【episodeZero】我が娘へ
「あなたが魔王になってから………えっと、何百年くらい経ちましたっけ」
三百年と少し。
予定の年数から、一割程度過ぎましたな。
「おや、そんなになりますか。時がたつのは早いものですねえ」
それはあなたが神だからであって、一介の吸血鬼に過ぎない私としては、まあまあな年数ですがね。
「そうですか?………おっと、こんな話をするために呼んだのではないのですよ。ささっ、座ってください」
なんだ、今日は無駄話のために呼ばれたのではないのですか。
「無駄話とか言わないでくださいよ………。私が遠慮なく愚痴れるのなんて、あなたくらいしかいないのですよ、魔王。ほかの神ときたら、どいつもこいつも口が軽くて………」
早速愚痴を垂れ流された。
この御方の眷属となって以来、一年に三度はこうやって愚痴を聞かされる。しかも、私が本当に珍しく眠っているときに。
「それで、あの神ったら、ちょっとほかの世界で偉かったからって調子に乗って………奥さんを大神に寝取られてるくせに………ブツブツ」
こうなると止まらないので、お茶を飲みながら要所要所だけを聞くが吉。
「言っときますけど、そういう心の声も全部聞こえてますからね!………はあ、まあいいです。今回は本当に用があって呼んだので、愚痴はまたの機会にしましょう」
それでも愚痴は言うのか。
「では、本題に入りますか。………魔王、あなたはわたしが見込んだ以上の働きをしてくれています。吸血鬼以外のすべての種族を統合し、人間を圧倒できる力を持ちながらも、均衡を保ち続けている。素晴らしい」
ヴィネルの頭脳の賜物です。私は何も。
「謙虚もいいですが、賞賛の一つくらい素直に受け取っても、罰は当たりませんよ」
罰を与える立場であるあなたが言うと、説得力が違いますね。
「私もそう思います。………ですが、いくらあなたやヴィネルが優秀と言っても、完璧ではありません。問題があります」
………わが軍傘下の種族の、集落や町の問題ですか?
「ご名答。………魔王軍が大きくなったことは喜ばしいですが、そのせいで、村や田舎町といった、細かい部分が守れなくなっています。勿論、魔王軍としての機能にさしたる支障はありませんが、これを放っておくなど論外です」
おっしゃる通りだと思います。我々もその件には頭を悩ませておりました。
人間によって滅ぼされた集落、失われた命は、到底無視してよいものではない。
「ええ。ですので、そちらの対処を」
………ですがイスズ様。現状、それは厳しいのです。
わが軍の兵は、人間と比べて圧倒的に少ない。それに加えて、あちこちに小隊派遣などでもしようものなら、魔王軍はたちまち危機にさらされるでしょう。
「それはわかっています。私が、何の策もなしにあなたを呼んだとでも?」
と、いいますと?
「今から、一つの策を授けます。これができるのならば、小規模な集落の問題はたちまち解決するでしょう。………しかし、もちろんそれ相応のデメリットが伴います。どうするかは、話を聞いて、あなた自身が決めなさい」
………わかりました。
※※※
「結論から言いましょう。策というのは、『魔王城』の建設です」
魔王城?
「魔王城とは、私が誰かに授けることによって世界に存在が許される究極の魔法、《魔の楽園》の別名です。あらゆる魔法を複合し、限られた者のみが発動できる。別名、『無限魔法』」
無限魔法。もちろん聞いたことがない。
「この魔法を一度発動すれば、魔王城の名が示す通り、一瞬で巨大な要塞城を作り出すことができます。そして、その周囲半径五キロメートルの範囲の地形を、発動者の思いのままに操ることができるようになる」
………それだけか?
そんな魔法で、どうやって被害を抑えろと?
「また、発動者が魔法の有効範囲にいる間は、わたしと感覚がつながるように設定されている魔王城から常時魔力が送り込まれます。まあ、事実上、無限の魔力を得るといえますね」
前言撤回だ。なんと恐ろしい魔法だ。なるほど、故に『無限魔法』。
話は見えました。その無限の魔力を用いて、魔族領のすべてに強固な結界を張れと。
「そういうことです。ただ、先ほども言った通り、何事もいい話だけでは終わらないものです」
デメリット、ですか。
それはどんなものなのですか?
「デメリットは二つ。一つは、脳に対する負荷。いくら無限の魔力を用いているとはいえ、発動するのはあなたです。すると、様々な魔法を複合した魔法である《魔の楽園》を発動しただけで、あなたの同時に発動できる魔法の容量の大半が埋まってしまい、残った部分も、集落を覆う幻覚魔法と結界魔法で埋まってしまうでしょう。つまり、魔王城を建設し、結界を張った後は、あなたは魔法が使えなくなります」
無限の魔力を得た意味がないではないか。
いや、結界を張れるというだけで十分意味はあるのだが、魔法が一切使えなくなるというのは………。
「ですがご心配なく。すべての魔法のうち、回復魔法と身体強化魔法、それに闇魔法は、他の魔法とは違う原理で動いています。つまり、その三つの魔法だけは使えます」
………まあ、それならいい、か?
回復魔法は不得手だが、それでも蘇生以外の一通りは修めているし、他の二つは得意な方だ。
なんとかなるだろう。
「それよりも、二つ目のデメリット。………これが、あなたにとって最も悩みどころでしょう。………よく考えて、答えを出してください」
※※※
イスズ様の話を聞き、一つの決意をしてから、二日後。
「ただいま………」
「あ、お母さん!おかえり!」
妾を迎えてくれたのは、わが最愛の娘、ミネアだ。
妾の両親は五十年ほど前に亡くなってしまい、今は二人暮らしだ。
十代後半という最高のタイミングで半不老を迎え、今やどっちが娘なのかわからない状況だが、それでも私の可愛い一人娘であることに変わりはない。
だが、そのメロンのように育った胸だけはいただけないな。リンカもそこまではなかったぞ。なんだ、誰の血だ。
「最近、帰ってくること少なくなってたね。仕事、やっぱり忙しい?」
「………ああ。今まですごく頑張ってくれてたやつが抜けてしまってな。穴埋めが恐ろしく大変で………」
百年ほど前にディーシェが去り、この前、ついにフルーレティアが二度目の引退をした。これからあいつは、後進の若手を育てていってもらう。
あいつの抜けた穴は想像以上にでかく、最近はてんやわんやだ。
「そう………。えっと、やっぱり人に言っちゃダメな仕事なんだよね?力になってあげたいんだけど………」
「ありがとう。その気持ちだけで十分だ」
ミネアを、こちら側へ引きずり込む気はない。
ならば下手にだましたりするより、言えないという方がまだいい。
「お母さん、今日は一日家にいるよね?」
「ああ、今日は何とか仕事を終わらせてきた。………………何せ、お前の誕生日だからな」
そう。
今日はミネアを妾が授かったのと同じ日。つまりこの子の誕生日だ。
「覚えててくれたの!」
「当たり前だろ。子の誕生日を忘れる親がいるか」
妾は、後ろ手に持っていた包みを出して。
「ほら、誕生日プレゼントだ。仕事仲間と一緒に作ったんだ」
「プレゼント!」
目をキラキラさせて………………毎年毎年祝っているのに、大げさだな。このあたりはリンカの血か。
「わっ………これ、杖?」
「ああ。回復魔法や結界魔法の編纂を手伝ってくれる。大事にしろよ」
「うん!!一生使い続ける!!」
一生て………。
こいつは本当に、妾にべったりの癖が抜けないな。
まあ、吸血鬼の反抗期は百五十歳からというし、まだせいぜい百歳ちょいのこの子は仕方がないか。
「えへへ、お母さんがお母さんで、よかったー」
「な、なんだ急に………」
「あ、照れてるー!」
「て、照れてないわい!」
「あははは!あははは!」
「………ふふっ」
ああ、幸せだ。
出来る事なら、こんな時が…………
ずっと続いてほしかった。
「むにゃ………。んうう………。えへへえ………」
寝てしまったミネアの寝顔をじっと見つめる。
リンカと妾に似て綺麗な顔だ。男など引く手数多だろう。
きっと、幸せな生涯を送れる。この子なら。
「………………さようなら、ミネア。リンカを失った妾にとって、お前は本当に救いだった。………愛してる」
そして、妾は我が家の扉を閉め。
背を向けて、二度とその場に帰ることはなかった。
※※※
『二つ目のデメリット。それは、あなたが魔法の有効範囲外………魔法の発動地点から半径五キロ圏外に出ると、魔王城とあなたの接続が途切れてしまうということです。つまり、各地に張った結界が崩壊する。しかも再接続はできないため、二度と結界の回復は望めなくなります。………ですから、あなたは常に、魔王城周辺にいてもらわねばなりません』
そう、つまり。
『あなたは二度と、吸血鬼の里の地を踏めなくなります。ミネアにも会えなくなってしまうでしょう。無論、あなたがミネアを連れて行くという選択肢もありますが………』
論外だった。
妾は、ミネアを危険な目に合わせたくなかった。
あの強かったディーシェすら消しかけた怪物がいる戦場。あいつ………ルヴェルズは神器の力で、今なお生き続けている。
そんな存在がいる、戦争中の、どこに行っても安全と言い切れないところに、ミネアを連れてくるわけにはいかない。
親のひいき目?私情?何とでも言ってくれ。
わが子が一番大事。それが親というものだろうが。
だから妾は………娘の前から姿を消すことを選んだ。
《魔の楽園》の発動を選んだ。
最後に、二日だけ。ミネアの誕生日まで待ってくれと、イスズ様には言って。
最後の願いはかなえた。あとは、ここから消えるのみ。
※※※
里の出口まで行くと、フードを深くかぶった一人の男がいた。
「………フィリス」
「族長」
我が義父にしてリンカの父親、そしてミネアの祖父。
妾がこの里を去ることを知っている、唯一の存在。
妾がこの里で、最も信頼している男だ。無論、ミネアを除いてだが。
「………今まで世話になった。ミネアのことを、よろしく頼む、族長」
「………本当に、行ってしまうのか」
「ああ。………大丈夫だ、死ぬわけじゃない。もう二度と会えない、それだけだ」
妾はこれでも魔王。普通は一対一で会うことすら許されない、魔王軍の絶対的支配者。
そんな妾に、魔王軍に加入していない唯一の種族、つまり『なにかあるかもしれない種族』の吸血鬼族が謁見などできるはずがない。妾が吸血鬼だということは、一般的には知られていないしな。ルヴェルズと会ってしまった時も、咄嗟に認識阻害の魔法で種族を隠した。
そもそも、魔王軍に加入していないものが入れなくなるように結界を作り出すのだから、吸血鬼は他の魔族の居場所を自主的に見つけることは不可能となる。
故に、彼とも二度と会うことはない。
「では、手はず通り………妾は敵に無謀な戦いを挑み、相打ちで死んだ。そういうことにしてくれ」
「………………わかった」
なんだなんだ、族長。なぜそんな、泣きそうな顔をしているんだ。
いいじゃないか。里一番の問題児だった妾が、いなくなる。ただそれだけのことだ。
「フィリス」
「なんだ」
「………………………体に、気を付けろよ」
「っ!………………アホ言うな。世界最高レベルであろうこの妾が、体調なんざ崩すか」
「………………そうか」
「………………じゃあな。族長こそ、自分を大事にしろよ」
そう言い残し。
妾は一切振り向かず、里を去った。
振り向いたら………………もう、魔王には戻れない気がしたから。
※※※
「フィリス………本当にいいの?後悔しない?」
「くどいぞフラン。さっさと手伝え。こんな凄まじい魔法、お前のサポートなしで発動できるか」
「………………わかった。じゃあ、あたしは魔力制御に集中するから、フィリスは編纂を」
「ああ」
「オッケー。じゃあ………………いつでもいいよ」
里のアホども。族長。………………ミネア。
大馬鹿な妾を、許してくれ。
「《闇の楽園》」
※※※
《『真に仲間を思う心』を確認しました。》
《すべての条件が満たされました。》
《フィリス・ダークロードが、『真祖』へと種族進化を果たしました。》
長らく続いた過去編も、あと数話で終了となります。
こんなに長くなる予定ではなかったのですが………。
もうしばらくお付き合いください。