってそれ相応の対応をしなければなりません」
………つまり、どういうことで、
「人間、滅ぼしてください。もう目障りです」
………ああ、そうか。ようやくわかった。
イスズ様も、静かに怒り狂っているんだ。
自分が作り出した一つの種族を、私を残して全滅させられたことに。
「そうですよ。私、もう嫌なんです。なんで私が心を込めて創り出した子たちを、あの女の身勝手で滅ぼされなければならないのですか。この私の気持ち、あの女にも味わってもらわないと。そうでなくても、人間というこの世界の種族は、私の世界に不要です。信者が消えた神は、その世界から消えるので、どのみち結果は同じ。だから人間を絶滅させましょう」
この数百年、イスズ様のことは数えるのもばからしいほどに見てきた。
だが、こんなイスズ様は見たことがない。
だが、どんな顔かはわかる。私もきっと今、同じ顔をしているのだろう。
自らが生み出した者たちを蹂躙されたことに対する………復讐の顔だ。
※※※
「………………それと魔王。先ほど、あなたはこう思っていましたね。『自分を残して吸血鬼族は全滅した』と。………それは間違いです」
………生き残りがいるのですか?
「はい。たった一人だけですが、確かに生存しています。その子を、魔王軍で保護してあげてもらえませんか?」
もちろんです。
最後の同胞、みすみす野垂れ死にさせる気などありません。
「それはよかった………。実はその子、今後の戦争の流れすら変えかねない、凄まじい才能を秘めている子なのですよ」
ほう、それは楽しみです。
「それに………あなたにとっては、今後一番大切な存在になると思います」
………?それは、どういう………
「生き残った娘の名前は、リーン・ブラッドロード。リンカの父から族長の座を受け継いだ男、レイザー・ブラッドロードと………その妻であり、あなたとリンカの娘、ミネア・ブラッドロードの愛娘。つまり、あなたの孫娘です」
本当に長くなってしまい、申し訳ございませんでした。
第五章【魔王誕生編】、次話で終了となり、明後日から新章スタートとなります。
再び、リーンとヨミの物語をお楽しみください。